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芙月みひろ
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十一時半になり、第一軍が入り始める。
見知った顔があり、いつもこの時間に利用するのかと聞いてみた。
「今日は午後一で打ち合わせに入るんで、この時間です」
「午後一で約束があるんで出なきゃなんですけど、ちょうど昼時はどこも混んでて」
「混み合う前に済ませたいんで、いつもこの時間です」
麗が集計用紙に書き込んでいく。
男女でのメニューの違いも、気づいたことを言い合って、メモを取る。
俺と麗も食事をしようと、メニューを選ぶ。
麗は洋定食A、俺はBにした。
椿が持ち帰る総菜を食っていて思うが、洋食はあまりない。
それだけ、人気があるということだろうか。
俺は入口の端末で注文し、一度外に出てドリップのホットコーヒーを買って戻った。
「ん。カフェオレ」と言って、麗の前に紙コップを置く。
「ありがとう。憶えててくれたのね」
「まぁ、な」
憶えていた自分に驚いたことは、言わない。
「そう言えば、聞かないのね」
「なにが?」
「離婚の理由」
「……聞いても、なぁ」
「冷たいわね。元カノには全く興味なし?」
「元カノ……か?」
正直、麗を『彼女』と位置づけして良いかは疑問だが、本人がそう言うからにはそうなのだろう。
「セレブ妻になったんじゃないのか?」
「なったわよ?」
聞いて欲しくて仕方がないと言わんばかりに、じっと見つめられる。
「……で?」
「セレブって、すっごい疲れるのよ!」と、麗がグイッと身を乗り出す。
「家政婦とかデリバリーとかケータリングとか、人の出入りがあるから自宅でもジャージやスウェットでいられないし、パーティーの度にエステ行ってドレス着て、相手のドレス褒めたり、旦那や奥さん褒めたり、心にもないこと言ってとにかく褒め合うの。だけど、実のところはマウントの取り合いで。もう、くっだらなくて!」
「そんなのわかってたんだろう?」
「わかってたけど! けど、それにしたって毎日のようにパーティーがあって、十分だけ顔を出すだけなのに美容室に行かなきゃだし、美味しそうな料理がずらっと並んでてもがっつけないし! それでも、頑張ったのよ? 代わりの秘書が見つかるまでって言われて仕事辞めてなかったから、仕事して美容室行ってパーティーって生活を半年も!」
半年しか、もたなかったのかと思った。
口を挟むと面倒だから、俺は頬杖をついてうんうんと頷きながら、厨房で忙しくしている椿を眺める。
今日はあきらさんがフロアに出ていて、料理を運んだり、空いたテーブルを拭いたりしている。
椿は、あきらさんの手が回らない時に、料理を運んでいた。
「もっと頑張れると思ったわよ? だけど、ストレスで蕁麻疹が出て! もう、身体中によ!? なのにあの男、みっともないから連れて歩けない、って! 心配する素振りも見せないの! 有り得ないでしょ!!」
セレブ婚に憧れて、トロフィーワイフでもいいと二十も年の離れた男と結婚しておきながら、今更だと思う。
「買って貰ったドレスやアクセサリーなんかを、財産分与代わりに持って離婚したの。仕事辞めてなくて良かったわぁ」
今、麗が身に着けているアクセサリーはネックレスだけ。それも、あまり主張しない石が一粒だけのシンプルなデザイン。
宝飾品に詳しくはないが、恐らく財産分与と称して持って出たものではない。
現金第一主義の麗のことだ。早々に売っているだろう。
「でね! セレブにこだわり過ぎても良くないなぁと思って! 支社長が紹介してくださったバツイチのお友達と再婚したの」
結婚そのものに尻込みしている俺にしてみれば、一度失敗したから次こそはとチャレンジできる彼女を尊敬する。
失敗したいとも、したからと言ってすぐ次にとも思わないが。
「因みに、一人目の旦那はIT系の会社を経営していたんだけど、二人目の旦那はフリーで経営コンサルティングをしてたの。一人目ほどじゃないけど稼ぎが良くて、一人目ほど面倒がなくて。オンとオフのギャップが私並みで、すっごい楽だったの。けどね――」
椿が振り返って、カウンターにトレイを置く。チラッとこちらを見た気がした。
俺か麗のメニューだろうか。
「――ゲイだったの!」
「はぁっ!?」
上の空で聞き流していても、驚きのあまり声をあげてしまった。
「淡泊だってことは結婚前に聞いてたし、子供も望んでないってわかってたんだけど。それにしても全然手を出してこなくて。結婚してから私から誘ってみたら、白状したの! 私じゃ勃たないって! 酷くない!? 有り得なくない!??」
ランチタイムの社食で、恥ずかしげもなく話す麗に、周囲の視線が集まる。
彼女は昔からこう。
見た目はキリッとした隙を見せない美人で、仕事もデキるのだが、オープンすぎるところがある。
表裏がなくさっぱりした性格と、互いを一時の相手だと割り切れたから、付き合った。
「確かに、稼ぎ重視の結婚だったわよ? けど、セックスも出来ない男となんか結婚しないわよ! 外に恋人を作ってもいいから離婚しないでくれって泣き疲れて、結局一年も無駄にしちゃったわよ」
「その一年で、がっぽり貯め込んだんだろ?」
「当然じゃない! でも、あっちから言ったのよ? 離婚しないでいてくれたら、毎月小遣いを渡すって。ま、その金で好きに遊べってことだったんだろうけど」
椿がカウンターから出て来た。
カウンターの上のトレイを二つ持って、こちらに向かってくる。
俺は頬杖をやめて、それを待ち構えていた。
「やっぱり、結婚て価値観とか相性とか、大事よねぇ」
「そうだな」と適当に相槌を打ちながら、椿を待つ。
腹も減ったし、麗の話も長くなりそうだし、良い頃合いだ。
椿がテーブルの横に来て、トレイに載ったオムライスの卵とケチャップの香りに腹が鳴る。
「お待たせ――」
「――だからさ。私と結婚しない? 彪」
トレイを受け取ろうと手を伸ばしていた俺は、椿とばっちり目が合っていた。
…………はっ!?
