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#追放
第150話 前進
【異世界・転移した学園/体育館・夜】
体育館の空気は、疲労で重かった。
泣き疲れて眠ってしまった生徒。
毛布を肩まで引き上げて、目だけ開いている子。
先生たちは交代で見回り、点呼表を握ったまま壁にもたれている。
崩れてはいない。
だが、張り詰めた糸の上に、全員が乗っているような空気だった。
その中央で、レアはまだ結界の中にいた。
膝をつき、顔を伏せ、ときおり肩だけを震わせる。
全身を走る青白い数列は消えず、片方の黒い目の端からは、
時々、細い影が糸のようにこぼれては結界に弾かれて散った。
ダミエは、その結界を維持したまま微動だにしない。
大きすぎる制服の裾が床へ触れ、フードの奥の目だけが鋭く光っている。
その横に、王都側から呼ばれた結界術師が二人、静かに立っていた。
ノノが急遽回した増援だ。
ダミエほどの精度はない。
だが、補助として線を重ねることはできる。
「南側、二枚増やした」
「北の継ぎ目も補強済み」
補助術師の報告に、ダミエは短く頷くだけだった。
それでも、その頷きで十分だった。
教頭が近づいてくる。
毛布を肩にかけたままの教師たちも、その後ろにいる。
「雲賀くん」
「出るなら、今のうちだな」
ハレルは頷いた。
返事をする前に、サキのスマホが震える。
ノノからの短い共有だった。
《駅班 出発準備》
《イルダ維持継続》
《学園発 可》
ハレルはその表示を見て、小さく息を吐いた。
形は、決まり始めている。
残る者と、出る者が。
教頭は生徒たちの方を振り返る。
何人かの生徒が、こちらを見ていた。
怖い顔。
不安な顔。
でも、ただ怯えているだけではない。
“行くのか”と確かめる顔だった。
ハレルは、その視線を受け止めてから言った。
「行きます」
「戻るために」
誰かが小さく息を呑む音がした。
だが、反対の声は出なかった。
先生たちはもう、分かっている。
ここに閉じこもるだけでは、元には戻れないことを。
教頭が短く頷く。
「ここは守る」
「だから、君たちは向こうを止めてこい」
ハレルは深く頭を下げた。
サキも、それに続く。
結界の中のレアが、その様子を見て、かすれた声で笑った。
「いいね……そういうの」
「残るのと、行くの、分けるの」
ダミエが、何の感情も乗せずに言った。
「……喋るな」
次の瞬間、結界の線が一枚増えた。
レアの笑い声は、そこで薄く切れた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館出口前・夜】
出発前、リオは一度だけ足を止めた。
医療棟はイルダ側にある。
ここから寄れる距離ではない。
それでも、心だけはどうしてもそちらへ向いてしまう。
ノノの声が通信に入る。
『リオ、聞こえる?』
「聞こえてる」
リオは短く返した。
「……ユナは」
一拍だけ間があった。
それから、ノノが少しだけ声を落として答える。
『眠ってる時間はまだ長い』
『でも、もう“ただ眠ってるだけ”じゃない』
『呼びかけに指が少し動いたり、目を開ける時間もある』
『治療班の見立てでも、ちゃんと戻ってきてる』
リオは黙ったまま、その言葉を受け止めた。
完全に普通の状態まで戻ったわけじゃない。
でも、確かにこちら側へ戻ってきている。
それだけで、今は十分だった。
「……分かった」
低く言って、リオは壁から背を離す。
「兵士たちにここ、頼むって伝えてくれ」
『もう伝わってる』
ノノが返す。
『ユナの周りの守りも厚くしてる。だから、今は前を見て』
リオは小さく息を吐いた。
振り返りたい気持ちはある。
だが、今は進むしかない。
「……ああ」
そう返して、リオは体育館出口へ向かった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した駅周辺/ホーム・夜】
駅では、雨に濡れた照明が白く滲んでいた。
外の森には、まだ黒い四足の影が残っている。
だが、さっきまでのようにホームへなだれ込んではこない。
人型の影も、柱の陰や車両の窓に見え隠れするだけで、
一歩深く踏み込む勢いは弱まっている。
アデルは、最後の引き継ぎをしていた。
「外周は照明維持を優先」
「深追い禁止」
「構内の影は、駅員と兵士を必ず組ませる」
「何かあれば、ノノ班へ即報告」
残る兵士たちが頷く。
駅員も、もはやただ言われるだけの顔ではない。
怯えながらも、自分たちの役目を理解している顔だった。
ヴェルニはその横で、ホームの外を眺めていた。
紺の髪はまだ濡れている。
焦げた外套もそのままだ。
なのに、顔だけは妙に晴れやかだった。
「まだ来たそうだな」
アデルが言う。
「当然だろ」
ヴェルニは笑う。
「塔の底まで行けるなら、むしろ今からだ」
アデルはため息をつきそうになって、やめた。
ヴェルニはこういう男だ。
危機的状況ほど、逆に気分が上がる。
だからこそ前に出せる。
だからこそ、止める役も必要になる。
「お前は私の前を勝手に行くな」
アデルが低く言う。
「最深部は、見たものをそのまま信じたら終わる」
ヴェルニは肩をすくめた。
「分かってるよ」
それから少しだけ真面目な声になる。
「……アデル、お前こそ無茶すんな」
