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眠狂四郎
夜明けとともに、黄金の光が大河を照らした。
ガイア川の水面は朝日に輝き、まるで溶けた金が流れているようだった。
川辺では漁師たちが舟を押し出している。
長い櫂が水を切り、白い鳥が空へ舞い上がった。
その向こうには、どこまでも続く黒い土の畑。
麦が風に揺れ、
亜麻が青い花を咲かせている。
大河から離れれば世界は赤い土だった。
乾いた砂の海。
焼けつく太陽。
だがガイアの恵みが届く場所だけは違う。
そこには豊かな実りがあり、人々の暮らしがあった。
農夫たちは歌いながら水路を整え、
女たちは果物を籠へ集める。
子供たちは裸足で駆け回り、
老人たちは木陰で神々の昔話を語っていた。
市場は朝から賑わっている。
南から運ばれた香料。
象牙。
金細工。
色鮮やかな布。
商人たちの呼び声が響き、
人々の笑い声が絶えない。
誰もが知っていた。
この豊かさは女神の祝福であると。
王都の中央には巨大な神殿がそびえていた。
白い石で築かれた神殿は、
朝日を受けて眩しく輝く。
何十本もの柱には太陽の紋章が刻まれ、
その頂には黄金の円盤が据えられていた。
神官たちは白い衣をまとい、
香を焚きながら祈りを捧げる。
「偉大なる母なる神よ」
「今日も我らに光を」
「今日も我らに実りを」
祈りの声が神殿に響く。
その奥。
黄金の玉座に、座れるのは一人の女王。
太陽神ラーの化身の末裔のみである。
黒曜石のような瞳。
黄金の冠。
背後には翼を広げた太陽の紋章。
彼女が立ち上がると、人々は一斉に頭を垂れた。
争いを好まぬ国。
豊穣と交易の国。
黒い土に育まれた太陽の王国。
それが南の国――ラーの国であった。
伝説によれば――
その少女は砂漠でハヤブサを飼い、
自由に空まで駆けるような狩人であった。
王でもなく、
神官でもなく、
ただ太陽の下を生きる一人の娘。
ある日、
少女は天空より天啓を受けた。
その左目に、
太陽神ラーの力が宿ったのである。
少女が祈れば、
乾いた大地から水が湧き出た。
少女が手をかざせば、
赤く荒れた土地に緑が芽吹いた。
砂漠は麦畑へと変わり、
枯れた川は命を運ぶ大河となった。
人々は驚き、
そして跪いた。
「あれこそ太陽神の化身だ」
「太陽の娘だ」
「神が遣わした女王だ」
やがて少女は王冠を戴く。
赤き土地を黒き土地へ変える者。
豊穣をもたらす者。
南の国の最初の女王。
その名は忘れられた。
だが人々は後の世まで語り継ぐ。
――太陽神ラーの名を。
ガイア河流域の肥沃な大地を抱くイージプ王国。
毎年あふれる豊かな水は大地を潤し、
人々は飢えを知らなかった。
黄金の麦畑。
果実の実る果樹園。
巨大な神殿と石造りの都市。
その繁栄は大陸中に知られていた。
だが――豊かさは時に災いを呼ぶ。
近年、西のグラン王国は南下を続け、
東の海を支配するエスカ王国もまた、
ガイア河の富へと目を向けていた。
二つの強国に挟まれたイージプ王国。
その運命を担うのは、
まだ少女の面影を残す若き女王――
シャチトルであった。
後世の歴史書には、
「絶世の美女」
と記されることの多い女王である。
しかし彼女の真価は、
その美貌ではなかった。
二つの強国に挟まれた祖国を守るため、
シャチトルはこの難局に立ち向かわねばならなかった。
「夢をみたわ」
「どのような夢でございますか」
イモホテップが静かに尋ねる。
「鳥がお腹を押さえて倒れているの」
「ほう」
「それでね」
「隼が近づいて助けようとするのだけど」
「ライオンが邪魔をするの」
シャチトルは首をかしげた。
「変な夢でしょう?」
イモホテップはしばらく考え込み、やがて口を開く。
「鳥は知恵の神トトかと」
「知恵……」
シャチトルは目を細めた。
「人の国、グラン王国で何か起きたのかしら」
「あり得ますな」
老神官はうなずく。
「隼は天空神ホルス」
「すなわちラーの血を引く我ら王家を指すのでしょう」
「じゃあライオンは?」
「戦と破壊の女神セクメト」
その答えに、シャチトルは少し眉をひそめた。
「知恵が傷つき」
「私たちはそれを助けようとする」
「でも戦が邪魔をする……?」
「そのようにも読めます」
イモホテップは慎重に言葉を選ぶ。
「ですが神託は謎かけでございます」
「解釈を急げば、かえって神々の意図を見失いましょう」
シャチトルは窓の外を見た。
ガイア河の向こうでは、朝日が神殿を黄金色に染めている。
「……嫌な予感がするわね」
「私もでございます」
イモホテップは静かに答えた。
「知恵の神が傷つく夢など、吉兆ではありますまい」
「申し上げます!」
玉座の間の扉が勢いよく開かれた。
駆け込んできた伝令は片膝をつき、息を切らしながら叫ぶ。
「グラン王国にて変事が勃発!」
「何ですって!?」
シャチトルは立ち上がった。
「国内で内乱が発生!」
「その混乱に乗じて軍勢が南下しております!」
玉座の間がざわめいた。
貴族たちが顔を見合わせる。
将軍たちの表情も険しい。
「……!」
シャチトルは思わずイモホテップを見る。
先ほどの夢。
傷ついた知恵の神。
戦を象徴するライオン。
嫌な予感が胸をよぎった。
「イモホテップ!」
「はっ」
「急いでバルカ将軍を呼んで!」
「今すぐよ!」
「かしこまりました」
老神官は深く頭を下げる。
だが、その目にはわずかな憂いがあった。
「どうしたの?」
シャチトルが尋ねる。
イモホテップは静かに窓の外を見た。
遥か西。
砂漠の彼方を見つめるように。
「災いは西から飛んで来ましたな」
その言葉に、玉座の間は静まり返った。
コメント
1件
わあ、素敵な世界観ですね……! ガイア川の朝焼けから始まる描写が美しくて、まるでその場に立って金色の水面を見ているようでした。特に「溶けた金が流れている」という一文に心を奪われました。伝説の少女が砂漠を緑に変えた話もぐっときます。そして女王シャチトル、まだ少女の面影を残しつつ国を背負う存在として登場してきて、夢の象徴と現実が重なる展開に引き込まれました。次が気になります!🌙