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その夜、美奈子と別れた杏樹は電車に乗りながら色々と思いを巡らせる。


(それにしても正輝は一体なんでマンションにいたんだんろう? 朝礼の時もなんであんなに見るの? あっさりと捨てた女の事なんて放っておけばいいのになんだか気持ち悪い)


杏樹は深いため息をつきながら電車を降りた。

改札を出た杏樹は帰りの遅いサラリーマンに紛れて駅を出る。そして歩き出す前に夜空を見上げた。

空にはまん丸い月がぽっかりと浮かんでいた。


(今日は満月か……この方角なら部屋からも見えるわね)


杏樹は高層階の自分の部屋から月が眺められるとわかりご機嫌になる。

その時突然低い声が響いた。


「遅かったな」


びっくりした杏樹が声の方を見ると優弥がフェンスにもたれて立っていた。


「え? 副支店長……二次会に行ったんじゃ?」

「行ったよ。それにしても杏樹の方が遅いってどういう事だ?」

「美奈子先輩とお茶してました」

「やっぱりそうか。で、俺の事を話したんだろう?」

「えっ?」


杏樹はなんでわかったんだろうという顔をする。


「ハハッ、まあ山村さんは口が堅そうだから大丈夫かな」

「美奈子先輩は信頼して大丈夫ですっ」


杏樹はムキになって言う。

そこで優弥が歩き始めたので杏樹もついて行く。


「でも副支店長はなんでここに?」

「杏樹を待ってた」

「え?」

「もうちょっと待って来なかったら帰ってたな。そうだ、携帯の連絡先を教えろ」


優弥は立ち止まるとスマホを取り出す。そこで杏樹も慌ててバッグからスマホを取り出すと優弥と連絡先を交換した。


「え? でも私がもうマンションに帰っていたら?」

「1時間くらい待って来なかったら帰るつもりだったよ」


(私がここを通るかどうかもわからないのに1時間も待つつもりだったの? どうして?)


「でもそんなに待っていたら副支店長の時間が無駄になっちゃうじゃないですか」

「無駄にはならないさ、杏樹の安全の方が大事だからな。それに森田がまた来る可能性だってある。用心するに越した事はないだろう?」


その言葉に胸の奥がジーンと熱くなる。


「…….すみません」

「謝る事はないさ、俺が勝手にやってるだけなんだから」

「でも……」

「もういいから。それより昨夜は睡眠不足だったんだから今日は早く寝ろよ」

「はい……」


杏樹はその優しさが嬉しくてつい頬を緩ませながら優弥の半歩後ろをついて行く。

二人の足元を満月の明かりが煌々と照らしていた。



そして次の週になった。

副支店長の歓迎会以降銀行は特にトラブルもなく営業を続けていた。


この日も杏樹はいつものように窓口に座っていた。

高齢の女性の対応を終えた時、突然男性客が番号札も取らずに杏樹の窓口へやって来た。

その客は公認会計士をしている30代半ばの成田啓介(なりたけいすけ)という男性だった。

成田はこの銀行を訪れると必ず杏樹の窓口へ来る。


成田はテレビ出演の経験もあるイケメン会計士で芸能人のようなオーラが漂っている。

身に着けているものは全て一流品でかなり羽振りがよさそうだ。

しかし会計士という職業にしては少し派手な身なりだった。

そんな成田は後方の女子行員達にとっては憧れの存在のようだったが杏樹達窓口にはあまり人気がない。

杏樹は元々チャラい男が生理的にダメなので成田のようなタイプが苦手だった。時折成田が吐くキザなセリフを聞くと思わず鳥肌が立ってしまう。

そして成田の全身から漂ってくるきついコロンの香りも苦手だった。その匂いを強烈に嗅いだ後は思わず鼻の中を水で洗いたくなる衝動に駆られる。それほど杏樹にとっては苦手な客だった。


昔杏樹がデパートで買い物をしていた時、成田が派手な女性を連れて化粧品売り場で買い物をしているのを見た事がある。おそらく相手は水商売の女性だろう。

あの光景を見てからは更に成田が苦手になる。しかしそんな杏樹にはお構いなしに成田は来店する度に杏樹を食事に誘った。

杏樹はいつもやんわりと断っていたが何度断っても成田はしつこい。堕ちない杏樹を堕とす事に躍起になっている感じだ。もしかしたら彼にとってはゲーム感覚なのかもしれない。


「成田様、いらっしゃいませ」

「あれー? 桐谷さん、なんか今日はいつもと雰囲気が違ってぐんと綺麗だねー、何か変えた?」


杏樹は優弥に言われて以来ずっと薄化粧にしているので以前と感じが違うのだろう。


「いえ、特には」

「そうなのー? でも俄然こっちの方が可愛いよ。そう言えば桐谷さんの誕生日っていつ?」

「私の誕生日が何か?」

「いや、もし近ければお食事でもどうかなーって」


(ハッ? なんで私の誕生日をあなたと過ごさなくちゃいけないのよっ!)


