それからの仁は今までにないほど仕事に集中した。
新作小説の方は一旦中断しドラマ原作の方へ全力を注ぐ。
ドラマの構成は当初仁が考えていたものを大幅に変更し悦子のアドバイス通り『幸せ』に焦点を当てた。
この180度の方向転換が功を奏し究極のラブロマンスが出来上がりそうだ。仁は驚くほど筆が乗っていた。
(恋愛小説家としてもイケそうだなー)
まだ書いている途中なのに仁は確かな手応えを感じて微笑んだ。
ドラマのタイトルは『天使のbreath』とつけた。
『breath』は『息』。つまり仁と綾子が初めてメールで交わした会話の内容から取った。そしてその『息』には天使のように可愛らしい幼子の『息』も掛け合わせている。
テレビ局からこのタイトルでOKが出るかは謎だったが仁はとりあえずそのタイトルで進める事にした。
ドラマのヒロインは『映画監督』の元妻という設定にした。もちろん映画監督は松崎、そして元妻は綾子をモデルにしている。
内容は夫の交通事故と不倫、そして子供の死と離婚をそのまま忠実に描いた。ただ一つ変えた点がある。それは綾子の息子を娘に変更した。リアル過ぎても良くないだろうと思い仁は少し配慮を施す。
辛く悲しい描写は冒頭にほんの少しだけ描く事にしてあとはヒロインの再生と恋模様が中心だ。
一人軽井沢に移り住んだヒロインがある日メールを通じて一人の作家と出逢う。そこから二人が恋へ堕ちていく様子を思い切りロマンティックに描いてみた。
二人がメールのやり取りをするシーンには実際に仁と綾子がやり取りした内容を盛り込む。
ヒロインが住む町の図書館に本が寄贈されたり道の駅で偶然作家に出会うエピソードもそのまま取り入れた。
もちろん公園で作家がヒロインを思うシーン、そして作家からのメッセージを見てヒロインが号泣するシーンも切なく描く。
仁は毎日もの凄いスピードでキーボードを叩き続けた。どんどんアイディアが浮かび休憩を取る時間さえも惜しい。
集中して執筆を続けた結果仁はクライマックスまで一気に書き終えてしまった。そして漸くキーボードから手を離す。
その時久しぶりに室内が静寂に包まれた。
(フーッ、なんとか間に合ったな。いや、予定よりもかなり早く仕上がったぞ)
これなら脚本家の北山も多少余裕をもって脚本に起こせるだろう。
仁は両手を組んで上に持ち上げ思い切り伸びをする。ここ最近ずっとパソコンに張り付いていたので背中がガチガチだ。
その後首を振ってゴキゴキッと鳴らすと椅子から立ち上がりキッチンへ向かった。
仁はコーヒーを淹れながらキッチンに立ったままスマホでスケジュール表をチェックした。
(11月末の最後の土日で軽井沢へ行くか)
仁はすぐに綾子にメッセージを送る。
【11月の最後の土曜日に神楽坂先生と軽井沢へ行く事になったよ。良かったら三人で食事でもどう? 例の件で君に話したい事もあるし】
メッセージを送信した後仁は少し緊張していた。
もしここで綾子が拒否したらそこでゲームオーバーだ。書き上げたシナリオも今までのメールのやり取りも全てが無駄になる。それだけではない、仁の綾子への想いもそこでジ・エンドだ。
しかしここまで来たらもう後には引き返せない。とにかく前へ進むしかないのだ。
仁は不安な思いを抱える一方で実は少し手応えも感じていた。
それはここ最近二人の関係が一歩前進しているように思えたからだ。
あの日仁が公園の写真を送って以来綾子の反応が微妙に変化していた。
自分の事を信頼してくれている……仁はそう感じていた。
二人のメッセージのやり取りも更に密になっていた。
あの日の電話を境にほぼ毎晩電話で話すようにもなっていた。
電話では互いの趣味や嗜好、感性、考え方、そして生活スタイル等について少しずつ知る事が出来た。
そして仁が何よりも嬉しかったのは綾子が『God』について確実に興味を持ち始めているという事だ。綾子は最近『God』がどういう人物なのかを無意識に探ろうとしている節がある。いい兆候だ。
(どんどん俺を知りたくなれ)
仁は会うまでの間に綾子が自分にもっと興味を持ってくれるよう祈った。
その時家にいた綾子は『God』から来たメッセージをすぐに見た。
そして驚く。
(え? 『God』さんが軽井沢に? それも神楽坂先生と?)
