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#戦乙女
「神は目の前の二つの供物を見て、こう言いました」
家庭教師アウストラリアは古びた巻物を閉じた。
「――“イアペトスの息子よ。万王の中でも抜きん出た君。
ああ、なんと不公平に分け前を分けたことか”」
ライナー王子は考えていた。
なぜプロメテウスは神様と人間の供物の分配を
肉と骨に分けたのか、
考えてもわからなかったが。
窓から差し込む朝日が、教室の石床を照らしている。
ライナー王子は顎に手を当てた。
「つまり……神様は騙されたのですか?」
アウストラリアは微笑む。
「そうなりますね」
「神が?」
「ええ」
王子は少し考え込んだ。
「でも、おかしいです」
「なにがですか」
「神なら全部知っているはずでしょう?」
その言葉に、教師は目を細めた。
「良い質問です」
そして再び語り始める。
「この出来事こそが祭祀の起源です」
「人は肉を食べ、骨を燃やして神々へ捧げるようになりました」
「しかし神の怒りは消えなかった」
「食べ物の恨みですもんね」
「神は報復として、人類から最も重要なものを奪います」
ライナーは身を乗り出した。
「最も重要なもの?」
教師は静かに答えた。
「火です」
「神はプロメテウスの弟エピメテウスに命じました」
「生き物たちへ、それぞれ生きる力を分け与えよと」
ライナー王子は熱心に耳を傾けていた。
「エピメテウスは動物たちへ贈り物を与えました」
「獅子には牙を」
「鷲には翼を」
「狼には鋭い嗅覚を」
「熊には強靭な肉体を」
「鹿には俊足を」
「北の獣には厚い毛皮を」
教師はそこで一度言葉を切る。
「全てを分け与えた後、」
「最後に残ったのが人間でした」
ライナーは眉をひそめる。
「何も残らなかったのですか?」
「ええ」
教師は静かに頷いた。
「人間は裸でした」
「牙もなく」
「爪もなく」
「翼もなく」
「毛皮もなく」
「寒さに震え」
「獣に怯え」
「夜を恐れていたのです」
窓の外から鍛冶場の槌音が聞こえる。
カン、カン、と。
教師はその音へ耳を傾けながら続けた。
「そこでプロメテウスは人間を哀れに思いました」
「そして神々から火を盗んだのです」
「火?」
「そうです」
「火は暖を与え」
「鉄を鍛え」
「闇を払い」
「獣を遠ざける」
「そして何より――」
教師は王子を見つめた。
「人間に知恵を与えました」
「覚えておきなさい、ライナー王子」
「我々は他の国とは違います」
王子は顔を上げた。
教師は窓の外に広がる街を見つめる。
煙突から煙が上がり、
鍛冶場の槌の音が響いている。
「北の民は雷神を崇め、」
「南の民は太陽神を崇め、」
「東の民は海神を崇めます」
「ですが我々は違う」
教師の声は静かだった。
「我々の祖先は神に従わなかった」
「神を恐れず」
「神に反逆し」
「火と技術をもって、この国を築いたのです」
ライナーは息を呑んだ。
それは神話で聞く英雄譚よりも、ずっと危うい言葉だった。
「では……神々は我々を嫌っているのですか?」
アウストラリアは微笑む。
「さあ、どうでしょう」
「ですが人は神の許しを待って文明を築いたわけではありません」
「火を起こし」
「鉄を打ち」
「船を造り」
「畑を耕した」
「すべて人の手で成し遂げたことです」
「それで、プロメテウスはどうなったのですか?」
ライナー王子は身を乗り出した。
アウストラリアは穏やかに微笑む。
「人類に火をもたらした偉大な神として、今も天界におられます」
「天界で?」
「ええ」
「人類の歩みを温かく見守っておられるのですよ」
ライナーはほっとしたように笑った。
「よかった」
「神様に怒られてしまったのかと思いました」
アウストラリアは少しだけ視線を窓の外へ向ける。
遠い空を見るように。
「さて……それはどうでしょうね」
人の国グラン王国は、
四つの国の中で唯一、
神を祖先に持たぬ王が治める国である。
二人の兄弟が狼に育てられたという建国神話を持ち、
現在は若きライナー王が王座についていた。
朝日を浴びた石畳の道を、人々が絶え間なく行き交う。
白いトーガをまとった元老院議員。
荷車を押す商人。
桶を抱えた奴隷たち。
通りには焼きたてのパンの香りが漂い、露店では果物や魚が声高に売られている。
水道橋から引かれた清水が街中を流れ、人々の暮らしを支えていた。
遠くには赤い瓦屋根が連なり、その向こうに巨大な神殿の列柱がそびえる。
丘の上では金色の鷲を掲げた軍団兵たちが整列し、陽光を受けた鎧がまぶしく輝いていた。
世界の中心――永遠の都グラン。
人々は信じていた。
この都は滅びない。
神々が争おうと、
蛮族が押し寄せようと、
グランだけは永遠に栄え続けるのだと。
このグラン王国を強国へと押し上げた功労者は、
一人の軍人だった。
その名をジュリアス。
幾度もの遠征で王国の版図を広げ、街道を整備し、
水路を築き、法を整えた男である。
人々は彼を英雄と呼んだ。
王国の繁栄は彼なくして語れない。
無論、野心がなかったわけではない。
王となる機会もあった。
だが彼の関心は権力そのものではなかった。
人はどこまで進歩できるのか。
文明はどこまで高みに到達できるのか。
それこそが彼の生涯の問いだった。
そして今。
ジュリアスは、その答えを若き王に見ていた。
ライナー王。
神の血を引かぬ王。
それでいて誰よりも人の可能性を信じる男。
老人となった英雄は、静かに王宮への坂道を登る。
朝日に照らされた白い大理石の宮殿が、その先にそびえていた。
「さて」
ジュリアスは小さく笑う。
「王よ、人はいよいよ神のもとを離れますぞ」
そう呟きながら、王宮の門をくぐった。
コメント
1件
第4話、めっちゃ良かったです…!🔥 神話の授業から“人の国”のアイデンティティが浮かび上がってくる構成がエモすぎる…!プロメテウスが火を盗んだ話、ライナー王子が「神様に怒られたのかと思った」って言うシーン、アウストラリア先生の“さて…それはどうでしょうね”で全部ひっくり返る感じが鳥肌立ちました😭💕 ジュリアスさんのラストのセリフも熱い…次話が待ち遠しすぎる!