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昼食後、再び調薬の作業を始めてすぐ、ベルは館に張っている結界の揺らぎを感じた。
――ハァ……また誰か来たのね。馬が……三頭かしら。
森の道が開通した途端、次々に人が来るようになってしまい、正直ウンザリしていた。数年も閉ざされていた反動は、思っていたよりも大きい。
結界への侵入を確認してから、しばらく後に部屋の扉を世話係が叩いて知らせに来る。
「お嬢様、ジョセフ様がいらっしゃいましたよ」
「あら。追い返して貰える?」
「まっ! そんなこと、できかねますっ。お急ぎくださいませ」
あわよくばと言ってみた台詞は簡単に否定される。心の中で舌打ちすると、渋々ながら客人を出迎えに向かう。葉月には作業の続きをお願いしたが、今日はもうこの部屋には戻れない予感がした。
「ごきげんよう、ジョセフ」
「べ、ベル! アナベル!」
すらりとした長身の男は彼女の顔を見るなり、腰掛けていたソファーから慌てて立ち上がる。短く整えられた髪はベルと同じ栗色で、顔立ちも少し似てはいるのは血の繋がった従兄弟だからだろうか。が、どことなく優男な雰囲気を醸し出していた。
「森の道が消えてから、気が気ではなかったよ。無地で良かった……」
愛おしさに溢れる視線を注がれても、ベルの表情は冷ややかだ。
「昨日、叔父様にはお会いしましたわよ?」
「ああ、父からは全く変わり無いと聞いたが……」
自分の目で確かめなければ信じられなかったと、真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
立ち話も何だからと座るよう促し、ベルも従兄弟の向かいの席へ腰を下ろした。すぐさま、マーサが二人分のお茶を運んでくる。
領主のご子息の訪問に、マーサはご機嫌で張り切っているようだった。
「ハァ。お忙しいでしょうに、わざわざありがとうございます」
「そんなこと、君の婚約者として当然だよ」
「あら、その婚約は随分と前に解消させていただいてるわよ?」
何をおっしゃってるのやらと、半ば呆れて言い放つ。
「いや、僕は婚約破棄はしたつもりはないよ」
「私は確かにさせていただきましたし、叔父様からも了承をいただいているわ」
子供の頃に親同士が決め、一時的に婚約者となっていたのは事実。けれどベルが森の魔女として別邸暮らしを決めたことで、破談にして貰ったはずだ。
戦力にもなる得るほどの魔力持ちは国家レベルで守らなければならないし、その意志は尊重されなければならないとされている。そして、ベルの能力はそれに該当している。
「何もわたしでなくても……新しい縁談はたくさん来ているんでしょう?」
心の中では面倒だわと思いつつも、宥めるように問い掛ける。この従兄弟は思い込みが激しくて、昔から扱いが難しかった。同じ歳とは思えないほどに幼く感じることがある。
「君でなくては駄目なんだ。子供の時から、そう決めてるんだから」
「あー、あれね。私があなたを魔獣から助けたっていう……」
「そう、あの時の君は僕の為に大切な薬まで使ってくれた。僕はあの時に決めたんだよ、君を幸せにするって」
熱く想いを語るジョセフに、ベルは頭を抱える。勘違いもここまでくると尊敬に値する。
彼が言う、ベルが彼を助けたという事件は実際には存在しないも同然なのだから。
十歳かそこらの頃、ベルが一人で森に入り薬草の採取をしていると、中型の魔獣に遭遇したことは確かにあった。その歳で既に魔法を使いこなしていた彼女はそれをいとも簡単に撃退したのだが、どうもその時にジョセフが彼女の後ろからこっそりと付いてきていたらしい。
道中は付けられていることには全く気付いていなかった。けれど、魔獣の姿に慌てふためいて足を絡ませて転び、膝に擦り傷を作って泣いている従兄弟を見つけた。
怪我人をそのまま放っておく訳にもいなかったのもあるが、早く試してみたくて持ち歩いていた薬がポケットに丁度入っていた。それは生まれて初めて一人で調合した傷薬だったのだが、使う機会になかなか巡り合えず、たまたま持って歩いていたというだけだ。
ベルからしてみれば、効力を確かめたくてしかない時に、ぴったりな試験体が目の前に転がっていたというだけの話。
なのに、思い込みの激しい彼にとって、強く優しい従姉妹が守ってくれて手当してくれたという清く淡い思い出となってしまっているようだった。
そんなつもりは無かったと何度も否定を試みたが、全く効果は無かった。彼の深い思い込みはビクとも揺るがない上に、アナベルはなんて謙虚な女性なんだろうと、さらなる美化に拍車がかかる始末。
「……叔父様は、何て?」
ベルが森に籠りたいと相談した際、領主である叔父は彼女のしたいようにすれば良いと言ってくれていた。彼はベルの魔力と魔法技術をとても高く評価してくれている。
ジョセフのことはほとぼりが冷めたら諦めて、どこぞの令嬢と見合いでもさせればいいと高を括っている節がある。
――叔父様は、実子への評価が甘過ぎるわね……。
「父のことはいいんだ。大事なのは、僕達の気持ちなんだから」
「なら、婚約は無しで」
「だから、婚約破棄なんてするつもりはないから!」
生産性の無い従姉妹との会話は、お供の護衛騎士が帰宅を促しに来るまで続いた。