綾子はいつか『God』と会う日が来るかもしれないと思っていたが、まさかこんなに早いとは想像もしていなかった。
おまけに『God』は作家の神楽坂仁と一緒に来るというのだ。
綾子は『God』がテレビや本の媒体を通じて何か仕掛けるのではないかと思っていたがその予想は当たっていた。しかしまさか有名作家の神楽坂仁と組んでいるとは思いもしなかった。
(まさかそんな大胆な事を……)
綾子は驚くと同時にこんな風に思う。
(神楽坂先生には迷惑がかからないのかしら?)
多少不安があったが綾子自身の気持ちは以前と全く変わらない。『人殺し』と『泥棒猫』には制裁を加えてやりたいと今でも思っている。
だから綾子は『God』が何を考え何を計画しているのかを知りたいと思った。
そこで綾子はすぐに返事を出した。
【神楽坂先生もいらっしゃるのですか? もしかしてあの件が先生の新ドラマに関係しているのでしょうか?】
【実はそうなんだ。先生に君の事を話したらいたく同情してくれてね。で制裁云々に協力してくれると言ってくれたんだよ。ただドラマの内容は君が想像しているような『復讐』ものではなく当初の予定通り『純愛』ものなんだ。凄く素敵なラブストーリーに仕上がったみたいなんだ。ただ君をモデルにして書いたから先生は君にざっと目を通してもらって君の許可が欲しいと言ってるんだ。テレビ局側からも君の許可を貰うようにと言われているみたいでね。だから先生に会って貰えないか?】
その時綾子は思った。
(『God』さんって本当に神なのかもしれないわ。だって編集者なのに神楽坂先生のテレビの仕事にまで首を突っ込めるんだもの)
綾子はびっくりしながらとりあえず返信を打ち込む。
【わかりました。そういう事なら是非伺います】
【助かるよ、じゃあ月末の土曜に夕食会という事で! 店はこちらで手配するから時間が決まったらまた連絡入れます】
【はい、よろしくお願いします】
そこで二人はやり取りを終えた。
綾子の心臓はドキドキしていた。
もちろん新ドラマの内容も気になってはいるがドキドキの原因はそれではなく『God』に初めて会うからだ。
普通の人間だったら有名作家の神楽坂仁に会う方が緊張するのかもしれない。しかし今の綾子にとっては『God』に会う方がより緊張する。
これまで綾子の救いとなってくれた『神』にいよいよ会えるのだ。今までどんな人だろうと色々想像してみたが想像だけではどうにも綾子のモヤモヤは晴れなかった。
それでもここ最近は『God』へ積極的に色々と質問をして彼の人となりを探るよう努力してきた。
彼に関して今綾子が知り得る事は、愛車がjeep、世田谷区在住、仕事は出版社の編集。そして最近綾子が手に入れた情報は『キッチンではトースターでパンを焼く事とカップ麺のお湯を沸かす事しかしない』『観葉植物を次から次へ買っては水を与え過ぎてどんどん枯らしてしまう』『散歩をして仕事の構想を練る』『朝食やブランチは駅前のカフェ「Moonbucks Coffee」で済ませる事が多い』『最近は忙し過ぎてジムに全く行けずに会費の払い損になっている』等だった。
以前よりはだいぶ彼の暮らしぶりが見えてきたがそれでもまだ謎が多い。
その謎の人物にとうとう会えるのだ。ワクワクしない訳がない。
(なんか凄く楽しみになってきたわ)
綾子はニッコリと微笑むと手元にあった紅茶を一口飲んだ。
その日の夜仁はパソコンで軽井沢の行きつけのレストラン検索する。
(お、あった)
月末の土曜日にレストランが営業している事を確認すると早速予約を入れる。
もちろん予約人数は『2人』だ。
そこでふと考える。
(当日本当の事を知ったらきっと怒るだろうなぁ。呑気な綾子ちゃんは『God』が神楽坂だと全然気づいてねーしなー。一発ビンタされるくらいの覚悟はしておかねーと)
仁は最悪の事態を想定する。
しかし例えどんなに殴られても蔑まれても綾子に会える喜びに比べたらそんな事は仁にとって大した問題ではなかった。
(どっちの車で行くかなー)
そこでまた仁は悩む。
(まーどうせその日に身バレするんだからjeepで行くかー)
仁はニッコリ微笑むとノートパソコンをパタンと閉じた。
一方、綾子はパソコンで神楽坂仁について調べていた。
神楽坂仁に会うのは二度目だが失礼のないよう彼について色々と調べておこうと思った。
ネットで検索をかけると膨大な情報がヒットする。
(有名作家なんだもの当然よね)
その中にいくつかのインタビュー記事があったので綾子は目を通してみる。
一つ目の記事は神楽坂仁が住んでいる街が企画したインタビューのようだ。
(え? 神楽坂先生も世田谷区なんだ)
その記事には神楽坂仁がよく出没する場所が載っていた。
例えば駅前のカフェ、蕎麦屋、書店、公園。いくつか紹介されている公園の中には砧公園も含まれていた。そしてその公園に併設されている美術館も紹介されている。
(あれ? 『God』さんが行く場所とほとんど同じじゃない? 二人の住まいが近いって事は私生活でも仲がいいのかしら?)
