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そうして、俺たちはコンビニから足早に仁さんの家に戻った。
夜の冷たい空気が、まだ熱を帯びた俺の頬を優しく撫でる。
ビニール袋の中には、コンビニで買った温かい肉まんの湯気がほのかに立ち上り、俺たちの間に漂っていた。
たった数分の外出だったけれど、俺の心の中では、世界のすべてがひっくり返るほどの劇的な変化が起きていたのだ。
隣を歩くさんの横顔を見るたびに、胸が高鳴り頬が熱くなる。
さっきまで「親しい友人」という、少し距離のある存在だった彼が
今はもう「恋人」という、特別な、かけがえのない存在になったのだ。
この急激な変化に、まだ頭が追いつかないでいたけれど
同時に、言いようのない幸福感が全身を駆け巡っていた。
アパートの扉を開けると、部屋の中から将暉さんの楽しげな笑い声と、瑞稀くんの少し呆れたような声が聞こえてきた。
心地よい喧騒が、温かい空気と一緒に俺たちを包み込む。
「二人とも遅かったね、なんかあったのかと思ったよ〜」
将暉さんは酔っているのかニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべながらこちらを見て茶化してくる
仁さんも隣で「また始まったよ」とでも言うかのように、小さく息をらしている。
その反応が、まるで俺たちの関係を肯定しているようで、さらに俺の顔は熱くなった。
部屋に入ると、俺はまずコンビニの袋をテーブルに置き、仁さんに借りていたベージュのマフラーをゆっくりと首から外した。
まだほんのりと彼の温もりと、穏やかな香りが残っているそれを、丁寧に畳んで彼に手渡す。
「ん」とだけ言って、仁さんはごく自然な仕草でマフラーを受け取ると
すぐにポールハンガーに掛け
特に変わった様子もなく氷結の缶をひとつ手に取り、プルタブをパシュッと開けた。
その音さえも、俺の耳には特別な響きに聞こえる。
そして、仁さんは何もなかったかのように俺の隣にストンと座った。
今まで「友達」として、当たり前のように座っていたはずのこの場所。
それが、今は「恋人」として隣り合わせに座ってい
る。
その事実が、たまらなくむず痒くて、どうしようもなく頬が緩んでしまうのを止められなかった。
視線は合わせられないけれど、隣に仁さんがいるというだけで、心が満たされていくのを感じる。
俺の、そして仁さんの明らかな変化に、最も早く気づいたのはやはり瑞稀くんだった。
彼の鋭い観察眼は、俺が頬を緩ませているのを絶対に見逃さない。
「で?二人はやっと付き合ったわけ?」
瑞稀くんの問いかけは、まるで刃物のように鋭く
俺の心臓を直接突き刺した。
俺は咄嗟に動きを止め、完全にフリーズしてしまう。
顔がカーッと熱くなり、視線はどこにも向けられず、宙を彷徨うばかりだ。
そんな俺の隣で、仁さんが突然ゴホゴホとむせ始めた。
飲んでいた氷結が気管に入ったのか、苦しそうに咳き込んでいる。
その姿は、まるで彼の動揺を隠そうとするかのように見えた。
「じん、こういうとき分かりやすすぎるからね~」
将暉さんが面白そうにニヤニヤしながら仁さんを見て、さらに火に油を注ぐ。
仁さんの顔は、酒のせいなのか、それとも俺の告白のせいなのかみるみるうちに赤くなっていく。
その様子が、たまらなく愛おしかった。
「あぁ、そうだよ。あんま茶化すな」
仁さんは、まだ少し咳が残る声で将暉さんから顔を背けながら言った。
その声は、いつもより少し低く、照れが隠しきれていない。
その一言で、瑞稀くんと将暉さんは満面の笑みを浮かべ
俺たちを見て「へえー」とか「遅すぎ」などと口々に言い出した。
彼らの祝福の言葉は、まるでシャワーのように俺の心を洗い流し
全身にじんわりと温かさを広げていった。
俺はもう恥ずかしくて、顔を上げることができなかったけれど心の中は喜びでいっぱいだった。
すると、将暉さんが何かを思い出したように
ふと真剣な表情になって口を開いた。
「てかさ、ふと思ったんだけど…って特異性α
だったはずだけど、楓ちゃんの匂いにだけは反応したんでしょ?」
彼の瞳には、好奇心と、どこか深い意味を探るような光が宿っていた。
「今まで誰にも反応しなかったって言ってたのに、すごいよねー。本当に楓ちゃんが運命の相手だったんじゃない?」
将暉さんの言葉に、仁さんは少し不審そうな顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。
「あ?あー、まあ……そうだな。」
「てか、楓ちゃんが発情期中にアパートの扉の前でしゃがみこんでたときからだっけ?」
将暉さんは、過去の出来事をまるで昨日のことのように、鮮明に語る。
俺の頭の周りにはいくつもの「?」が浮かんでいた
俺の知らないところで、俺たちの運命が紡がれていたことを示唆しているようで、全く意味が分からなかった。
「あの、ずっと気になってたんですけど、その【特異性α】ってなんなんですか?」
俺が恐る恐るそう聞くと
