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ズキリ、と朝から存在を主張する頭痛に、向井康二は顔をしかめた。喉の奥には嫌な熱っぽさが居座り、全身が重い鉛を引きずっているようだ。最悪の目覚めだった。しかし、鏡に映る自分に「大丈夫、いける」と無理やり笑顔を作って言い聞かせる。今日は目黒と一緒の『ドッキリGP』の収録日。ここで休むわけにはいかない。迷惑は、かけられない。
市販の風邪薬を多めの水で流し込み、康二はいつもより少しだけ入念にメイクをして家を出た。
「康二くん、おはよー」
「おはよ、めめ」
楽屋に入ると、すでに準備を終えた目黒が台本を読み込んでいた。彼に気づかれないよう、康二は努めて明るく挨拶を返す。
「今日の康二くん、なんか顔色良くない?」
「え、そう?昨日ちょっと夜更かししたからかな!寝不足やわ〜」
目黒の鋭い指摘に心臓が跳ねたが、なんとかおどけて誤魔化す。幸い、目黒は「ふーん」とだけ言うと、再び台本に視線を落とした。その無関心さが、今はありがたかった。
収録が始まると、スタジオの熱気と強いライトが、じわじわと康二の体力を奪っていく。それでも、カメラが回っている間はプロに徹した。面白いことを言い、大きなリアクションをとる。脳が警鐘を鳴らすたびに、アドレナリンで無理やりねじ伏せた。
そして、その時は来た。今日の収録のクライマックス。康二が仕掛け人となったVTRが終わり、スタジオでオチとなる一言を放つ、一番の見せ場だ。台本では、VTR明けに目黒が「康二、あれは結局どうなったんだ?」と話を振ってくれる手筈になっている。その一言で、スタジオの注目はすべて康二に集まるはずだった。
しかし。
VTRが終わっても、目黒からのパスは来なかった。彼は隣の共演者とVTRの内容について盛り上がり、そのまま別のトークテーマへと流れていってしまう。康二は、ぽつんと取り残された形だ。頭が真っ白になる。なんで、忘れてるん…?熱で霞む思考の中、焦りだけが膨れ上がっていく。
その時だった。「いやいや、一番聞きたいのはそこじゃなくて!」と、MCの東野幸治さんが絶妙なタイミングで割って入った。「向井!お前の最後のは結局どうなった?」
その一言に救われ、康二はハッと我に返る。なんとか用意していたコメントを口にし、スタジオは大きな笑いに包まれた。他の共演者たちの見事なフォローのおかげで、収録は無事に、そして大盛り上がりのうちに幕を閉じた。
「お疲れ様でしたー!」
共演者たちへの挨拶を済ませ、二人きりになった楽屋に戻った瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた。薬の効果も切れ始め、頭痛と悪寒が倍になって襲ってくる。だが、それ以上に康二の心を支配していたのは、燃えるような怒りだった。
「めめ」
振り返った目黒の顔を見るなり、康二は声を荒らげた。
「さっきの何なん!?」
二人きりになった楽屋に、怒りを含んだ康二の声が響いた。収録が終わった安堵感からか、それとも薬が切れかかっているせいか、ズキズキと脈打つ頭痛が酷くなっている。だが、それ以上に腹の底で煮え繰り返る怒りを抑えることができなかった。
「え…?」
振り返った目黒は、康二の剣幕に一瞬戸惑いの表情を見せた。
「何が、やないやろ!俺に振るとこ、忘れとったやろ!」
「あ…」
そこでようやく思い出したのか、目黒はバツが悪そうに視線を逸らした。「あー…ごめん、マジで。話が盛り上がっちゃって、完全に飛んでた」
その悪びれない口調が、康二の神経を逆撫でする。迷惑をかけたくないと、どれだけ自分が無理をしていたか。この日のために、どれだけコメントをシミュレーションしてきたか。それを、この男は。
