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アドラル皇国
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#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
「何事だ!」
グユグの怒声が、陣中に響き渡った。
天幕の前に控えていた将の一人が、慌てて頭を下げる。
「はっ。どうも兵どもが、戦利品の奪い合いから喧嘩を始めたようで……」
「くだらぬ!」
再び怒声が飛んだ。
「敵と戦う前に、味方同士で争ってどうする!」
将は何も答えられず、ただ頭を垂れた。
グユグの苛立ちには、二つの理由があった。
一つは、このグラツィア遠征そのものだった。
中央ルートから国境を越え、山間部を抜けた。
ようやく平原へ出たと思えば――。
そこには、何もなかった。
麦畑は、すでに刈り取られている。
村には人影一つない。
家畜もいない。
倉には穀物一粒残されていなかった。
井戸まで埋められている村すらあった。
兵糧そのものに困っているわけではない。
モンゴリア軍は長征を想定し、十分な食糧を運んでいる。
だが、兵士たちにとって遠征とは、戦争であると同時に略奪の機会でもあった。
ところが、奪う物がない。
ようやく見つけた僅かな金品や家畜を巡って、今度は味方同士で争い始めた。
「……忌々しい」
グユグは、誰もいない平原を睨みつけた。
敵は戦わない。
城にも籠もらない。
ただ、逃げる。
そして、自分たちが進む先から何もかも消していく。
戦えば勝てる。
だが――。
戦う敵がいなければ、勝利すら得られない。
そして、もう一つ。
こちらの方が、グユグにとっては遥かに重要だった。
父、大カーン・オゴタイが即位して以来、帝国は二つの大遠征を進めている。
一つは、オゴタイ家を中心とした南シナ帝国への遠征。
そして、もう一つが――。
ジュチ家のバトウを総司令官とする征西だった。
だが。
南シナ遠征は、思うように進んでいない。
それに対し、バトウはどうだ。
キプチャンを屈服させ。
ヴァンガルド帝国を滅ぼし。
その皇帝を捕らえ。
今やエウロピアの奥深くまで軍を進めている。
その軍功は、あまりにも巨大だった。
グユグは無意識に拳を握り締めた。
(もし、今――)
(クリルタイが開かれれば)
想像するだけで、腹の底が煮えたぎる。
王族も。
諸将も。
各部族の長も。
誰一人として、バトウの言葉を軽んじることはできない。
征西軍を率い、これほどの国々を滅ぼした男だ。
たとえジュチ家の人間であろうと――。
いや。
だからこそ、危険だった。
(バトウの軍功を、このまま大きくしてはならぬ)
グユグは平原の彼方へ目を向けた。
(儂が勝たねばならぬ)
ただ勝つだけではない。
誰の目にも分かるほどの、大勝利。
バトウの征西に並ぶ――。
いや。
それを霞ませるほどの戦果が必要だった。
だが、目の前には敵軍すらいない。
麦もない。
村人もいない。
財宝もない。
あるのは、どこまでも続く空っぽの平原だけだった。
その沈黙が。
まるで自分を嘲笑っているように思えた。
「何ですか、そのキンキラな衣装」
ユンナは、呆れた顔でサイラスを見た。
いつもの地味な軍装ではない。
金糸の刺繍が施された上着。
遠目からでも一目で分かるほど、派手な格好だった。
サイラスは両腕を広げてみせる。
「似合う?」
「聞いてません」
「派手に逃げようと思って」
「……まじめにやってください」
ユンナは額を押さえた。
だが、サイラスは気にした様子もなく、自分の袖を眺めている。
「いや、大事なんだよ」
「何がですか」
