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「そこの壺で薬草を粉砕してもらえるかしら」
ベルと一緒に作業部屋へ入り、速攻で指示されたのは、麻の大袋に入った薬草の下処理だった。乾燥した状態で街から仕入れたそれらを、一抱えするほどの大きさの壺に入れて、成分を抽出し易いよう粉々にする作業。
パリパリに乾いた草を壺へ入るだけ突っ込むと、零れ出ないよう蓋をしてから両手を添えて念じる。この時に頭で描くのは風の渦。
壺の中で発生した小さな竜巻が薬草を粉々にしているのは手の平に伝わる振動で感じ取れる。音と震えが小さくなれば粉砕が完了した合図だ。なんだか人間ブレンダーにでもなった気分だった。
完全に粉末状態になったそれらは大鍋で煮出すのだが、壺一つ分では鍋は埋まらない。なので、同じことを数度と繰り返していく。鍋いっぱいに集まればそれに水を足してから火にかけ、成分を出し切れば濾過し、仕上げに精製の魔法を施す。
これを回復薬の場合は材料となる数種類の薬草で行っていかなかればならない上、全てを配合した後にもまた馴染ませる為の精製作業が必要となる。工程が多過ぎるからとベルが後回しにしたがるのも無理ない。とてつもなく地味な作業のオンパレードだ。
「納品が全て終わったら、街へ行こうかと思っているのだけれど」
弱火でコトコトと二つの大鍋を同時に煮ながら、一緒に行くでしょう? と葉月の方を振り返る。
と言っても、しばらくは終わりそうもないけれど……と部屋の片隅に積み上げられた木箱が視界に入ったのか、眉を潜めている。
「本邸へ行くんですか?」
領主からも顔を出すようにと言われていたことを思い出して聞いてみるが、渋い顔で首を横に振って返される。頑なに本邸へは行かないつもりらしい。
「叔父様もおっしゃっていたけれど、葉月のような迷い人について研究している学舎が街にいるのよ」
「私みたいなのは、別に珍しくないんですか?」
「そうね、古い歴史書に載っていたりする程度だけれどね。専門家なら何か知ってるかもしれないわ」
ついでに猫についても分かるかもしれないし、と付け加える。聖獣を専門にしている者の心当たりはないが、もし転移に猫が関係しているのなら、そこから情報を得られるかもしれない。
「次にクロードが来る時に、一緒に乗せていって貰えるといいんだけれど……」
別に歩けない距離ではないようだったが、歩いてくのは面倒だわとウンザリ呟く。
それより何より、まずは残りの納品だ。回復薬の青い瓶はまだ山積みなのだから。
薬草の粉末を大鍋へと移し替えると、葉月は空いた壺の中へまた新しい薬草を詰め、蓋を閉じた。風魔法の発動にも随分と慣れてきた。カサカサと壺の中で乾燥した葉が粉砕されていく音が耳に届く。
「適当に休まないと、魔力疲労を起こしてしまうわよ」
作業部屋に持ち込んだポットでお馴染みの薬草茶を淹れ、葉月にもカップを差し出してくれる。
煮出し終えた二つの鍋の火を消した後、ベルはそれらを氷魔法で冷ましつつ、片手間でお茶を淹れるという複数の魔法の連続と同時発動を平然とやってのけている。これこそ、彼女が森の魔女と呼ばれるほどの実力者であることの証。
淹れ立ての薬草茶はじんわりと身体に沁みる。温かいお茶を口にしながら、葉月はふと疑問に思う。
「ベルさんって、どうして森にいるんですか?」
当初は森で薬草を採取しつつ薬作りしている人かと思い込んでいたが、材料の薬草はほとんど街から仕入れている。わざわざここに住まないといけない理由がない。
現に、初めて会った時以外で彼女が館の結界の外へ出て行くのを見た覚えがなかった。ほぼほぼ館の中で生活しているのだ。
あら、わざわざそんなことを聞くの? と驚いた表情を葉月へ向けて来る。聞かなくても分かるでしょとでも言いたげだ。
「本邸にいるとね、マーサみたいなのがいっぱいいるのよ」
ああ、やっぱり……。
想像していた通りの答えに、葉月はそれ以上は突っ込むの止めて、薬草茶のカップに口を付ける。
コン、コン。
噂をすれば何とやら。マーサが作業部屋の扉をノックする音が響いた。ベルが返事すると、ベテランの世話係が扉の向こうから顔を見せる。
「そろそろ休憩されておられるかと思いまして」
ティーセットと果物を乗せたワゴンを押しながら部屋の中へと入ってくるや否や、怪訝な表情を浮かべている。
「まあ、なんですか、この荒れ具合は……」
たいして広くはない部屋に雑多に置かれた調薬の道具や材料。薬瓶の入っているだろう木箱はかつて見た記憶がない数が積み重ねられている。どれだけ納品をサボっていたのやら……。
粉末にされた薬草が床には散らばっているし、作業台もこれ以上は物を置く隙間がないほどに溢れかえっている。
「はぁ……ここでは無理そうですので、ティーテーブルの方へいらして下さいませ」
すぐに諦めてワゴンを引っ込める。
かつて一度だけ、この部屋も片付けようと試みたことがあった。まずは換気の為にと窓を開けた瞬間、部屋はもとい、マーサ自身までもが緑の粉末まみれになってしまった。それ以来、ここだけは手出し無用と心得ていた。