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「久し振り。元気そうね」
三年振りに会った彼女は、三年前と変わらない自信に満ちた微笑みで言った。
フロア内の男たちが、彼女を見つめている。
「きみも相変わらずだな」
「ありがとう」
決して誉め言葉で言ったわけではない。
まさか、こいつが来るとは……。
「面白い企画が試行されるって聞いて、視察に立候補したのよ」
とても、とても楽しそうに言った。
「あなたが柳田椿さん?」
俺の横で、他の男ども同様に彼女に呆けていた椿が、ハッとして頭を下げた。
「はいっ! この度は、遠路はるばるお越しくださり、恐悦至極に存じます」
この女の妖気に当てられた椿は、緊張のあまり昨夜一緒に見た時代物の映画の台詞をまんま言った。
因みに、映画でこのセリフを言ったのは、弱小国主。
相手は、覇王と呼ばれる武将。
ある意味、覇王とも武将とも呼べるな……。
俺は引きつりそうな頬に力を入れて、隙を見せまいとした。
「柳田さん。彼女は東京支社支社長秘書の京谷麗《きょうやれい》さん。東京支社長の代理で、フードロス企画の視察にいらし――」
そこまで言ってハッとした。
その理由に気が付いたであろう麗が、自ら口を開いた。
「――京谷麗です。よろしくね」
「お目にかかれて光栄です」
椿の企画が全社的に注目されていることは知っていた。
実際に運営開始となったら、経済誌などでも特集を組んでもらえるように売り込むつもりだ。これは、椿には話していないが。
いち早く視察に名乗りを上げた東京支社は、支社と言っても社屋の面積も従業員も札幌本社の三倍。
当然、社食の規模も三倍。
だが、食品廃棄量は三・五倍。
なのに、利益率は札幌本社より低い。
というわけで、麗の登場だ。
麗は秘書という名のラスボスだ。
ボスである東京支社長も頭が上がらないから。
「早速だけど、食堂を見せてもらっていいかしら」
麗の滞在は三日間の予定だ。
と言っても、一日目の今日は既に十時半で、三日目の十六時には飛行機の中。
支社長秘書ともなると大忙しだ。
フードロス企画の試行が始まって一週間。
驚くほど順調だ。
食堂が閉まる十五分前を目処に、椿は食堂前で残った総菜を売っている。
売り切れごめんで、一パック五百円の現金扱いのみ。
社内メールで告知し、食堂前にだけあっさりとしたポスターを貼った。
椿は、弁当を買って行く従業員一人一人に、『いつ食べるための弁当か』を聞いている。
その他に、今回の企画のネット掲示板を設置し、リクエストや改善点を書き込んでもらっている。
書き込みはほとんどが予想通りで、『予約したい』『食堂が開く前に売り出して欲しい』『ご飯大盛りにして欲しい』など。
中には、『打合せ中に食べられるように、タッパーではなくワンプレートでデリバリーして欲しい』というものもある。
椿は、その書き込みも見てもらうのだと、昨夜は残業して取りまとめていた。
意気揚々と麗の前を歩いて食堂に向かう椿に聞こえないように、俺は麗に耳打ちした。
「戻ったのか?」
「バツ二、よ」
「二!?」
さすがに驚いて声を上げてしまった。
「あなたは? あの時の言葉通り、結婚してないの?」
「ああ」
「そう」
三年前、俺が東京支社から札幌本社に異動になるまでの半年ほど、麗と付き合っていた。
といっても、好きだの愛してるだのと言った甘い恋人関係とは違った。
「へぇ、素敵ね」
食堂を見た麗が言った。
開店まで一時間。
厨房は慌ただしく声をかけられる様子ではない。
麗は受付の端末なんかをじっくり見ている。
「予約制にしているのよね?」
「はい。席だけですが」
「予約なしでは入れない?」