こみ上げる怒りを抑えつつ杏樹は笑顔で返した。


「ありがとうございます。でもせっかくですがお気持ちだけで……」


これで諦めてくれると思ったがそうはいかなかった。


「えー、誕生日が無理なら今日か明日にでも行きませんか?」


その時隣の美奈子が心配そうにこちらを見る。その目は、


『助け舟を出そうか?』


と言っているようだ。しかし杏樹は、


『大丈夫です』


と目で答えた後、笑顔を浮かべて成田に言った。


「お気持ちは大変有難いのですがお客様とは個人的にお付き合いをしてはいけないという規則になっておりますので」


そんな規則はなかったが杏樹はあえてそう言った。これは先輩達もよく使う手だ。

すると成田がごね始める。


「えーっ、なんか古臭いなぁ。令和のこの時代にそんな堅苦しい事を言っているからどんどん少子化になっちゃうんですよ。男女が自由に食事に行く事もままならないなんて馬鹿げてますよねー、ね? そう思いません?」


成田は調子に乗り美奈子の窓口にいた男性客に向かって聞いた。

すると男性客は、


「え? は? はいっ」


おそらく否定すると厄介だと思ったのだろう。男性客は苦笑いを浮かべたまま慌てて出口へ向かった。


(他のお客様にまで絡むなんて最低! あー、なんとかさっさと追い返さなくちゃ)


杏樹がどう追い返そうかと考えていると突然低く鋭い声が響いた。

びっくりして杏樹が前を見ると成田の横に優弥が立っていた。いつの間にカウンターの外に出たのだろう。


「いらっしいませ、成田様。私、副支店長の黒崎と申します。いつも当店をご利用いただきありがとうございます。私どもの銀行へ何かご意見があるようでしたらあちらでゆっくりと伺いますので、さ、どうぞあちらへ」


優弥は成田に名刺を渡した後、応接室を指し示しながら成田を誘導する。

予想外の事態に苦笑いを浮かべた成田はそのまま優弥に誘導されながら応接室へ消えて行った。


その時窓口の美奈子と真帆が言った。


「大丈夫? 杏樹?」

「私、ああいうしつこいオヤジ大っ嫌い」

「大丈夫です。それにしても今日は特にしつこかったわ…」

「杏樹が薄化粧で可愛くなっちゃったから堕としにかかったんだろうね。でもさすがにあれはないわ」

「ほんとです! 女をモノにするとかっていう考え方自体があり得ません」


そこで美奈子が感心したように言った。


「それにしても副支店長やるわねー。前の前田副支店長はこんな時見て見ぬふりをするか慌てて2階に逃げちゃったもんね。なのに黒崎副支店長は私達が助けを求める前に助けに来てくれるんだもん……はぁーっ、上司の鏡だわぁ♡」

「ホントです。ヒーローみたいにカッコ良かった♡ 見ました? 成田さんのギョッとした顔」


そこで三人はクスクスと笑う。

その時杏樹はすぐに助けに来てくれた優弥に感謝の気持ちでいっぱいだった。


それから15分後、優弥が応接室から出て来て杏樹の窓口に来た。


「成田さんの通帳の処理は終わった?」

「はい、こちらです」


杏樹が通帳をカルトンごと渡す。


「ありがとう」


優弥はそれを受け取ると再び応接室へ戻って行った。

そして5分後、優弥と成田は笑顔で雑談を交わしながら応接室から出て来た。先ほどとは一変して和やかな雰囲気だ。


成田は帰る前に一度杏樹の窓口まで来てから申し訳なさそうに言った。


「さっきはしつこくして悪かったね」


一言謝罪をすると出口へ向かった。

杏樹は慌てて、


「ありがとうございました」


と声をかける。

優弥は成田と一緒に出口まで行くと「ありがとうございました」と声をかけお辞儀をしてから成田を見送った。

それを見ながら美奈子がまた言った。


「凄い! 副支店長ったらすっかり成田さんを手名付けちゃったみたいね」

「ですね……」


杏樹はその見事な接客術を目の当たりにし、優弥に対する深い尊敬の念が芽生えるのを感じていた。

ワンナイトのお相手はまさかの俺様上司&ハイスぺ隣人でした

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