二人は電車で桜木町まで移動した。
そして駅を出るとそのまま海斗のイベントが開催される場所へ移動する。
途中『動く歩道』から観覧車や日本丸、ホテル群など横浜らしい景色が見えた。
ここからの景色は夜が最高だ。
美月は今日ここに来たのが昼間なので少し残念に思う。
桜木町ロイヤルタワーに入ると、亜矢子が受付にイベントの場所を聞きに行ってくれた。
チラシを手に戻って来た亜矢子はびっくりした顔をして美月に言う。
「イベントっていうから私てっきりこの中央広場でやるのかと思っていたけれど違うみたい。ホールの方でやるんだって。これ
って多分チケットがいるやつだよ。って事は私達すごくラッキーかも!」
亜矢子は興奮していた。
「そうなの? じゃあファンの人達がほとんどなのかな?」
「多分そうよ。こういうちょっとしたイベントのチケットもなかなか手に入らないって、昔うちの姉貴がぼやいていたからね
ー。今日の事を話したら発狂されそう」
亜矢子は嬉しそうにニコニコしている。
美月がそのチラシを見ると、このイベントは夏に開催されるロックフェスティバルのPRイベントのようだ。
今日は海斗のバンドの他に二組、有名バンドが参加するらしい。
「もうちょっとオシャレしてくれば良かったー。そうだ、まだ時間があるから洋服買って着替えちゃおうかな?」
亜矢子がそんな事を言ったので、美月は笑いながら言った。
「そこまでしなくても、亜矢子はいつもお洒落で素敵だから大丈夫だよー」
そう言いながら、美月の方こそ着替えたいと思っていた。
今日美月はスカートを履いているとはいえ、カジュアルな服装だ。
今まで海斗に会った時はいつもジーンズ姿だったので、それとほぼ変わらない。
ミニコンサートに行くとわかっていたら、もうちょっと違う服を着て来たのにがっかりする。
落ち込んでいる美月に気づいた亜矢子は美月を励ます様に言った。
「美月のスカート姿久しぶりに見たよ。良かったねぇ、今日はちゃんとした格好をしてきて」
「あー、それっていつもはひどい格好って言いたいんでしょう?」
美月は拗ねたふりをする。すると亜矢子が、
「拗ねないでー、今日の美月はかわいいんだから大丈夫!これなら沢田さんもメロメロだよー」
と最後は冗談めかして言った。
この日の美月の装いは、上品なベージュのタイトロングスカートにリネンの黒のブラウスを着ている。
黒は美月にとても良く似合う。
背が高くスレンダーな美月には、実はこういったシンプルな服装が一番似合うのだ。
しかしその事に本人は全く気付いていない。
今日美月がスカートを選んだのは、一児の母になってもお洒落に手を抜かない亜矢子を見習っての事だ。
亜矢子は結婚してからもいつも努力をしていた。
育児、家事、そして女性であり続ける事にも努力を惜しまない。
亜矢子のこういった努力を夫の浩もわかっているので二人はいつも仲睦まじい。
美月は亜矢子のそんなところを尊敬していた。
一方美月はと言うと、離婚後すっかりお洒落に興味を失くしていた。
いや、失くしたというよりはあえて地味に目立たないように生きて来たと言った方が正しいかもしれない。
そういう生き方の方が居心地が良かったし自分に合っていると思っていた。
だから今日久しぶりにスカートを履いてみようと思った事は、美月にとってかなり大きな心境の変化だった。
イベントの時間まではまだ一時間ほどあったので、二人はショッピングをする事にした。
店から店へ渡り歩いていた時、通路で美月達と同年代の女性の集団とすれ違った。
その中の一人がすれ違いざまに言った。
「今日はナマ海斗に会えるー!」
「嬉しいー!」
その会話を聞いた美月は、改めて海斗が有名人だという事を認識する。
イベントが始まる時刻が近づくと、二人はお化粧室に寄ってからイベントホールへ向かった。
ホールの入口には黒いスーツの紳士的な男性が立っている。
美月が名前を伝えると、
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