「逃げるなら、敵に見つけてもらわないと困るだろ」
「…………」
ユンナは何も言わなかった。
たぶん、聞かない方がいい。
そう判断したらしい。
その頃。
ガイロ将軍のもとに集まった兵は、およそ二万。
対するグユグの軍勢は、五万を超えていた。
まともに戦えば、勝ち目はない。
北部砦に籠もるという選択肢もなかった。
そもそも、砦は二万もの兵を収容できるほど大きくない。
無理に押し込めば、兵は身動きが取れず、
包囲されれば逃げ場も失う。
サイラスは、あっさりと砦を捨てた。
そして、自ら戦場を選んだ。
アイルジャールの森。
ガラリア丘陵の南に位置する、一帯の森林地帯である。
三方を深い森に囲まれ、
中央には比較的開けた土地が広がっている。
大軍が展開できる場所は限られていた。
騎馬兵が自由に走り回れる場所も少ない。
五万という数を、そのまま五万として使うことのできない土地だった。
ガイロは地図を睨みながら、低く唸った。
「ここで戦うのか」
「ああ」
「二万で五万を?」
サイラスは首を振った。
そして、アイルジャールの森を指先で軽く叩いた。
「五万と戦ったら負けるでしょ」
ガイロが顔を上げる。
サイラスは笑った。
「五万を、五万でなくしてから戦う」
グラツィア領へ侵入して、三日。
ようやく、敵の姿が確認された。
「おそらく先遣隊と思われます」
斥候が報告する。
「数は、およそ千騎」
「千?」
グユグは顔を上げた。
「はっ」
「本隊の姿は?」
「まだ確認できておりません」
側近の一人が尋ねた。
「どうされますか」
グユグは鼻で笑った。
「決まっておろう」
ようやく見つけた敵だった。
村は空。
畑は刈り取られ。
敵兵は姿すら見せない。
三日間、何もない土地を進み続けてきた。
その苛立ちが、一気に吹き出した。
「ようやく見つけた敵の影だ」
グユグは立ち上がった。
「先遣隊がいるということは、敵の本隊も遠くはあるまい」
諸将の顔を見渡す。
「騎兵を先行させろ」
そして、口元を歪めた。
「逃げる暇も与えるな」
「なぶり殺しにしろ」
「はっ!」
諸将はそれぞれの持ち場へ戻った。
ほどなくして、騎兵隊が本隊を離れる。
蹄の音が大地を揺らした。
一千騎。
二千騎。
さらに、その後ろから次々と騎馬が続く。
久しぶりに現れた獲物を逃すまいとするかのように。
モンゴリア騎兵は、猛烈な勢いで南へ走り始めた。
その頃――。
ガラリア丘陵の上に、一人の男が立っていた。
金糸で飾られた上着。
陽光を反射する装飾。
戦場には、あまりにも場違いなほどきらびやかな衣装だった。
遠くからでも、誰が指揮官なのか一目で分かる。
サイラスは丘の上から、迫ってくる騎兵を眺めていた。
「来ました」
隣にいたユンナが言った。
「ああ」
「すごい数ですよ」
「ああ」
「……逃げるんですよね?」
サイラスは振り返った。
「そのための服だろ」
そして馬へ跨がる。
丘の下では、千騎の兵がすでに退却の準備を整えていた。
サイラスはもう一度、迫る敵軍へ目を向ける。
距離は、かなり縮まっていた。
敵の先頭からも。
この派手な衣装は、よく見えているはずだった。
サイラスは笑った。
「じゃあ」
手綱を引く。
「派手に逃げようか」
その言葉を合図に。
一千騎は、一斉に丘を駆け下りた。
まるで追ってこいとでも言わんばかりに。
ガラリア丘陵から。
アイルジャールの森へ向かって。
コメント
1件
いやー、サイラスの「派手に逃げる」発想、めっちゃ好きです😂💕 金糸の衣装でわざと目立って囮になるって、頭いいしカッコよすぎる!! グユグの苛立ちもすごく伝わってきて、五万の軍勢を相手にどうやって「五万でなくしてから戦う」のか、続きが気になりすぎる…! アイルジャールの森にどんな罠が待ってるんだろう😭✨