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扉の前で、ふたりは同時に立ち止まった。 青く透き通った取っ手に、私の指先が触れる。冷たい。
「ここが、あなたの部屋」
少年が軽く押すと、扉は静かに開いた。
中は、ほとんど音のない青い部屋だった。
天井から垂れる長いレースのカーテンが水面のように揺れ、中央には丸い泉が静かに湛えられている。
泉の水は透き通っているのに、そこには映像のようなものが浮かび上がっては、波紋とともに消えていった。
――小さな川辺で笑う少女の姿。
――手を繋ぎ、流れを眺める二つの影。
――雨の日に傘を差して歩く、ぼんやりとした横顔。
どれも、懐かしいのに、鮮明ではない。
私の中で固まらず、すぐに形を失ってしまう。
「好きなものを選んでいい」
少年が泉の縁に腰掛け、無邪気に笑う。
「でも、ひとつだけ」
少女が静かに付け加える。
私は泉を覗き込み、ひとつの記憶に手を伸ばす。
それは、川面に落ちた一輪の白い花を拾い上げ、笑うあの人の顔――やっと見えた気がした。
そっと掬い上げた瞬間、記憶は水滴になって私の掌に落ち、そのまま泉に沈んでいった。
水面は静まり返り、青い部屋に微かな水音だけが響く。
「これで、新しい流れが始まるわ」
少女の声が、どこか遠くから聞こえた。