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窓を少し開けると、温かくなった風に春の訪れを感じた。

私は壁掛け時計を確認し、来訪者が来るまでの中途半端に余った時間の消化方法を考えた。もともと選択肢が多かったわけではないため、結局いつものように傍にある木製のチェストの1番上の引き出しから、スケッチブックと鉛筆を取り出した。

手元のテーブルにそれらを置き、スケッチブックの表紙をめくった。

星を眺める花、角の生えたそばかすの少女の横顔、花冠を頭にのせた猫。

一枚一枚の絵を眺めながらゆっくりとページをめくるたび、自分が創り上げた空想の産物たちに心の中で賛美の言葉をかけた。

私は写実的に描く技術はないが、それでも自分が満足できるぐらいの画力は持ち合わせているつもりだ。そしてこれらは、退屈な1人の時間を埋めてくれる優秀な手段のひとつであった。


「なーに、1人でにやにやしてんのさぁ」


突然聞こえたその声に顔をあげると、部屋の入り口から、見慣れた顔が半分覗いていた。


「ノックぐらいしなよ」


呆れ顔でため息をつきながら、私は精一杯の悪態をつくが、葵は服についた花びらを払うように何食わぬ顔で残りの半分とともに室内へ入ってきた。


「やっほー親友。元気にしてたかい?」


「あんたの声が大きくて頭痛がする」


私は少し大袈裟にこめかみを指でつまみ、ため息をついた。


「あら大変。でも大丈夫だよ。親友のあたしが来たんだから、元気出たでしょ?」


葵は変わらぬ声量で謎の理論を説きながら、私が寝ているベットの右隣にパイプ椅子を広げて座った。


「あんたの顔見たから具合悪くなった」


「親友に向かってなんてことを」


「今日はとても良い天気ですね」


「急な他人口調やめてよ。あー傷ついた」


大袈裟に泣き真似をしてみせるその姿に少しだけ腹が立ち、悪気のある針を刺してみる。


「そんな図太い神経してるくせに」


「そんなほめられると照れちゃうってぇ」


なぜか照れている彼女は、飛んできた針先を真っ二つに折り曲げた。


「日本語学び直しなよ」


打つ手が無くなった私がせめてもの仕返しにわざとらしいため息をついてみると、


「…ふふっ、あははは」


葵は蕾が開くような笑顔で声を立てて笑った。その無防備な温かさがいつも私をただの少女にしてくれる。


「もう、笑いすぎだよ。看護師さんに怒られちゃう」


「大丈夫だよ。あたしたち以外誰もいないし、担当の看護師さんともすっごい仲良しだしね」


そう言いながら、葵は私の手元のスケッチブックを覗き込んだ。


「で、何描くの?」


頭をこちらに傾けた葵の長い髪が白いベットのシーツに広がる。光に反射して艷めくそれは、私の目を釘付けにした。


「…まだ決めてない」


私の右腕を覆い、思い思いに広がり、光を受けて透き通るそれを、右手でそっと無意識に撫でていた。柔らかな感触が指の腹をくすぐる。日向ぼっこをする猫を連想させた。


「んー、そっかぁ」


葵はそう言いながら、そのまま頭を下げてベットの上にあずけた。太もものあたりに少しの重みを感じる。急に与えられた無防備さを私は持て余し、空の右手をまたスケッチブックに添えた。


「嫌?」


葵が不安そうな声を出して、少し頭を持ち上げた。


「平気」


「そっか」


今度は少し緊張気味に無防備さが私の元に置かれた。戻ってきた温もりに、すこし安堵した。


「葵の制服姿なんて久しぶりに見た」


わたしはベットの背もたれを少しあげた。葵の横顔が手元に転がっている。左手でそっと頬にまぶされたそばかすを撫でてみる。それが必然であるかのように葵はなんの躊躇いもなく私の手を享受した。


「似合うでしょ」


葵はいつもの口調でそう言った。瞳は向かい側にある窓の方を向いている。


葵の制服姿をここで見たのは初めだった。私がそうしてほしいと頼まなかったら、今回もいつものように私服に着替えてから来ていたのだろう。


「…今どき、高校の制服がセーラーって珍しいよね。かわいいけど」


「わかる。でもいちいちスカーフ結ばないといけないのがめんどうくさい」


「そのわりには綺麗に結んでる」


私は彼女の胸元のスカーフに目を落とした。目を奪うような赤が、整えられてあるべき形で広がり、蝶の片羽に見えた。


「…でも、今日で終わりだね」


私は右手を彼女の頭から静かに離しながら言った。代わりに、窓の隙間から手を伸ばした風がふわりと彼女の頬を撫でて行った。


「………」


葵はなにも言わず、ゆっくりと体を起こした。長い髪だけが、まだ名残惜しそうに私のもとに残る。


「今日が卒業式だったって知ってたんだ」


「知ってるよ。そりゃね。自分の高校のことだもん」


「そう、だよね」


ようやくこっちを向いた葵と視線を重ねた。いつもの無遠慮な口調とは裏腹に、彼女の瞳は憂いを帯びていた。

そこで私は確信した。彼女が、今まで私に与え続けてくれたものがどれだけ丁寧に包装されたものなのかを。


「…ねぇ、こっちきて」


「え?わぁっ!」


私は少し強引に自分の方へ彼女の腕を引っ張った。突然の事で体制を崩した彼女の胸元へ私は顔を埋めて、そのまま背中に手を回し、ぎゅっと彼女を抱きしめた。

耳から彼女の生きている音がなだれ込んでくる。とても力強いこいつが役目を終えるのはずっとずっと先なんだろう。そうであってほしい。私の役立たずな心臓もできればそうであってほしいのだが。


「び、びっくりした。どうし…」


「大好き」


葵の言葉をさえぎるように私は言った。


「ずっとずっと、大好き。離れてても大好きだから」


葉の先からしずくが落ちるように、葵の小さな声が聞こえた。


「…知ってたの?あたしが明日引っ越すこと」


「そりゃね」


心臓の音がこだまする。今、私の生きてる音もちゃんと彼女に伝わっているだろうか。彼女が安心して私を置いていけるくらい、伝わっているだろうか。


「…大切な葵のことだから」


葵はなにも言わずに私を抱きしめ返してくれた。彼女の嗚咽と力強く拍動する音が私を包む。この満ち足りた時間がずっと続けばいいのにと思う。心からそう思うけれど。


「ねぇ、葵」


私は、赤い蝶を解いた。


「このスカーフ、私にちょうだい」


ボタンじゃなくても、この赤を見るたびに大好きなあんたのことを思い出せると思うから。この役立たずな心臓にもっとがんばれよって、あんたの鼓動を聞かせてやりたいから。














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