テラーノベル
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「……中村の兄さん、それ玉の輿ってやつじゃねぇか?」
「まあ、そうだけどなあ……二代目」
「中村のおっさん、そうだけどって、どういうことなんだよ?」
下町情緒漂う神田旭町の一角、咲子の自宅とも言える岩崎邸では、この家の大家である田口屋の二代目、中村、京太郎が顔を突き合わせ、ふかし芋を食べている。
二代目が、咲子の千秋楽を祝って持ってきたものだ。
咲子は五つの時、貧しい農家から岩崎家へ奉公に上がった。 主《あるじ》である音楽家、岩崎京介に歌の才能を見出され、今では帝都を代表する歌姫となった。それでも恩を忘れず、岩崎家では今も女中として働いている。
「あっ、少し残しておいてくださいね。お咲ちゃんの好物ですから」
岩崎の妻、月子がたしなめる。
「わかってるって。月子ちゃん。っていうかねぇ、中村の兄さん、俺たちは、きゅっと冷えたのがある方がいいよなあ」
二代目が、調子よく言った。
「いやあ、二代目。月子ちゃんの手間だろ?身重だそ?」
中村が、真顔で言う。
「ああ、二代目さんも中村さんも、お酒のほうが良いですよね。何かおつまみも用意しましょう」
月子は、ふくよかな腹をかばいながら、ゆっくり立ち上がり台所へ向かった。
「何してる!人の家をなんだとおもってるんだっ!」
そこへ、突然大声がした。二代目、中村が肩をすくめる。
「何勝手に酒盛りを始めようとしている!」
「いや、京さん。帰ってたの」
「おお!岩崎、芋でお咲の千秋楽祝だ」
どうだと、中村がふかし芋を勧める。
「そのお咲はどうした?!」
肝心の主役がいないだろうと、怒鳴りつけるのは、この家の主人で、咲子の師匠でもある岩崎だった。
音楽学校の特別授業を終えて戻ってきたのだ。
「父上、いつものことじゃないですか。相変わらず声が大きい。母上の胎教によくないと思いますけど」
京太郎が、口を挟む。
「……何をわかったようなことを!京太郎!授業はどうした!」
「あー、お咲の応援に。千秋楽ですからね」
京太郎は、父である岩崎へ悪びれもせず言い返す。
「まあまあ、親子喧嘩は犬も食わないと。よしなよ京さん。それよりもだねえ。お咲が一大事のようだぜ?」
二代目の一言に、岩崎はちらりと中村を見た。
芙月みひろ
280
#普通
野々さくら
57
#女主人公
「……そうなんだ。岩崎」
中村は渋い顔をして言う。
岩崎は、何事かと中村の話に聞き入った。
中村は、ゆっくりと事情を話し出す。
「……つまり。その秋山という男爵が、お咲を見初めたと?」
「ああ、まあ、そういうことなんだよ」
中村は、どこか歯切れが悪かった。
「でも、京さん!相手が男爵ならお咲にとってはいい話なんじゃねえの?」
「いや、二代目。それがなあ……」
「なんだよ!中村のおっさん!さっきから!」
「京太郎?中村さん、でしょ?」
月子が酒のお調子を盆に乗せて現れた。
「京介さん。お帰りだったんですね。お着替えを……」
「いや、月子。いい加減動くのを控えなさい。体を大事にしないと……」
「いやあ、いつ見ても目の毒だねぇ」
二代目が、岩崎と月子のやり取りを茶化す。
「身重の妻を労って何が悪い!」
ありゃあ言い切ったと、二代目は苦笑う。
「まあ、岩崎んとこみたいに上手く行けばいいんだけど、秋山ってやつはろくでもない男なんだ……」
中村は息をつく。
噂では、秋山男爵は、金と地位に物言わせ、気に入った女芸人を自分のものにしているのだとか。
「いや、ちょっと!お咲もそういうことなのか!」
京太郎が身を乗り出した。
「さあ、そこはわからんがな」
変わらず、中村は歯切れが悪い。
「……で、お咲はなんと言っている?」
岩崎が、静かに問うた。
コメント
1件
第2話、読ませていただきました。下町の賑わいと家族のぬくもりが会話の節々に滲んでいて、とても温かい気持ちになりました。咲子さんを巡る秋山男爵の話、中村さんの歯切れの悪さが気になりますね。「お咲はなんと言っている?」という岩崎さんの静かな問いかけに、彼女を想う家族の深い愛情を感じました。続きがとても気になります!