「私たち、話も合うし、身体の相性も良かったじゃない?」
椿の瞳が見開かれる。
まずい。
まずすぎる。
なんだって、今、このタイミングでそんなことを言うのか。
「どうしても結婚て形が嫌なら、内縁関係でもいいわ。ね? 子供もいらないし、財布も別でいいし」
「麗、なに言――」
しまった、と思った時には遅い。
椿の前で、麗を名前で呼んでしまった。
これでは、関係があったと認めたことになる。
「――ほら! 飯が来たぞ」
「あ、ホントだ。ごめんなさいね?」
話に夢中で周りが見えていなかった麗も、ようやくすぐ横に椿が立っていることに気が付いた。
「洋食AセットとBセットになります」
そう言ってトレイをテーブルに置いた椿の、感情のない声にゾッとする。
「ごゆっくりどうぞ」
まずい。
ヤバい。
激ヤバだ。
「つ――柳田さん!」
見切り発車で立ち上がり、呼び止める。
「何でしょう」
怖い。
無表情の椿が、最強に怖い。
「じょ、冗談……だから」
「何がでしょう」
「いや、れ――京谷さんが言ったこと……」
俺は、何が言いたいのだろう。
麗と過去に関係があったことは事実だが、今はもう無関係であること?
麗が言うほど身体の相性が良かったわけではないこと?
俺にとっては、麗より椿の方が相性がいいと思っていること?
麗と結婚するつもりはないこと?
どれを、どう言えばいいかと考えあぐねているうちに、秘書のクセに空気の読めない麗がテーブルに置いた俺の手に、自分の手を重ねてきた。
「冗談てひどくない? 私の人生初のプロポーズなのに」
「……だそうですよ。おめでとうございます」
椿の真意が知りたくて、じっと見つめた。
レンズの向こうの瞳は、俺を見ているようで俺の背後を見ている。
交わらない視線と、どれだけ気持ちを伝えてもわかってもらえない悔しさに、唇を噛む。
「おめでとうってなにが?」
俺も、椿に負けじと表情のない声になってしまった。
が、どうにも冷静になれない。
「俺が麗と結婚するとでも思うの」
目を合わせて欲しい。
頼むから、俺を見て欲しい。
その願いも虚しく、彼女の瞳には俺が映らない。
「彪……? どうし――」
「――俺が好きなのは椿だって言ってんだろ!」
ビクッと肩が跳ね、ようやく彼女の碧い瞳が俺を映した。
だが、俺の感情をコントロールするボタンは、壊れてしまった。
「待とうって思ったよ。気長に口説こうって思ってたよ。なのに――他の女にプロポーズされてるの見ても無関心かよ! それどころか、おめでとうってか!」
静まり返った食堂内の注目を一身に受けて、それでも歯止めが利かない。
「いい加減わかれよ! 俺が好きなのは椿なんだよ。ずっと一緒にいたいって思うのは椿だけなんだよ! 結婚願望なんか少しもなかったのに、椿となら結婚したいって思うくらい好きなんだよ!!」
くそ――っ!
吐き出した後で、自分の不甲斐なさを嫌悪しても遅い。
「麗。飯、後で食うから置いといて」
「え?」
「頭冷やしてくる」
俺は逃げるように食堂を飛び出した。
最低だ。
あんな衆人環視の中に椿を置き去りにした。
会社で、大勢の人の前で、きっと椿が最も嫌うであろう注目の的になるようなことを言った。
最低だ。
頭ではそう思っても、今は、昂る感情と、歯を食いしばっていないと決壊しそうな涙腺を繋ぎ止めておくことでいっぱいいっぱいだった。