「席に空きがあれば入れますが、皆さん空き状況を確認して、空いていれば予約ボタンを押してからいらっしゃいます」
「そうね。社員コードと人数を打ち込むだけなら、簡単だものね」
「はい」
「私の予約は?」
「十一時半から取ってある」
FSPの昼休憩は十一時半から十三時の間の一時間。
休憩に入る時に出退勤と同様に社員証で時刻を記録する。
本来であれば席は三十分で交代なのだが、今回は東京支社長の代理として視察に来ているから、今日と明日は一時間半フルに予約済み。
食堂の人の流れから、閉店後の弁当販売の様子までを見てもらうことになっている。
三日間、俺は基本的に麗につきっきりになる。
もちろん椿も一緒だが、食堂や弁当販売の通常業務もこなしてもらうことになっている。
「メニューを見せてもらってもいいかしら」
「もちろんです」
俺たちは予約済みの席に座り、注文に使われているタブレットでメニューを説明する。
「これだけのメニューじゃ、廃棄も多いでしょうに」
「東京支社のメニューと違いますか?」
「ええ。東京は、和洋中の一セットずつと、醤油ラーメン、カレーライス、あとは日替わりでうどんかそば」
「それでも廃棄が札幌本社より多いのは?」
「食堂の利用数に波があるからかしらね」
麗は綺麗に整えられ、口紅と揃いの朱で塗られた爪でタブレットをスクロールしたり、画像を拡大したりしながら、続けた。
「特別美味しいと評判なわけでもないから、晴れた日は外に出るけど、雨の日は食堂で済ますって感じみたい。あとは……外部のお弁当屋さんとパン屋さんの出入りもあるから。雨だけどお弁当屋さんが来た日は食堂の利用は少ないし。あ、暑すぎると外に出る気になれなくて、食堂の利用が増えるわね」
「なるほど」
「予約制にもしていないから、休憩時間になると同時にごった返すこともある。当然、いつ空くかわからない席を待っていられなくて、向いのコンビニに走ったり」
「食堂より弁当がいい理由は?」
「丼物……かしら。食堂のメニューにはないから、お弁当屋さんの丼物がよく売れるんだと思う」
「丼物……」と、椿が呟いた。
眉間に皺を寄せて、レンズの奥で目を細めている。唇もへの字だ。
そういえば、札幌には丼物はない。
「以前、季節限定で牛丼と中華丼を出した時、男性からの注文しかなかったんですよね」
「でしょうね。定食と丼物なら、女性は定食を選ぶ気がする」
「それで、期間限定メニューにしたんです」
「カレーやラーメンとどう違うんだ?」
「え?」
「カレーやラーメンも、どちらかと言うと男が食ってないか?」
あくまで俺の見た限りだが、女性は定食を食べている気がする。
「……確かに」と、椿が呟いた。
「集計を取ったわけではないですが、確かにそんな感じがします」
「なら、あえて丼物をメニューから外す必要はないのかもね」と、麗。
「というより、残った時にお弁当に出来ないメニューを外していった方が、企画の意図には沿っていますかね」
「……すっごい個人的な希望を言えば、丼物食いたいけど、ひとまず今は新メニューを考えるより弁当だ」
「そうね。メニューについてはフードロスの一環ではあるけれど、お弁当販売とは分けて考えた方がいいでしょうね」
ざっとメニューの説明をし、書き込みの集計を麗に渡した椿は、通常業務に入る。
俺と麗は、このまま準備から開店、閉店後の弁当販売を見ている。
「飲み物はないのね」
「ああ。エレベーター前に自販機があるからな」
「お茶やコーヒーが飲みたければ持ち込むってこと?」
「そうらしい。ほとんどは水で済ましてるようだけど」
言ってから、思った。
リニューアルしてから、この食堂は大きくなり過ぎたのかもしれない。
席数が増えたにも関わらず、どの時間帯も予約が一杯だ。数人で回せているのが不思議なほど。
手際のいいベテラン揃いだからできるんだろうな。