放課後の相談室は、外の雨音だけが時を刻んでいた。
白い壁と木目の机。窓際に一つだけ置かれた椅子に、今日の来訪者が座っている。
遥はノートを開きながら、相手の小さな呼吸に耳を澄ませた。
「……理由がないんです」
俯いたまま、来訪者の女子生徒がぽつりとつぶやく。
「何も起きてないのに、胸がざわざわして。家にいても、授業を受けてても落ち着かない。
自分が変なんじゃないかって」
遥はペンを置いた。
「変じゃない」
その声は驚くほど静かだった。
「理由が見えない不安は、誰にでも訪れる。
ただ、それが続くと、自分を疑うしかなくなるよな」
少女がかすかに顔を上げる。
「……どうすればいいのか、わからなくて」
窓に打ちつける雨の音が強まる。遥は視線をその灰色の空へ向けた。
「わからないことを、わからないまま認めるのは怖い。
でも、無理に理由を作ろうとすると、余計に息が詰まる。
まずは“わからないままでいていい”って、自分に言ってやること。
それだけで少し呼吸ができるかもしれない」
少女はハンカチを握りしめ、細く息を吐いた。
「不安って、消そうとすると暴れるんだ」
遥は淡々と続ける。
「だから、ただ隣に置いておく。
“あ、また来たな”って心の隅で声をかけるくらいでいい。
そのうち、不安の方が先に疲れていくから」
「……そんなものでしょうか」
「そんなものだよ」
少女の瞳が、わずかに和らぐ。
遥はその変化を確認してから、ふっと微笑んだ。
「君がこうして話してくれたこと、それ自体がすごいことなんだ。
雨の中、ここまで来るって、簡単じゃないから」
しばらく沈黙。
雨音だけが、二人の間にゆるやかなリズムを刻んだ。
「少し、楽になった気がします」
「よかった」
少女が帰り支度を始めたとき、遥は最後にそっと言葉を添える。
「不安がまた来ても、今日の君がここにいたことを思い出して。
それがきっと、小さな光になる」
少女は小さくうなずき、扉を開けて外へ出た。
雨は相変わらず降り続いている。
遥は静かな部屋に残り、窓越しの灰色を見つめながら、次の来訪者を待った。
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