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めっちゃ面白いです。止まらない💦
涙が止まらなかった。
自分から龍也に別れを告げたのに、着の身着のままで駆け付けてくれた彼の気持ちが嬉しかった。
『俺も子供が作れない身体だったら――』
そんなことまで言わせた自分が、情けなかった。
これは、罰だ。
龍也の優しさに甘えた、罰。
青ざめた顔で、微かに涙を浮かべて背を向けた龍也が、瞼の裏から消えない。
抱えきれない悲しみに、私は千尋の番号を呼び出していた。
誰かに、聞いて欲しかった。
誰かに、責めて欲しかった。
誰かに、慰めて欲しかった。
『あきら?』
「――っ、千尋……」
『どうした?』
隠そうと堪えても、どうしても声が震える。千尋はそれに気付いたと思う。
「龍也と……別れた」
『え?』
「友達に戻ろう、って言った」
『どうして急に――。ちゃんと話し合ったの?』
電話越しじゃ伝わるはずもないのに、私は首を振った。
『龍也はなんて?』
「恋人が出来たって……言った」
『は?』
「結婚も考えてる……って言った」
『嘘ついたの!?』
「嘘じゃない」
私は勇太と会ったこと、勇伸さんと会ったこと、勇伸さんと付き合うことにしたことを話した。千尋は相槌を打つだけで、黙って聞いていてくれた。
「勇伸さんが無精子症だって聞いて、もう子供を産めないことに卑屈にならずに済むって思って……」
『えっ!? マジで?』
勇伸さんが無精子症であることに、さすがに千尋が驚きの声を上げた。
『本当にいいの?』
「うん……」
『全然、良さそうな声じゃないけど?』
「……」
答えようがなかった。
龍也に別れを告げて、これだけ不安定になっているくせに、前を向いて大丈夫だと言い切れるはずがない。
『龍也はなんて?』
「ずっと私だけだった、って」
『え?』
「私とスルようになってから、他の女を抱いたことはなかったって」
『え――、マジ?』
最初は、本当に割り切った付き合いをしているつもりでいた。
勇太と別れて龍也とセックスするようになって半年くらいして、私は偶然再会した大学で同じ学部だった同級生と付き合うことにした。いつまでも勇太のことを引きずっていたくなかったし、龍也を縛り付けておくのも良くないと思ったから。
あの頃は、龍也との間にルールなんかなくて、単純にセフレのつもりだった。
私が、恋人が出来たと告げると、龍也は少し驚いて、それから少し寂しそうに笑って、『またな』と言った。
次に龍也と会ったのはひと月くらい後のOLCの飲み会。
私は恋人にお腹の傷のことを聞かれて、子宮を摘出したことを話した。すると、恋人は薄気味悪い笑みを浮かべて、『生でしていいってことだよな?』と聞いた。
私は硬くなった彼の股間を蹴り上げ、ホテルから逃げ出していた。
私が恋人と別れたと知り、龍也は飲み会の後で私の家に来た。
『俺も今、ちょうどフリーだから』
龍也はそう言って、私を抱いた。
そして、気づいた。
龍也は、私が妊娠する心配がないとわかっても、ゴムを着けなかったことはない。
『恋人がいたの、嘘だったってこと?』
「そう……みたい」
『あ……、けど、そういえば龍也って、『恋人がいる』とか『彼女が出来た』とかハッキリ言ったこと、なかったよね。私たちが聞くと、『まぁ、それなりに?』とか『好きな女がいる』とかは言ってたけど』
龍也と、お互いに恋人がいない時だけ友達、なんて関係になってから、一緒にOLCの飲み会に参加しなくなったのは、私が龍也の恋バナを平気な顔で聞いていられなかったから。
要するに、逃げた。
『さすがに……、龍也がそこまで本気で入れ込んでるとは……』
「……」
本当は、気づいていた。
私が恋人と別れたと知らせると、翌晩には会いに来た。
『ちょうど、俺もフリーになった』とか『いい感じだと思ってた子に振られた』とか言っていたけれど、タイミングが良過ぎると思っていた。
久し振りに会うと、かなりがっついてシたがるのも、気になっていた。
今なら、わかる。
龍也は、私と『他人』でいる間、それがひと月でも半年でも、女を抱いていなかった。