と言って、二人を会場の中へ案内してくれた。
ホールの中には椅子がびっしりと並べられ、ほぼコンサート会場のようだった。
美月と亜矢子が案内の男性について行くと、最前列のほぼ真ん中の席に座るように言われる。
美月は案内の男性にお礼を言ってから亜矢子と着席した。
そこで亜矢子が美月の耳元で言う。
「なんかビップ待遇で気分いいね」
亜矢子は嬉しそうだった。
美月がさりげなく会場内を見回すと、観客の七割くらいは女性客だった。
一般客の他にテレビ取材のカメラマンやマスコミの記者も来ている。
会場は既に熱気で溢れていた。
午後三時ちょうどになると、司会の女性が出てきて挨拶を始める。
今回のイベントの趣旨と今日出演するグループについて簡単に紹介する。
そしてまず一組目のバンドが舞台に登場した。
最近知名度が上がっている若手のロックバンドだ。
そして早速彼らの演奏が始まった。
演奏中は会場の若い世代からの歓声が上がる。
亜矢子も、
「このバンド知ってる!」
と言ってはしゃいでいた。
そして若さ溢れる激しいノリの曲を二曲演奏した。
二組目は女性ボーカルのロックグループだ。
美月は知らないグループだったが、亜矢子はテレビで何度か見た事があると言い
楽しそうに演奏を聴いていた。
二組目のバンドが二曲演奏を終えた後、少し休憩が入る。
その間に、海斗達のバンドの楽器が運び込まれスタッフが楽器の調整を始める。
美月はドキドキしていた。
こんな間近で海斗の生演奏を見られるなんて夢のようだ。
緊張している美月に気付いたのか、亜矢子が声をかける。
「良かったね美月、こうやって目の前で演奏を聴けて。ほんと沢田さんって優しいよね」
その言葉に美月は、
「うん」
と答えるのが精一杯だった。
その頃海斗はステージの袖で待機をしていた。
普段は観客席など全く気にしない海斗だったが、今日は舞台脇にあるのぞき窓をしきりに何度も覗いている。
しかし楽器やスタッフが邪魔になり、美月がいる辺りはよく見えなかった。
落ち着かない様子の海斗を見てマネージャーの高村が声をかける。
「今日は知り合いが来ているんだっけ?」
「うん。あ、そうだ、終わったらその人達を楽屋に連れてきてくれないか? 女性二人なんだけど」
「ははーん」
高村は『女性二人』と聞いてニヤニヤしながら言った。
「こっちが本命か」
すると海斗はバツが悪そうな顔をしてから、
「違うよ! でも頼む…」
そう言った。その時進行に呼ばれたので、海斗はメンバーと共に舞台へ出て行った。
後に残った高村は海斗の後ろ姿を見つめながら呟いた。
「こりゃあマジだな…」
いよいよ海斗のバンド『solid earth』の出番が来た。
四人が舞台に姿を現すと、その瞬間女性たちの歓声が沸き上がる。
「キャー海斗―!」
「海斗さーん!」
女性達の声が会場のあちこちから飛んで来る。その歓声はしばらく続いた。
歓声が落ち着いたところで、海斗と司会者がロックフェスについての話を始めた。
ロックフェスティバルは八月に山梨県で行われるらしい。
司会者と話している時の海斗は、普段の海斗とは少し違った雰囲気だなと美月は思う。
その時司会の女性が声を張り上げた。
「それでは『solid earth』の皆さんに演奏していただきましょう! 三曲続けてどうぞ!」
次の瞬間、地面に響くような海斗の激しいギターのソロ演奏が始まる。
それと同時に会場内の女性達が一斉に「キャーッ!」と声を上げた。
海斗はマイクを握りしめて、
「今日は来てくれてありがとう!」
と叫んだ。すると、また女性たちの「キャーッ!」という歓声が響き渡る。
それから激しいドラムの音が鳴り響き一曲目の演奏が始まった。
それは海斗達の代表作ともいえる大ヒット曲だった。
演奏を聴いていた美月は驚いていた。
この演奏は先ほどの二組のバンドとは全く違う。
何か根本的な音楽の質やレベルが違うように思えた。
魂に響くようなギターの音、そして海斗の力強い歌声。
とにかく何もかもが違ったのだ。これが『本物』というものなのだろうか?
