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第9話:教師アサギ
午後の教室。静かな空気の中、AI教材の音声が流れている。
「本日の学習単元:正しい問いとは“最適解がある問い”である」
生徒たちは無言で端末を操作し、表示された選択肢を淡々とタップしていた。
その中で、唯一人間の声で話す授業があった。
「言語表現史」――アサギ・ミドウ担当
アサギは、背が高く痩せた体型で、いつも黒のジャケットと青いシャツを着ている。
無精髭を薄く剃り残し、灰色の目はどこか疲れていて、それでいて観察力の鋭さを隠している。
スコアは常に安定した「管理適合上位」――模範教師。
だが、生徒たちの間で彼は**「沈黙の人」と呼ばれていた。**
理由は簡単。無駄な言葉を一切喋らないからだ。
授業の冒頭、アサギは静かに教卓に立った。
そして、生徒たちの端末に一つの文章を表示する。
> 「詩は、答えを求めるためではなく、
> 問いが“消されないため”にある。」
数秒の沈黙。
やがて、AIが割り込む前に、アサギが自ら話し始めた。
「……この言葉の意味を、説明できる者は、いない。
それでいい」
放課後、ミナトはアサギのいる準備室を訪れた。
教員フロアは、監視ドローンの動作音が他の区域より一層多い。
扉をノックすると、中から低い声が返った。
「……入れ。今は問題にならん」
部屋の中は驚くほど整理されていた。書類はすべて電子化、紙は一切なし。
ただ、棚の上に一冊だけ、布張りの分厚い本が置かれていた。
ミナトはそれに目を留めると、アサギが口を開いた。
「見るな。それは“過去”だ」
「詩だ。かつて、“使われた”ものだ」
「先生……あの言葉、僕のじゃないですよね」
「教室で見せたやつ。……誰のですか?」
アサギは長く黙り込んだあと、ゆっくり言った。
「……俺だよ。あれを書いたのは」
「でも、お前みたいに信じてはいなかった。
“詩で何かを変えようとした”んじゃなく、“詩で人間を動かせると証明したかった”だけだ」
かつてアサギは、“言語的共鳴行動”を研究する反AI団体に身を置いていた。
詩や物語が、人間の“社会的行動”にどう影響するかを計測し、AIの支配構造を崩そうとしていた。
だが、結果は失敗に終わった。
言葉は人を動かすが、それは“統制不能”という意味だった。
団体は壊滅し、アサギは“沈黙することで生き残った”。
「お前の詩は、正しい。
でも、正しい詩は、社会では“異常”とされる。
……それでも書くなら、覚悟しろ」
ミナトはそれに対して、言葉を選ばなかった。
ただ、目を見て頷いた。
アサギは小さく笑った。
「……なら、せめてもの餞別だ」
そう言って、引き出しから1枚の古い紙を取り出す。
> 「沈黙が正義なら、
> 声は罪か?
> ならば僕は、進んで罪を犯そう。」
その夜。
ミナトは自分のノートに、こう書き加えた。
> 「沈黙している人の中にも、言葉は眠っている。
> それが目覚めるとき、
> 社会が一瞬、揺れる。」