将暉さんは「楓ちゃんも知らないの?」と、心底驚いたように言った。
その表情は、まるで常識を知らない子供を見るようだった。
俺は仁さんの方を見たが、仁さんも初耳だったらしく、将暉さんの言葉に目を見開いている。
普通、自分の生態ぐらい調べるだろうが
仁さんの性格上、面倒くさがりそうだし詳しく知らなくても無理は無い。
すると、瑞稀くんが呆れたようにため息をついてロを開いた。
「特異性αっていうのはね、特定のオメガ1人にしか惹かれない特殊なアルファのこと」
「通常のアルファはオメガのヒートを誘発する傾向があるけど、特異性αは逆にオメガのヒートを鎮めて安定させる能力を持ってんの」
彼の声には、説明するのが面倒だという気持ちと、俺の無知への諦めが混じっていた。
「しかも、特定の相手以外には全く反応しないから、パートナーを見つけるのがすごく難しいんだよ。一生相手が見つからないαもいるくらい珍しい存在なんだ」
瑞稀くんの丁寧な説明に、俺は目から鱗が落ちるような感覚だった。
そんな特殊なアルファが存在するなんて、本当に初めて聞いた。
そして将暉さんがそれに付け加えるように、さらに衝撃的な事実を告げた。
「瑞稀の言う通り、しかも、そうなるのは両思いのオメガとアルファだけなんだよねー」
「お互いに強く惹かれ合ってないと、特異性αは反応しないんだ」
将暉さんはそこで言葉を区切り、ニヤニヤと笑いながら俺とさんを交互に見た。
その視線が意味するところに、俺は凍り付いた。
「え?両思い…って、あのときから仁さんは俺のこと、好きだったって言うんですか……?」
「っていうか、え?!俺、あのときから仁さんに恋してたってことですか…っ?!」
俺の声は、じられないという気持ちと、あまりにも衝撃的な事実に、完全に上ずっていた。
あの、アパートの廊下で倒れ込んだあの日から俺はもう仁さんのことを好きだったということなのか。
自分自身の鈍感さに、眩量がしそうだった。
と同時に、過去の様々な出来事が、鮮明な色を帯びて頭の中に蘇ってくる。
仁さんが優しくしてくれたこと
いつも俺を気遣ってくれていたこと
そして彼の視線が時折、熱を帯びていたこと
すべてが、今なら腑に落ちる。
「そういうことになる……な」
仁さんもまた、少し照れたように、そしてどこか感慨深げにそう言った。
彼の声には、安堵と喜びが混じっているように聞こえた。
俺の顔はみるみるうちに赤くなり、なんだか恥ずかしくなって全身が熱くなるのを感じる。
まさか、そんな昔から、俺たちの気持ちは奇跡のように繋がっていたなんて。
そんな俺を見て、将暉さんがさらに嬉しそうに口を開いた。
「てことは、楓ちゃんもこれで完璧にフェロモンブロッカー依存症から抜け出せるってことだ?」
その言葉に、俺はハッと息を飲んだ。
発情期も来るようになって
長年、俺を苦しめてきたフェロモンブロッカーへの依存が、仁さんと結ばれたことで解決するのだ。
発情期が不安定で、いつ来るか分からない恐怖
それがなくなる
「そ、そういえばそうです……!発情期も安定して来るようになりましたし、何より、俺、恋もできてます…..!!」
俺は興奮気味に、震える声でそう言った。
嬉しさのあまり、瞳が潤んでくる。
長年の悩みが、まるで夢のように解決したのだ
これは、仁さんと出会ったからこそだ。
仁さんがいたからこそ、俺は変わることができた。
彼は、俺の人生を変えてくれた
かけがえのない存在だと感じずにはいられなかった。
俺の言葉を聞いた仁さんは、心底嬉しそうに
そして慈しむような優しい眼差しで俺を見て
「よかったな、楓くん」と微笑んだ。
その笑顔は、俺の心を温かく包み込み
これからの未来が、希望に満ちていることを示しているようだった。
将暉さんと瑞稀くんは、からかいながらも、心から俺たちの関係を祝福してくれた。
温かい飲み物と笑い声に包まれた空間で、俺と仁さんは、隣同士に座り
時折視線を交わしては、お互いの存在を確かめ合った。
そんな夜を境に、俺とさんは正式に恋人として付き合い始めたのだった。
俺の人生は、仁さんと出会い、恋をしたことで
今まで固く閉ざされていた扉が次々と開かれていくようだった。
値踏み色に溢れていた世界に鮮やかな色彩が加わったかのように何もかもが輝いて見えた。
仁さんの隣にいるだけで心が満たされ、この上ない幸福を感じる。
長年、俺を縛り付けていたフェロモンブロッカー依存症
いつ発情期が来るか分からない不安や、自分の体質に対する諦め。
そんな過去の自分は、もうどこにもいない。
仁さんというかけがえのない存在が、俺のすべてを変えてくれた。
これからは、仁さんと共に新しい未来を歩んでいける。
彼の手を握り、同じ道を、ずっと一緒に進んでいけるのだと、心からそうじていた。
未来への期待は膨らみ、俺の胸は希望に満ち溢れていた。
しかし、そんな幸せは、まるで泡のように儚く
一時でしかなかったと、このときの俺はまだ知らなかった。
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