美和さんは私をキッと睨みつけると
「美月さん、わかっていると思いますけど、あなたが《《料理ができないから》》私が頼まれているんですよ?私が昨日、アドバイスをくださいって言ったのは、気を遣ったつもりなんですけど。カフェ事業だって、別にあなたの料理が認められたわけじゃない。孝介さんがシリウスの社長と良い関係を築きたくて選択したことであって、会社のためなんです。シリウス《向こう》だって九条グループっていう大きな企業と関りを持ちたかったから。あなたの力じゃないんです。一人じゃ何もできないのに。孝介さんのお荷物だって、いい加減自覚したらどうですか?掃除もできない、料理もできない。孝介さんから《《愛されてもいない》》のに。痛い女すぎますよ?」
あれ?美和さんって、冷静なイメージだったけど。
彼女の本音を直接聞くことができて、怒りよりもなんだかスッキリした。
それに――。
こんなに話してくれて、かえって好都合だ。
「どうして美和さんがそんなことを言えるんですか?シリウスとか九条グループとか。それは美和さんの推測ですよね?まさか、孝介さんが会社の内情を美和さんに話したんですか?あと、なんで私が孝介さんから《《愛されていない》》なんてことを言えるんですか?」
私が孝介から愛されていないことは確か。
<愛されてもいないのに>なんて発言をしてしまったのは、美和さんが孝介と不倫関係にあるからこそ。愛し合っているのに、報われないから。そんな僻みとも取れる発言が出てしまったんだよね。
「っ……!!」
美和さんは唇を噛みしめていた。
「すみません。今日はもう帰ります。具合が悪くなってしまったので。早退したこと、孝介さんには《《私から直接》》連絡をしておきます」
彼女は、エプロンも外さずに部屋から出て行った。
これまで美和さんとは、表面上はうまくやってきたつもりだった。
それが今日、一瞬で崩れてしまったけれど、彼女の本性を実際に肌で感じることができて良かった。
彼女は孝介に今のことを都合の良いように話し、助けを求めるだろう。
悲劇のヒロインを演じるに違いない。
私は帰ってきた孝介から、どんな仕打ちをされるかわからない。
でも今の私には、とても心強い味方が居てくれる。
だから、きっと大丈夫。自分の未来のために頑張るって決めたから。
気持ちを切り替えなきゃ。
ベガでは美和さんのことは思い出さないようにしないと。
出勤し、スタッフ控室に入ろうとした時だった。
中から口論している声が聞こえる。
この声、平野さんと藤原さんだ。
仲良いと思ってたけど……。何かあったのかな。
私が聞いちゃいけない内容だろうか。
ここで待っていても、なんか聞き耳立ててるみたいで嫌だ。
ノックをして入ろうとした時――。
「何よ!そんなにあの九条さんが大切?どうしてそこまで媚びなきゃいけないの。会社のためなのはわかるけど!」
九条という名前が聞こえてしまって、入れない。
この前急遽フロアーを手伝った時、何かミスでもしたかな。
お客さんからのクレームとか……?
だったら申し訳ない、謝らないと。
「媚びるとか、そんな極端なこと言ってないだろ。この前、本当に大変だったんだからな。スタッフの病欠が重なったのもあるけど、そもそもスタッフ体制がおかしかった。藤原、その日、俺に相談しないで勝手に他のスタッフとシフト変更しただろ?その調整がどこかで狂って、そもそも日勤が少なかったんだよ。ミスしてたのは藤原だったんだから、急遽手伝ってくれた九条さんにお礼くらい言えって言ってるだけだろ?」
えっ。そうだったんだ。
「嫌なの!本当は一緒に仕事だってしたくないし、あの人が考えたメニューなんて作りたくもない。私は、加賀宮社長の指示だから我慢しているだけ。面倒見てもらってるだけ、逆に感謝してほしいくらいよ」
藤原さん、私に対してそんなこと思ってたんだ。
「はぁ?お前のそういうところ、管理者としてどうかと思うぞ。九条さんに嫉妬してるだけにしか俺には聞こえないけどな」
「はぁぁぁ!?」
どうしよう、二人ともヒートアップしている気が……。
「とにかく俺は、九条さんの評価が上がったから。現場が回らなくて、料理の提供が遅くなってクレーム言われてた時も、しっかり謝ってたし。愚痴も言わなかった。ただ<ありがとうございました>だけ言っといてって話なのに、どうしてそんなにキレるのかな?意味わかんねー」
藤原さんにそんなにも嫌われているなんて思ってなくて、ショックだったけど、平野さんの言葉で救われた。
「私は自分を曲げないから。仕事だから、上辺だけは普通に接するけど。あんな余計な人がいない、いつものベガに早く戻ってほしいと思っているから」
「おいっ!」
その後、急に静かになった。
藤原さんがフロアーかキッチンに戻ったみたい。
深呼吸をして控室をノックする。
「失礼します。よろしくお願いします」
私が入室すると、平野さんの肩がビクっと動いた。
「あっ。九条さん。お疲れ様です。今日もよろしくお願いします。この間はありがとうございました」
「いえ。こちらこそ。ありがとうございました」
何事もなかったかのように、平野さんは今日の内容について指示してくれた。
フロアーに入ると、藤原さんがいた。
平常心、平常心……。
「お疲れ様です。よろしくお願いします」
私が挨拶をすると
「お疲れ様です。こちらこそ、よろしくお願いします」
表情明るく、軽く会釈してくれた。
さっきまで私に対してあんなことを言っていた人だとは思えない。
演技だと思うけど、すごいな。
問題なく、ベガでの仕事が終わり、帰宅をする。
「なんか、疲れた」
ポスっと脱力したようにソファーに座る。
孝介のことも、美和さんのことも。藤原さんも……。
短い期間だけど、ベガではうまくやっていきたい。
彼女に認めてもらえるよう、頑張らないと。少しずつでもいい。
私が頑張れば、きっとわかってくれるはず。
こんなことで疲れたなんて言っちゃいけない。
あっ、そうだ。
美和さん、今日は食事を作ってくれていないんだ。
途中で帰っちゃったから。
孝介にはもう彼女から連絡があったと思うけど、私からも夕ご飯どうするか連絡しておこう。私が作った夕ご飯なんて、食べないよね。
孝介に連絡するも、返信が来ることはなかった。
二十時過ぎ――。
玄関の扉が開く音がした。
孝介、帰ってきたんだ。
「おかえりなさい」
私が迎えに行くと――。
<バシンッ!>
「痛っ……」
孝介にビジネスバッグを投げつけられた。
「お前、いい加減にしろよ」
一瞬でわかった。予想はしていたから。美和さんが孝介に今日のことを伝えたんだ。
美和さん《好きな人》を傷つけられたら、怒るよね。
「いきなり、どうしたの?」
私は悪くない。
彼が怒っている理由は知っている。平静を保たなきゃ。
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