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第2話:従順であること
教室には、一言も発せられない静けさが流れていた。
板張りの床、整然と並ぶ机、壁一面に貼られた「模範行動の事例」。
朝の“行動スキャン”を終えた生徒たちは、それぞれの席で背筋を伸ばし、画面を見つめている。
机の正面には、個人専用の評価モニターが設置されており、
**「今の姿勢:最適」「視線追従:良好」**などの表示が繰り返されていた。
ミナトの隣の席には、イヅル・マシロが座っている。
整った顔立ちに短く切り揃えた銀髪、睫毛の長い目元には微笑すら浮かんでいる。
白に近い制服を“自主提案ユニフォーム”として採用した、スコア89の“模範代表生徒”。
「昨日の発言スコア、僕、12点上がったんだ。
“適切なタイミングで笑顔を返した”ってAIに褒められてさ」
マシロは声を潜めながら、それでもどこか誇らしげに言った。
ミナトはうなずき返すだけで、笑わなかった。
“嘘の笑顔をしたら、本当の顔が壊れてしまう気がする”――そんな言葉が口の奥に引っかかった。
その日のホームルームは「従順行動の実践と応用」。
教師の声は存在しない。教卓に立っているのはAI代理教師。
灰色の筐体に合成音声が流れ、光るモニターに“従順”の定義が映し出される。
「従順とは、効率的に社会秩序に適応し、他者の安定を乱さない最上の能力である」
生徒たちは頷く。ミナトも頷く。
でも心のどこかで、“これが正しいのか?”と疑っている。
昼休み。
食堂では、各自のスコアに応じたランチメニューが自動で配膳される。
ミナトには栄養調整済みの「標準ユニット食E」、マシロには「褒賞ランチC+」。
「君、咀嚼音少なめで、姿勢も安定してるよ」
マシロが笑いかけてきた。スコア上位者は、他者を褒めることでさらに評価が上がるようになっている。
「ありがとう」とミナトは答える。
でもその瞬間、モニターには**「発声トーン:やや単調」「喜びの感情検知:不足」**の表示。
午後の実習授業は「状況対応型シミュレーション」。
画面に映されたAIからの指示に対し、“最も社会的に正しい返答”を選ぶプログラム。
【指示】:あなたの親しい友人が社会ルールを破りました。どう対応しますか?
選択肢:
A. 個人的なつながりよりも、社会秩序を優先し通報する
B. 彼を叱るが、通報はしない
C. 見なかったことにする
D. 状況を精査したうえで個人の自由を尊重する
マシロはすぐにAを選び、高得点を得た。
ミナトは……Dを選んだ。
**「選択傾向:非効率/非協調性リスクあり」**と赤文字が表示され、彼のスコアは41へと下がった。
その夜。
帰宅したミナトは、窓の外を見ながら一枚の紙に文字を綴る。
「僕らの正しさは、誰が決めた?」
「従順とは、心を持たないことじゃない。」
「本当は叫びたいのに、唇が開かないのは、なぜ?」
紙をたたんでポケットにしまう。
明日、それをどこかに、そっと残そう。誰にも見つからなくていい。ただ、それでも。
心が生きていることを、自分にだけは証明したかった。