テラーノベル
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本殿に参拝して折り返してくる頃には、私たちはこれまで以上に打ち解けていた。大学でのこと、趣味や好きな食べ物のことなどで話が盛り上がる。
アルバイトの時も会えばそれなりに話はしていたが、仕事場だということもあって、今日ほど盛り上がって話をすることはなかった。
「今日はありがとう。楽しかったよ。祭りに来たのも久々だったし」
「私の方こそ、楽しかったです。北川さんと、こんなにお喋りで盛り上がるなんて、正直思っていなかった」
「割と同感」
北川はくすっと笑う。
「ところで、笹本さんは一人暮らし?それとも実家暮らしなの?」
「一人暮らしです。実家は県内でも北の方で」
「へぇ。俺は市内なんだけど、一人暮らししてる。そう言えば、ここまではどうやって来たの?」
「バスで来ました」
言ってからはっとする。スマホの画面で時間を確かめ、ため息をつく。
「行ったばかりだった……」
「車で来てるから、送るよ」
私のつぶやきを耳にして、北川が申し出てくれた。
「いえ、それは申し訳ないです。なんとかなるので大丈夫です」
「どうせ俺も帰るんだし、一緒に行こう。もしも悪いって思うんなら、今度バイトで俺が困ってたら助けてくれればいいよ」
「北川さんが困ってるところなんて、今まで見たことないですよ。……じゃあ、すみません。お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろん。向こうの駐車場の止めたんだ」
歩き出した北川の後に続こうとして、下駄のつま先が石畳の端に引っ掛かった。体が傾ぐ。
「あっ!」
「危ないっ!」
北川がすぐに気づき、私の体を捕まえた。そのおかげで転倒を免れる。
「びっくりした……」
「す、すみません。下駄、久しぶりに履いたから」
「とりあえず転ばなくて良かった」
「ありがとうございました」
礼を言い、そこではじめて気づく。北川にしがみついたままだった。
「ごめんなさいっ!」
慌てて北川から離れた。いや、離れられなかった。彼の腕に力が入ったのだ。
「北川さん、あの、腕……」
はっとして、彼はその腕をぱっと離した。
「ご、ごめん」
「い、いえ……」
胸がどきどきしていた。顔も耳も熱い。
今の彼の行動の意味についてゆっくり考える暇もなく、北川は私の手を引いて参道を進んでいく。鳥居の傍にでんと構えている大木の陰まで行き、そこで足を止める。手をつないだまま、私に向き直った。
「笹本さん」
「は、はい」
北川の声が固い。いったい何を言おうとしているのかと身構える。
しかし彼はなかなか話し出さず、視線を宙にさ迷わせていた。
「北川さん、どうかしましたか?」
恐る恐る声をかけた。
そこでてようやく、彼は私に視線を戻す。意を決したような顔をして、おもむろに口を開いた。
「俺と付き合ってください」
「……え?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す私に、北川はさらに言葉を足す。
「君が好きなんだ。俺の彼女になってほしい」
「好き?彼女?」
現実のこととは思えず、私は呆然とした。
北川は穏やかな声で続ける。
「笹本さんがバイトに来るようになってから、ずっと気になってた。可愛い子だなって思ったのはもちろんなんだけど、いつも一生懸命に、しかも楽しそうに仕事してるだろ?その様子を見ていて、この子いいな、って思った。そのうちに、君と一緒にいる時間を心地よく感じるようになった。君が色んな表情を見せる度に、ますます好きになっていった。君のことをもっと知りたい。だから付き合いたい。俺のことも、これまで以上に間近で見て知ってほしいって思うんだ」
釣り合うはずがないからと一度は諦めた恋だった。本当はすぐにも「はい」と答えたかったが、彼の告白にどきどきして言葉が出ない。
そんな私に呆れた様子もなく、北川は微笑む。
「返事は今すぐじゃなくていいよ。俺とのことを考えてみてくれたら嬉しい。とにかく、今日は送らせて。足元が危ないから、駐車場までは手をつなごう」
「はい……」
おずおずと頷く私の手を取り、彼は駐車場に向かった。車に着いて、助手席側のドアを開ける。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
私は礼を言って車に乗り込んだ。密室だと思うと、心臓はますます騒々しくなる。
私が座席に落ち着いたのを確かめて、北川はエンジンをかけた。
「アパートってどの辺り?」
彼への答えは決まってはいても、アパートを知られるのは早いような気がした。そこで少し離れた所にあるコンビニの場所を伝える。
「オッケー」
数十分後、アパート近くのコンビニの駐車場に到着する。
シートベルトを外している私に彼は言う。
「今度デートしない?その時まで返事がほしいなんて言わない。ただ、俺のことを知ってほしい。だから連絡先を教えてもらえないかな?」
私は迷わず頷いた。断る理由はない。なぜならこの時点ですでに、私は彼に返事をするタイミングを探していたからだ。
連絡先を交換し終えて、北川は私の表情をうかがいながら訊ねる。
「下の名前で呼んでもいい?」
「ど、どうぞ」
「じゃあ、『碧ちゃん』」
「は、はい」
「デート、行きたい所考えておいてね」
「分かりました」
好きな人に名を呼ばれるということは、こんなにも甘酸っぱく、むず痒くも嬉しいものだったのかとしみじみ思う。その気持ちに後押しされた。日の目を見ることはないと思い、大切に仕舞い込んでいた言葉が口からすっとこぼれ落ちた。
「……好きです」
言ってしまってから、彼の顔を見るのが恥ずかしくなる。自分の手元に目を落としたまま、彼の反応を待った。
「碧ちゃん、今のは本当?彼女になってくれるっていう意味でいいの?」
やや上ずって聞こえる声で改めて彼に問われ、顔が火照る。
「……はい」
「嬉しいよ」
彼の声がとても間近で聞こえた。次の瞬間、耳元に柔らかい感触があって驚く。
「き、北川さん……っ」
彼は照れた顔をしていた。
「ごめん、あんまり嬉しくて、つい。だけど今日は、これ以上は何もしないから安心して」
「これ以上……。安心って……」
彼の言葉にどきどきしてしまう。
「だから、アパートの前まで送らせて?」
北川はにこりと笑う。
その笑顔に負けて、私は首を縦に振った。
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