不思議に思った綾子は更に記事を読み進める。そこにはこんな事が書かれていた。
『緑が好きでつい駅前のフラワーショップで観葉植物を次々と買ってしまうんですよー。でもいつも水をやり過ぎてすぐに枯らしてしまうんです。いやー俺って過保護過ぎるのかなぁ?』
『普通は水をやるのを忘れて枯らすんじゃないですか? それなのに神楽坂先生は逆なんですね。ハハッ、きっと先生は恋人や妻を甘やかすタイプなんでしょうねー』
『うん、それは友人にもよく言われますねー(笑)』
(植物の枯らし方まで『God』さんと一緒なの? そんな事ってある?)
このインタビュー記事はかなり古く5年前のものだった。
そこで綾子は違うインタビュー記事も読んでみる事にした。
『先生の小説には料理のシーンがよく描かれていますがご自身でもお料理はされるのですか?』
『はい、まー私の得意料理と言えばトースターでパンを焼く事とカップラーメンのお湯を沸かす事くらいかなぁ? その二つはばっちりプロ級ですよ(笑)』
『まぁ、先生ったらご冗談を!』
『ハハハ(笑)』
「…………」
そこで綾子はハッとする。
(『God』さんが神楽坂先生……なの?)
綾子はかなり気が動転していた。
(ううん、そんな事ないわ。だったら道の駅で会った時にそう言ってくれただろうし)
綾子は頭の中で二人が同一人物ではないと否定しようとしたがきっぱりと否定するにはかなり無理があるようだ。
綾子は深呼吸してからもう一度『God』の人物像を思い浮かべた。そこをちゃんとチェックすれば何かわかるはずだ。
職業がフリーランスと言っていたのは……作家だから?
図書館に本を寄贈してくれたのは……本人だったから?
隼人の制裁を全て任せて欲しいと言ったのは……自分で書く予定だったから?
砧公園の写真を送ってくれたのは……散歩に行き小説の構想を練っていたから?
そこで綾子はもう一つハッと思い出した。それは車の事だ。編集者の『God』が高級外車のjeepに乗っているのに有名作家は国産のSUV車に乗っていた。そこに綾子はずっと違和感を持っていた。普通は逆だろう? そこでこう結論付けた。
2台とも神楽坂仁の車だとしたら?
(そう考えると腑に落ちるわ)
綾子はそこで『God』が神楽坂仁と同一人物だという確証を得る。
その瞬間綾子の瞳から涙が溢れてきた。
(私を救ってくれたのは最初から作家の神楽坂仁だったのよ。彼は身分を隠してずっと私に寄り添ってくれていたんだわ)
綾子の脳裏には『God』から初めて届いたメール、そして図書館への寄贈など『God』との初期の頃の思い出が蘇って来た。
あの時の事を思い出すと更に涙が溢れてくる。
綾子をずっと支えてくれていたのは自分が尊敬する作家本人だったのだ。
泣きながら綾子はその事実にホッとしている自分に気付いた。
コメント
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扉絵が2人が寄り添って歩く姿に変わりましたね✨見てるだけでキュンキュン🫰❤️でときめいちゃいます〜(*☻-☻*)🎶💞
ドラマのための純愛モノを書き終え、綾子さんに逢って自分の正体を明かすことを決意した仁さん。 そして、辛く苦しい時にずっと寄り添ってくれたGodさんが 実は自分の心から尊敬する作家であったことに気づいた綾子さん....😭💖✨ 二人共きっと、 早く逢いたくて ドキドキしていることでしょうね💓 私も 嬉しくて😢ドキドキ キュンキュンが止まりません🥺💕💕 あぁ~❤️明日の更新が待ち遠しい....✨
うぅぅぅ(˶߹꒳߹)綾子さんのホッとした。今日はこれに尽きる。この気持ちにもう🥹 よかったね綾子さん。Godさんが憧れの仁さんでずっと支えてくれてた、これからも側に、そしてお互いかけがえのない人です。 会った時の2人の初言葉は、 「こんばんは、God仁さん綾子です」 「こんばんは、綾子さんGod神楽坂仁です」 「「逢いたかったです、ずっと」」 なんだろう…もう泣いちゃうよぉ〜。