「ごめんで済む問題ちゃうわ!こっちがどんな思いで…!」
「だから、悪かったって言ってんじゃん。東野さんたちが上手くフォローしてくれたんだから、結果的によかっただろ」
「そういう問題やない!いつもそうやん!めめは俺のことなんか、どうでもええんやろ!この前の雑誌の撮影の時だって!」
過去の些細なすれ違いまで持ち出して、康二は一方的に怒りをぶつけた。熱で潤んだ瞳が、今は怒りで燃えている。
目黒は最初こそ申し訳なさそうに聞いていたが、康二の止まらない詰問に、その表情から徐々に色が消えていく。
「…いつまでも、しつこいな」
「なんやって!?」
「忘れた俺も悪いけど、お前だって、人のこと言えんのかよ」
目黒の低い声に、空気が凍りついた。
「何回も謝ってんだろ?お前の方こそ、Snow Manの収録で何度も段取り間違えたり、俺らのコメントに被せてきたりしてるくせに!」
ガタンッ、と大きな音を立てて、目黒が椅子から勢いよく立ち上がった。その瞳には、明らかな苛立ちと怒りが宿っている。
「人のミスばっか責めてんじゃねぇよ!」
そう言い捨てると、目黒は壁にかけてあった自分のジャケットを乱暴に掴み、康二を睨みつけることもなく楽屋のドアへと向かった。そして、バタン、という乱暴な音を残して出ていってしまった。
一人残された楽屋に、重い沈黙が落ちる。さっきまで目黒がいた場所に、彼の怒りの残像が見えるようだった。目黒の最後の言葉が、棘のように康二の胸に突き刺さる。そうだ、俺だって失敗する。めめだけじゃない。
体中の力が抜け、康二はその場にずるずると座り込んだ。体調の悪さ、収録での焦り、そして目黒との決定的な衝突。張り詰めていたものが全て切れ、堪えていた涙が堰を切ったように頬を伝った。
「…っ、ひぐ…」
声を殺して膝を抱える。なんで、あんな言い方しかできひんかったんやろ。なんで、体調悪いって、一言言われへんかったんやろ。
(なんで、勝手に泣いてんねん、俺…)
惨めさで自分を責めていると、ガチャリ、と楽屋のドアが開いた。
「いやー、今日の翔太、キレッキレだったなー!」「まじウケたわ」「さっくんも大概だったけどな!」
佐久間と深澤、渡辺が賑やかに話しながら入ってくる。まずい、と康二は慌てて顔を伏せて涙を隠そうとしたが、間に合わなかった。
「あれ、康二じゃん。なにしてんの?」
異様な雰囲気の康二に気づいた深澤が、不思議そうに声をかける。康二は返事ができない。涙を引っ込めようと唇を噛むが、一度溢れ出した感情はそう簡単には止まってくれなかった。
「うげ、また泣いてんの?」
渡辺が心底面倒くさそうな顔で呟くのを、「まぁまぁ」と佐久間が制する。そして、康二の前にしゃがみ込むと、その背中を優しく撫でた。
「康二、どうした?なんかあった?」
佐久間の優しい声に、康二は観念して、途切れ途切れにさっきの目黒との出来事を話した。
「…それで、めめに…俺かて失敗するくせにって…言われて…」
話を聞き終えた深澤と佐久間は、「なるほどねぇ…」と顔を見合わせた。目黒がそこまで怒るのも珍しい。そして、いつもは明るい康二がここまで落ち込んでいるのも。
「まぁ、目黒も悪いけど、康二も言い過ぎたかもな。あいつ、最近忙しくて疲れてたし…」
深澤が宥めるように言った、その時だった。
「…っ」
康二が急に息を詰め、ソファの背もたれにぐったりと体を預けるように倒れ込んだ。その動きは、まるで糸が切れた操り人形のようだ。
「おい、康二!?」
一番近くにいた深澤が、焦ってその体を支える。その瞬間、服越しに伝わってくる異常な熱さに、深澤は目を見開いた。
「ちょっ…こいつ、体熱すぎんだけど!」