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第3話:詩を書いた少年
廊下の壁には、**「音声伝達は最小限に」**という標語が貼られていた。
それはあまりに日常的で、生徒たちの誰もが目に留めることさえしない。
その日、ミナトは学校裏の倉庫に忍び込んでいた。
床に座り、手にしたのは小さなノートと一本のインクペン。
ペン先から、黒いインクがじわじわと紙を染める――
古い、時代遅れの“手書き”。
彼の文字は美しくはない。少し崩れた筆跡には震えと迷いが混じっていた。
でも、そこにはどんなAIにも出せない**「不安定な人間の証」**があった。
> 「黙って生きろと言われてるようで、
> つい、文字にしてしまう。
> それは、誰にも聞こえない“声”だから。」
彼は自分自身に対して、確かめるように、言葉を綴る。
放課後。
生徒たちが無言で帰路につく中、ミナトはひとり、下校ルートを外れて空き公園に立ち寄った。
公園のベンチには誰もいない。
草はAI清掃ドローンによって“均一に”刈られており、風景に“偶然”は存在しない。
唯一不規則なのは、ミナトの靴紐のゆるみと、スコア表示の点滅音だけだった。
遠くで笑い声がした。
見れば、二人の女子生徒が校則違反の“布のリボン”を髪に巻いて歩いていた。
そのうちのひとり、ナナ・イズミ。栗色の髪をゆるく結い、制服の袖はわずかにまくっている。
彼女のスコアは58。微妙な評価帯に揺れる存在。
ナナはふとミナトに目を留めたが、何も言わず、そのまま通り過ぎていった。
だが、その一瞬――彼女の目に「何かを知っている光」が宿ったように感じた。
夜。
家の照明はスコア連動型で、自室の明るさもAIによって制御されていた。
だがミナトは、ブラインドを閉め、こっそり手元だけを照らす小さなライトを使っていた。
ベッドの下から、祖父の遺した小さな箱を取り出す。
中には、黄色く焼けた数枚の紙と、古びたレターセット。
その紙の一つには、こう書かれていた。
> 「言葉は、“効率”のために生まれたんじゃない。
> 誰かの心に触れるために、生まれたんだ。」
祖父の筆跡は、どこかミナトのそれと似ていた。
彼はまだ小さかったが、その手で文字を覚えた記憶は鮮明だった。
次の日。
ミナトは自分の詩の一篇を、校舎裏の掲示板の隅に、こっそり貼りつけた。
> 「音のない日々の中で
> 名前もない感情が、
> 指先のすき間から、こぼれていった。」
誰かが見るかもしれない。誰にも見られないかもしれない。
でも、彼にとってそれは、存在の証明だった。
そして、まだ知らなかった。
それを読んだ“誰か”が、静かに心を揺らし始めていたことを。