「都立片品高校卒業後、響美学園音楽大学のピアノ専攻に進学。現在はハヤマ特約店で音楽教室のHP認定講師、ご自宅のピアノ教室で講師を勤める……と……」
音羽 奏は無表情のまま、音楽経歴書を手にしている面接担当者の中年女性を見据える。
この夏から収入を増やすために、西新宿にある演奏者派遣会社『サウンドファウンテン』の事務所に面接で来ていた。
大学時代に着ていたリクルートスーツに身を包み、肩甲骨の下まで伸びた黒のロングヘアを後ろで一つにまとめ、重めの前髪は眉の少し下で切り揃えている。
大きめの丸い漆黒の瞳は、目力があって意思が強そうと言われる。
目の前の女性が経歴書に目を向けている隙に、前髪をよけながら額に滲む汗をこっそりとハンカチで押さえた。
サウンドファウンテンは、ホテルやバーラウンジ、高級レストランなどで演奏するピアニストを派遣している。
この会社が入居している高層ビルの周辺にも、高級ホテルや電鉄会社系のホテルがある。
主に土日祝日が中心だが、時々平日の仕事もあるという。
HP認定講師とは、ハヤマ音楽教室独自のピアノ講師の資格だ。
大学在学中に五級の資格を取り、現在の楽器店に就職してから四級の資格を取得した。
本社の方針で、指導者として更なる研鑽を積むために、年に二〜三回ほどHPの認定昇級試験が行われる。
奏も次の昇級試験で三級を受験する予定だ。
「経歴書を拝見しますと、片品高校では吹奏楽部でトランペットを吹いてたそうですね。なぜ吹奏楽部に?」
白髪が若干混じった髪をお団子風に纏めた純和風顔の面接担当者は、上目遣いをするように奏の表情を伺う。
「高校に入学するまで、私はクラッシックしか知らなかったので、色々な音楽ジャンルを知るために吹奏楽部に入部しました」
「吹奏楽部に入って良かったと思う事は何ですか?」
つまらない質問ばかりしてくるな、と内心うんざりしながら、奏は淡々と答えた。
「一度だけですが、ポップスシンフォニーコンテストで全国大会に出場できた事です。金賞は取れませんでしたが、いい経験になったと思ってます」
吹奏楽をやっていたのは高校時代だけだが、色んな意味で経験になったとは思う。
音楽の事も、音楽以外の事も……。
質問がこれで終わるかと思いきや、まだ続くようだった。それも吹奏楽に関する事ばかり。
「ちなみに、吹奏楽で好きな曲は何ですか?」
「ジャンルはフュージョンですが、T-SQUAREの『トゥルース』が好きです」
フュージョンは約六十年ほど前、ジャズをベースに、ロックなど他ジャンルの音楽を融合させた、ジャズから派生した音楽ジャンルと言われている。
電子楽器が使われるようになったのも、フュージョンが誕生した時期とほぼ同じらしい。
原曲の『トゥルース』は、ウィンドシンセサイザーと呼ばれる電子吹奏楽器で旋律が奏でられる。
「どんな曲ですか?」
「F-1レース番組のテーマ曲、と言えばお分かりでしょうか?」
「ああ! あの曲! ♪テテト…………♪」
何を血迷ったのか、面接担当者が唐突にシンセサイザーの前奏部分を歌い始め、奏はドン引きした。
(今日はラウンジピアニストの面接に来たのに、この面接担当者、一体何なの!?)
奏は面接官にバレないように、心の愚痴と一緒に小さくため息を吐いた。
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