テラーノベル
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2
目覚まし時計のけたたましいアラーム音で眼が覚めた。
カーテンの隙間から漏れてくる光の眩しさに苦しみながら、ゆっくりと上体を起こす。
不思議なことに、夢の時間は一瞬のことだったように感じられた。
どうやら現実よりも夢のほうが、体感する時間の経過が早いらしい。
僕は大きく伸びをしてため息を吐いた。
ぐっすり眠れたような感覚はあるのに、精神的に休めたような気はしていなかった。
そこそこの距離を夢のなか歩き続けたというのに、あの気配には結局辿り着くこと叶わなかった。
なんとも釈然としない気持ちのまま、僕は制服に着替えて部屋を出た。
バラの咲き乱れる中庭を抜けて、魔法堂の引き戸をガラリと開けると、
「おはよう、カケルくん」
茜さんが店の掃除をしているところだった。
「おはよう、茜さん。真帆ねぇは?」
「今日も体調悪いって、部屋で休んでるよ」
「……大丈夫なのかな?」
「う~ん、どうなんだろ。あたしにもその辺はわかんないからなぁ」
僕は「そう」と呟くように返事して、カウンター奥ののれんの先へと視線を向けた。
真帆ねえの妊娠が発覚したのは、二か月ほど前のことだった。
茜さんの予想は大当たり。
真帆ねえとシモハライさんの間に、念願の子供ができたのだ。
真帆ねえは長年シモハライさんと交際していたけれど、本人曰く『恋人』という認識ではなかった。
曰く、『恋人以上、夫婦未満』
詳しい話は僕もよく知らないのだけれど、茜さんが言うところによると、真帆ねえの体質的な不妊がふたりの結婚しない理由だったらしい。
自分を愛し、自分が愛する人との間に子を為せないことにどこかしら後ろめたさを感じていた真帆ねぇが、頑なにシモハライさんからのプロポーズを断っていたのではないか――というのが茜さんの勝手な妄想であるが、実のところどうなのかは僕も知らない。
ただ、真帆ねえの妊娠が発覚してからの動きが早かったのは事実だった。
シモハライさんは手放しでそれを喜び、涙して――改めて真帆ねえにプロポーズして。
そして真帆ねえは、そのプロポーズを素直に承諾したのだった。
結婚式はしなかった。
ただ、書類的な手続きをしただけだ。
本当にいいの、と僕が問うと、真帆ねえは笑顔でこくりと頷いて、
「――いいんです。今は幸せいっぱいで、それ以上のことを望んでいないので」
そう答えただけだった。
まぁ、本人がそれでいいというのであれば、と僕は思ったのだけれど、それを良しとしなかった人がいた。
茜さんである。
茜さんは何度も何度も真帆ねえとシモハライさんに「結婚式やらないと!」「やりましょう!」「やるしかないでしょ!」と食い下がったのだけれど、結局今に至るまでふたりは「まぁ、そのうちね」とはぐらかすばかりだった。
それから少し経ってのことだ。
真帆ねえの体調が悪くなっていったのは。
妊娠中の女性の身体の変化というものを僕はよくわからないのだけれど、いつもそばにいる茜さん曰く「妊娠中の体調不良やうつはよくあることみたいだから、あたしがしっかりしないと!」と鼻息荒く真帆ねえの面倒を見てくれている。
シモハライさんも仕事が忙しいなか、真帆ねえを気付かって僕と一緒にいろいろやってくれてはいるのだけれど……こればかりは男である僕らには計り知れないところがあって、茜さんに頼りっきりになっているもまた事実だった。
……本当に大丈夫かな、真帆ねえ。
「朝ごはんは、もう準備してる?」
「あぁ、ごめん、まだなんだよね~」
急いで準備するね、と口にする茜さんに、僕は首を横に振って、
「いいよ、今日は僕が準備するから」
「そう? ありがとね、カケルくん」
その時だった。
ぱたぱたとゆっくりとした足音が聞こえてきたかと思うと、のれんがはらりと捲られて、
「――あぁ、翔くん、おはようございます。ごめんなさい、朝ごはん、すぐに用意しますからね」
疲れ切ったように顔色の悪い真帆ねぇが、それでもなんとか作ったような笑顔でそう口にしたのである。
僕はそんな真帆ねえに、
「あ、気にしないで、真帆ねえ。僕がみんなのぶん作るから」
「でも――」
申し訳なさそうに眉を寄せる真帆ねえの様子は、僕のよく知るあの真帆ねえとはまるで別人のように見えて。
「いいから、真帆ねえは部屋でゆっくり休んでなよ。準備できたら、あとで呼びに行くから」
すると真帆ねぇは、なにか言いたそうに口を開いて、そしてまた閉じて。
小さく吐息を漏らしてから、
「――すみません。それじゃぁ、お言葉に甘えて」
そうして、のれんの向こう側に足を向けたそのとき。
「……ごめんなさい、カケルくん」
僕はなんとも物悲しそうに呟いた真帆ねえのその言葉に、返事をすることができなかった。
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