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応接間にはよく見知った面々が揃っていた。
ソファに向かい合うように座っているのは、真奈ちゃんの父親である楸(旧姓・下拂)優先輩と、真帆先輩の親戚にあたる堂河内翔くん、弟子だった那由多茜ちゃん、そしてお姉さんの加奈さんの四人。
窓辺には榎夏希先輩と、同じく高校の頃の後輩である肥田木つむぎ、その傍らで腕を組んで佇んでいるのは、かつての担任・井口先生だ。
彼ら彼女らの姿に、こんな大変な時なのに、なんだかとても懐かしい気持ちになる。
私がアリスさんと一緒に部屋の中に入ると、皆が一斉にこちらに顔を向けた。
「――遅くなりました」
軽く頭を下げると、
「葵ちゃん、ごめんね、急に呼び出して――」
加奈さんが腰を浮かせ、こちらに歩み寄ってくる。
私は「いえ」と口にして、
「これで全員ですか?」
「だな」
答えたのは、井口先生だった。
それから私たちはソファに座る四人の周りを囲むように移動して、
「それじゃぁ、早速だけど、もう一度状況の説明をしてくれないか」
と井口先生がアリスさんに顔を向けて促した。
アリスさんは頷き、口を開いた。
「――はい」
真奈ちゃんがいなくなったのは、昨日の夕方のことだった。
クラスメイトの桜木美春ちゃんと一緒に、この近くの神社に姿を現したジャッカロープを捕まえようとして追い駆け、いつの間にかあちら側に迷い込んでしまっていたという。
そこでバンダースナッチの群れに襲われてしまい、美春ちゃんは何とか戻ってくることができたけれど、真奈ちゃんは戻ってくることができなかった。
もともとあの神社はあちら側に近く、普段からひとりで行かないようしつこく言いつけていたはずなのに、真奈ちゃんはその言いつけを破ってしまい――ということらしい。
アリスさんの説明が終わって、私たちはしばらくの間、互いの顔を見合わせながら黙りこくっていた。
――あちら側。
それがどういう世界であるのか、私は知っていた。
何故なら高校時代に、かつての魔法部のメンバーであちら側に行ってしまったことがあったからだ。
それは私たちにとっては意図せずのことであり、私たちを貶めようとした人物からすれば意図的なものだった。
しかも、私と優先輩、夏希先輩の三人は、都合2回、あちら側に行っている。
一度は意識体で、二度目は肉体を持って。
それでもなお、私たちはあちら側のことを詳しく知っているわけではなかった。
あちら側の世界は常に闇に閉ざされていて、不安定で、歪んでいて、けれどこちら側と密接していて、常に隣に存在している。
できればもう、行きたくない、不気味で恐ろしい場所。
トラウマ、と言う程ではないのだけれど、できれば関わりたくない世界だった。
だけど……
「みんな、ごめん」
口にしたのは、優先輩だった。
「こうなる予感はしていたから、いつも注意はしていたんだけど――」
それに対して、夏希先輩は軽く笑って見せてから、
「……まぁ、真帆の娘だからねぇ」
それから優先輩の後ろから、彼の頭をわしゃわしゃとかき回してやりながら、
「だから、大丈夫だよ。あたしたちで見つけ出して、全員で説教してやろう」
ね? と優先輩の顔を覗き込んで、その頭をぽんぽん叩いた。
「――はい」
優先輩も、軽く頷く。
「とは言え、だ」
それに対して、井口先生は腕を組んだまま眉根を寄せて、
「あちら側が危険であることに違いはない。真奈はまだまだ修行中の身だったんだからな、なおさら心配だ。一刻も早く探し出して連れ帰ってやらないと、取り返しのつかないことになる」
私たちは先生の顔を見つめ、誰からともなく頷いた。
あちら側に住んでいる異形の生き物、それこそジャッカロープやバンダースナッチだけでなく、他にもジャブジャブ鳥やトーヴ、ラース、極めつけはジャバウォックと呼ばれる竜のような怪物やスナーク(特にブージャムと呼ばれる種)に襲われでもしたらひとたまりもない。
しかも、危険はそれだけではない。
あちら側の世界にいると、時間と共に記憶を失っていくのだ。
これまで幾度となく何人もの魔法使いがあちら側の調査に向かったが、その多くが記憶を失った状態で戻ってきた。
いくつかの記録|(例えばあちら側に住む動植物など)は残っても、訪れた者の記憶がまるで残らないのだ。
それはあちら側に長居すれば長居するほど顕著であり、それゆえに帰り道を見失い、たとえ異形に襲われずとも戻ってこられない――と言われている。
少なくとも、私たちも長居したせいで、各々が一部の記憶を失っていた。
何とか記憶の断片を語り合って補い合ったが、それでもなお思い出せないことがある。
そんな世界に今、真奈ちゃんは取り残されているのだ。
「幸いにも、ここにいるメンツの大半はあちら側に行ったことがある。アリスさんの魔法のおかげで、無事に戻ってくることもできた」
井口先生はアリスさんに顔を向け、大きく頷き、
「だから、まぁ、あれだ」
と口元に笑みを浮かべて。
「真帆が帰ってくるまでに、なんとかなるだろ」