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「奈美ちゃん。何か言いたい事があるんだろ?」
落ち着いた低音の声からは、豪の感情が読み取れない。
それだけ奈美は、自分の事で、いっぱいいっぱいになっていた。
彼の視線に、彼女が突き刺されているのが、よく分かる。
槍のような鋭い眼差しを引き抜くのは、今しかないのだろう。
小さく震えながら吐き出された、奈美の吐息。
先ほどまで溢れそうだった涙は、瞼の奥に引いたようだ。
(もう……これで最後になっても構わない……)
奈美は、ためらいながらも顔を上げて、豪に向けた。
「この三ヶ月間、エッチなSNSで知り合い、私の要望を叶えてくれた豪さんには、すごく感謝してます。それに……豪さんと一緒にいる時間は…………とても楽しかったです……」
彼は脚と腕を組み換えながら、奈美を見据え、黙ったまま聞いている。
「出会ったばかりの頃、お互いの事を下の名前以外、何も知らなかったからこそ、口淫するだけの関係で良かったと思うんです」
「…………」
「でも、身バレした今、この関係を続けていくのは、どうなんだろうって、職場で偶然豪さんに会ってから、ずっと思ってて……」
彼は、残ったコーヒーを一気に飲み干してカップを置き、また腕を組んだ。
「もう、この関係をキッパリ終わりにして…………出会う前の豪さんと私に戻った方がいいと思うんです」
奈美の言葉に、豪の眉間に少しずつ皺が刻まれていくのが見えた。
——これ以上関係を続けたら、あなたへの想いが更に大きくなって、止まらなくなるから。諦めきれなくなるから。
口には出さず、奈美は心の中で繋げた。
店内の音楽が、同じくアンドレ・ギャニオンの『ひたむきな愛』に変わっている。
一途に想い人へ心を寄せ、歌い上げる旋律が、どこか切ないピアノソロ。
この曲も、奈美の大好きなピアノ曲のひとつだ。
旋律を耳で追いかけている時、豪が引き締まった表情を見せると、腕と脚を解き、黙ったまま立ち上がる。
伝票を掴んだ後、奈美は豪に手首を掴まれ、立たせられた。
「行くぞ」
彼は、視線を前に向けたままカフェを出る。
「ご……豪さん?」
「…………」
何かを決心した豪は、真っ直ぐに前を見据え、奈美の呼び掛けに答えず、指を絡めさせながら歩き続けていた。