コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第10話:旧ネットアーカイブ
その建物は、都市第9管理区の外れ――
公立情報センター旧棟。現在は立ち入り禁止区域に指定されている。
もとは公共ネット端末の基地局で、数十年前のネットワークと個人記録の保管庫だった。
AIによる完全最適化以前、人間が“好き勝手に言葉を放っていた”時代の名残だった。
ミナトは、アサギから渡された詩の紙に添えられた手書きの地図を頼りに、廃棄区域へと向かった。
制服の下には、灰色のフードジャケット。フードを深く被り、周囲の監視ドローンを避けながら歩く。
廃ビルの入り口には錆びついたセキュリティゲート。
だが、すでに通電はされておらず、手で押すと軋んだ音を立てて開いた。
建物の中は、埃と金属の臭いが混じる空間だった。
古い端末が積み上がり、モニターはほとんどが黒く沈黙している。
だが、その奥でひとつだけ、微かに青く光っている筐体があった。
それは、個人記録端末――MODEL: ECHO-IX
AI最適化以前、人々が自由に書き込み、音声を記録し、感情のままに残した装置。
ミナトはそっと座り込み、操作パネルを起動する。
システムは古く、手動で起動シークエンスを行う必要があった。
やがて、画面が淡いブルーに点灯し、こう表示された。
「未同期ログ:512件 保管者:NAME/匿名希望」
ファイルを開く。
そこには、誰の名前もない、“言葉だけの世界”が広がっていた。
> 「さよならを言う相手が、今どこにいるのかもわからない」
> 「嬉しかった、だけで、理由なんていらなかった」
> 「何度も消そうとした。でも、やっぱりここに残ってる」
> 「誰かに見つけてほしいと思ってる自分がいることが、
> 一番、苦しかった」
ミナトは震える指でページを送り続けた。
そこには、**評価も、最適化も、点数もない“本当の声”**が残されていた。
誰も彼らを“優秀”とも“非効率”とも呼ばない。
ただそこに、“感じたままの誰か”がいた。
画面の一角に、ひとつのタグがあった。
「#風の音」
それを選ぶと、音声ファイルが再生された。
風の音――雑音まじりの、ただの風。
けれど、それはナナが言っていた“あの音”と同じだった。
誰かが、風を感じ、残し、繋ごうとしていた。
ミナトは詩を一つ書き残した。
> 「この声に、名前はない。
> けれど、誰よりも確かに、
> “ここにいた”と、教えてくれた。」
その夜、帰り道でミナトは空を見上げた。
人工雲が静かに流れるグリッド空。
でもその向こうで、
言葉にならない記憶たちが、いまも風になって巡っている気がした。