『止まらない秒針と私』
時計の秒針が、止まったことは一度もない。
それが当たり前だと、ずっと思っていた。
私の家には、古い置き時計がある。
白い文字盤に、少し掠れた黒い数字。
祖母の部屋に置かれていたそれを、形見として譲り受けた。
カチ、カチ、という音がうるさくて、最初は眠れなかった。
それでも数日もすると、不思議と耳が慣れた。
――あの日までは。
ある朝、目を覚ますと、時計の音がしなかった。
秒針は、ちょうど「12」の少し手前で止まっている。
「電池切れかな」
そう思って、新しい電池を入れた。
けれど、針は動かない。
不思議に思いながら学校へ行き、帰宅した夜。
私は、ある違和感に気づいた。
スマホの日付が、昨日のままだった。
メッセージも、ニュースも、すべて同じ。
時計だけじゃない。
――世界が、止まっていた。
ただ一つ、私を除いて。
翌日も、翌々日も、世界は「同じ日」を繰り返した。
人は同じ言葉を話し、同じ行動をする。
まるで、録画を再生しているみたいに。
最初は怖かった。
次に、少し楽になった。
失敗しても、やり直せる。
誰かに嫌われても、明日には元通り。
時間が進まないなら、何も失わなくていい。
でも――。
何度目かの「同じ日」の夕方。
私は祖母の部屋に入った。
そこには、写真立てがあった。
笑っている祖母と、幼い私。
「時間はね、止まらないから意味があるの」
生前、祖母がよく言っていた言葉を思い出す。
私は、初めて気づいた。
この世界で止まっているのは、時間じゃない。
私が、進むことを拒んでいるだけなんだと。
祖母が亡くなった日から、私は何も選んでこなかった。
悲しむことも、前に進むことも。
だから、時間が私を置いていった。
私は震える手で、置き時計を持ち上げた。
「……ごめんね」
秒針を、そっと指で押す。
カチ。
たったそれだけの音が、胸に刺さった。
次の瞬間――。
窓の外で、車のクラクションが鳴った。
スマホが震え、新しい通知が届く。
時間が、流れ始めた。
涙が止まらなかった。
怖い。
失うかもしれない未来が、また動き出したから。
それでも。
私は時計を机に置き、深く息を吸った。
秒針は、今日も止まらない。
それでいい。
止まらないからこそ、私は生きていける。