そりゃ、がっつくはずだ。
そして、私もまた、求められるままに受け入れた。
だって、私も――。
『けど、あきらは恋人がいた時期もあったでしょう? それは――』
「シてない」
『え?』
「何人かと付き合ったけど、誰ともセックスはしてないの」
『ええ!?』と、千尋が声を上げた。
『あ』と、短く男の声がした。
千尋の相手、比呂さんだろう。
今頃、千尋の都合も構わずに長電話していることを申し訳なく思った。
「付き合ったって言っても、セックスの前に妊娠できないことを話してたから、半分は結婚して子供も欲しいから別れたいって言ったし、半分は生で出来るって涎を垂らしてたしで――」
『――で、龍也のところに戻ってたの? それって――』
「わかってる! わかってるから……」
何度も、身体を開こうとした。
龍也との不毛な関係を終わらせるために、他の男とセックスしようとした。
けれど、どうしても出来なかった。
他の男に抱かれたら、龍也の元に戻れない気がして。
『わかってるのに、龍也を突き放したの?』
「……」
わかっていても、どうしようもない。
『そこまで龍也が好きなのに、他の男と結婚なんて出来るの?』
「…………」
好きでも、どうしようもない。
『あきら! いつまで悲劇のヒロインぶってんのよ!!』
「千尋にはわかんないでしょ!」
私のいじけた態度にしびれを切らした千尋の言葉に、思わず私も声を荒げた。
「結婚もしない、子供もいらない千尋には、わからない!!」
子供を欲しくない、のと、子供が欲しいのに持てない、のとは全然違う。
私は、子供が欲しかった。
好きな男性の子供を、産みたかった。
『わからないわよ。私はあきらじゃないもの。だけど、龍也とあきらが本気でお互いを大事に想ってることは、わかる。絶対、龍也以外の男とは幸せになれないのに、それを認めて龍也を受け入れないあきらがバカなことも、わかる』
「ふ……っ」
言われなくても、わかってる。
勇太と別れてから、何人かの男と付き合って、その数の分だけ別れてきた。それでも、一度も泣いたことはない。
いつも龍也が、私の代わりに怒ってくれた。
龍也がいてくれて、私は一人じゃないと安心できた。
『明日、龍也がぽっくり死んじゃっても後悔しない?』
『はっ!?』
私より先に、比呂さんが声を上げた。
『龍也のことだから、今わの際にあきらの名前を呼びそう』
「……」
いきなり、龍也が死ぬとか、今わの際の話をされても、考えが追い付かない。
『あきらの本心を聞けずに死ぬなんて、死にきれなくて化けて出るかもね』
「何が言いたいのよ……」
千尋の言い草に、少しムッとした。そのお陰で、涙はすっかり止まっている。
『龍也が成仏できるかどうかは、あきら次第ってことよ!』
「意味わかんないから!」
『後悔するなってこと! 後は自分で考えろ、バカあきら!!』
「――っ! バカって――」
既に電話は切れていた。
「何なのよ、もうっ!」
私はスマホをソファの上に放り投げる。
龍也が死ぬとか、成仏とか、縁起でもない――!
私はドタバタと洗面所に行くと、冷水で顔を洗った。泣き過ぎて瞼が重い。
顔を拭いたタオルを冷水で濡らし、ソファに座って顔を上げ、タオルを瞼の上にのせた。
龍也が死んだら――。
千尋の言葉を思い出し、考えた。
私はよく、龍也に抱かれている最中に思っていた。
『このまま世界が滅べばいいのに……』
それは、龍也と繋がったまま死ねたら、龍也の私への想いが永遠になるから。
つまり、私を好きなまま、龍也が死んでも同じことか……?
千尋の言いたいことはわかっている。
龍也の気持ちがいつまで続くかを疑っても、答えは出ない。
一、龍也が死ぬまで変わらないかもしれない。
二、すぐに変わるかもしれない。
三、私が先に死んだとして、その後で他の女を好きになるかもしれない。
一なら、嬉しい。
二なら、悲しい。
三なら、三だと私が何かを感じるはずもない。
ホント、バカ……。
結局、私は怖いのだ。
だって、龍也に捨てられたら、きっと、生きていけない。
生きていたくない。
そんな自分が、堪らなく怖い。