横を見ると亜矢子はノリノリで手を挙げてリズムに乗っている。
美月はというと、そのあまりの迫力に飲み込まれないようにするのが精一杯だった。
動画で見たものはなんだったのだろうか? そのくらい生演奏は衝撃的なものだった。
美月がびっくりして固まっていると亜矢子が耳元で囁いた。
「やっぱりこのバンドは安定の実力派だわ」
美月は圧倒されたままただ頷くだけだった。
そして演奏は二曲目に入った。
この曲は人気ドラマの主題歌で誰でも一度は耳にした事のある曲だ。
海斗はスタンドからマイクを取り外して手に持つと、軽快な曲調に合わせて舞台を歩き始めた。
そして端から端まで観客にアピールしながら魅力的な歌声を披露する。
そのたびにキャーという悲鳴が上がり、会場内は熱気に包まれた。
美月は今、自分の知らない海斗を見ていた。
ここにいる海斗は、公園で穏やかに話していた海斗とは別人だった。
これが彼の仕事なのだ。
彼が若い頃から打ち込み培ってきた本物のプロの世界なのだ。
私はなんてすごい人と知り合ってしまったんだろう…美月は心からそう思う。
そしてあっという間に最後の曲になった。
三曲目は、美月が大好きな映画の主題歌『あの夏の出逢い』という曲だ。
この曲はスローなテンポの優しいラブソングだった。
語り掛けるように歌う海斗の声はとても甘く切ない。
海斗の声は、会場内の全員を引き込むほどの魅力に溢れていた。
スタンドマイクを右手で掴み丁寧に歌っていた海斗は次の瞬間美月に気づく。
それまでは全ての観客に視線を向けていた海斗だったが、
美月を見つけた瞬間から、その視線を美月から外すことはなかった。
あまりにも海斗が真っ直ぐ見つめて来るので、美月は視線をどこへやっていいのか戸惑う。
そして自分でも顔が赤くなっていくのがわかった。
そんな二人の様子に、隣にいた亜矢子は思わず微笑む。
亜矢子はここ数年本当に美月の事を心配していた。
いや、もっと前から…もしかしたら美月が結婚する時からかもしれない。
美月が婚約する際の指輪の件も、亜矢子は美月から聞いていた。
あの時親友として「その結婚はやめた方がいい」と言えなかった事を、亜矢子はずっと後悔していた。
その後美月には離婚と父親の死という辛い出来事が立て続けに起こった。
徐々に弱って行く美月を見ているのはとても辛かった。
美月は自分の気持ちを隠して周りに気を遣いすぎるところがある。
でもそんな美月の事を、これからは海斗が受け止めてくれるだろう。
亜矢子はなぜかそう確信していた。
良かった…本当に良かった。
亜矢子は心の底からそう思っていた。
コメント
5件
ワクワク、ドキドキしますね!海斗さんの美月ちゃんに対しての本気度がわかります!それにしても、亜矢子さんという親友がいて、美月ちゃんほんとに良かった😢
キャァー(〃ω〃)❤️🔥キャァー(〃ω〃)❤️🔥私がドキドキしとるぅ🤣🤣🤣 美月チャンから視線を外すことなく真っ直ぐ見つめて歌う海斗さん😍高村さん、亜矢子チャンだけやなくて会場のみんなにバレてしまうでぇ🤣🩷🩷🩷
マネージャーにも、亜矢子ちゃんにもバレバレなほど、ラブラブモードな二人....😍💞 どうか二人の恋が実りますよう、応援してあげてください🙏🍀✨