その一言に、アデルは一瞬だけ目を細めた。
「言ってろ」
短いやり取り。
でも、それで十分だった。
二人は、ホーム中央の灯りを最後に見回し、
王都中央――オルタ・スパイアの方角へ向かった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/西区・夜】
イデールの班は、街の光を繋ぎ続けていた。
市場通りの灯り。
北通りの灯り。
宿屋裏の灯り。
明るい筋が消えなければ、人はまだ“街の中”を歩ける。
そのことを、彼女はもう理解している。
兵士たちが運んでいる縛られた黒眼の兵士は、相変わらず時おり口元だけを動かした。
サロゲートの片鱗。
まだ消えない。
だが今は、暴れ返すところまではいかない。
「北側、灯り切らさないでえ」
「そこ、三人で」
イデールはおっとりした声で指示を飛ばしながら、遠くの塔を見た。
雨の向こうに、細く高い影が立っている。
「……あっちが勝負ねえ」
その呟きに、近くの術師が不安げに答える。
「アデル隊長たち、大丈夫でしょうか」
イデールは少しだけ笑った。
「大丈夫じゃないところに行くのが、あの子たちでしょう」
「だから、こっちはこっちを保つの」
その言葉の通りだった。
塔へ向かう者がいるなら、街を保つ者も必要だ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー周辺/対策本部車両】
車両の中では、今度は“入る準備”が本格的に始まっていた。
日下部のノートパソコンには、オルタリンクタワーの断面図と地下配線図、
それに木崎が送った外周円陣の写真が並んでいる。
佐伯と村瀬も、今度はただ座っているだけではなかった。
二人とも、記憶の中の白い施設の断片を指し示しながら、日下部の説明へ補助線を引いていた。
「この辺」
佐伯が地下深層の図を指す。
「ここ、私たちがいた場所に近い感じがします」
「広さじゃなくて、音の響き方が」
村瀬もすぐに続ける。
「あと、白い廊下の後に一度“普通の管理区画”を挟んだ感じがあったんです」
「いきなり最深部じゃなくて、途中に“働く人の階”みたいな……」
日下部がすぐに図面へ重ねる。
「地下二層の管理区画……」
「そこを挟んで、さらに下が観測制御層」
「……合う」
城ヶ峰が二人を見る。
「補助に呼んで正解だったな」
佐伯は少しだけ口元を引き締めた。
「見たことを、そのまま使ってください」
村瀬も頷く。
「怖かった場所ですけど、今はそれでいいです」
木崎の回線が入る。
『タワー外周の南東、やっぱり薄い』
『石畳のノイズもそこが一番弱い。搬入口とサービス導線が近い』
城ヶ峰はすぐ決めた。
「正面は使わない。南東から入る」
「低層商業フロアと一般客の導線は触らず、オフィス側のサービス導線へ回る」
一拍。
「社員が残っている可能性を前提にする。中で見かけても、即座に敵認定するな」
その判断に、全員が黙って頷く。
ここは秘密基地ではない。
普通の顔があり、普通の仕事があり、普通の人間が巻き込まれている場所だ。
日下部が、もう一つの画面を開いた。
中継管理棟半停止。
局所杭破壊。
回線安定。
そこから次の線が、オルタリンクタワー地下最深部へ伸びている。
「……行けます」
日下部が低く言う。
「今なら、少なくとも最深部までの線は読める」
木崎が回線越しに答える。
『異世界側も、今動いてる』
『タイミングは合わせられる』
城ヶ峰は端末を閉じた。
「なら、準備を進める」
その一言で、車内の空気が決まった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/学園出口前・夜更け前】
ノノの通信が、学園の出口前まで来たハレルたちへ入った。
『現実側、突入準備に入った』
『オルタリンクタワー南東のサービス導線から入る』
『残ってる一般人や社員を巻き込まない前提で動くって』
ハレルはその情報を聞いて、主鍵を握った。
向こうももう、ただ調べる段階ではない。
実際に中へ入る段階へ進んでいる。
サキがスマホを見ながら小さく言う。
「じゃあ、こっちももう出発しなきゃ」
リオが頷く。
「……まずはイルダで合流だな」
学園の建物の向こうでは、まだ雨音が続いている。
体育館には先生たちと生徒たち、そしてダミエが残っている。
結界も、灯りも、まだ保たれている。
だからこそ、ここで出ると決められる。
少し離れたところまで見送りに来ていた教頭が、静かに言う。
「くれぐれも、気をつけてな」
ハレルは頷く。
「はい」
振り返れば、学園の窓に残る灯りが見える。
あそこには、残る者たちがいる。
守ると決めた顔がある。
だから行ける。
行けるが、それでも心は軽くならない。
その時、学園の奥――体育館の方から、ノノの通信がもう一度短く入った。
『……レアが目を開けた』
『一言だけ』
ハレルたちは足を止める。
ノノが、そのまま伝える。
『“遅いと、下が先に閉じるよ”って』
その声には、さっきまでの嘲りよりも、妙に実感が混ざっていた。
ハレルはそれに答えない。
ただ、主鍵の熱だけが少し強くなる。
雨はまだ続いていた。
だが、学園に残る者。
駅を支える者。
街を守る者。
塔へ向かう者。
タワーへ潜る者。
それぞれの役割は、ようやく動き始めていた。