暫く後、一行を不機嫌に出迎えた、あの家令《しつじ》と、両手に灯りを持った、正平が、現れた。
「中将様、大変申し訳ございません……」
房《へや》の入り口、廊下で、家令は、深々と平伏している。
正平は、目立たぬように、奥へ入ってくると、追加の灯りを、皆の側へ置いた。
「うん、本来、もう少し灯りが欲しい所だが、まあ、広縁にいるのだ、これでよかろう」
そこへ、ニャーー!と、一の姫猫が、鳴いた。タマを、突っついて、通詞《つうやく》しろと、催促している。
「え?明るくなったから、顔が、はっきり見えたって?正平様が?姫君の、ややの父親??ん??だって、姫猫、一の姫君は、いないんでしょ?」
不思議がるタマへ、一の姫猫が、さらに、ニャー、ニャー、鳴いた。
「待て、待て、タマよ。姫猫の話を聞いてやれ」
「はい、わかりました。姫猫、タマ、ちゃんと聞きます」
タマなりに、ちょこんと、居ずまいをただすと、一の姫猫の話を聞く体制を作った。
「やだっ、タマったら、すっかり、猫ちゃんのこと、気に入ってるんだから」
「うん、しかし、いつの間にそんな仲になったのだ?と、いうよりも、姫猫、もう、正平様や、家令殿に、お聞きするのが、早い。タマと、ゆっくりなされませ」
常春《つねはる》に言われて、そうだねーと、タマは、ふたたび、コロリと転がり腹を見せた。
「秘密袋に、甘味があったはずなんだー!姫猫!食べましょう!」
一の姫寝は、嬉しげに、タマの側に近寄ると、ぽっかり空いた穴を覗きこんでいる。
「……なんというか、どうも、あれ、は、慣れないが、ともかく、二匹は、もう、解放してやりませんか?」
常晴は、守孝へ言った。
「ああ、逐一、通詞ごとで、タマの、世迷い言に近い言葉を整理するのも、骨がおれる」
そんな、冷たいことをと、紗奈《さな》は、守孝へ、言いかけたが、あーー!じゃーー!えーー?!と、何かに気が付いたようで、一人、首をひねっている。
伺う兄へ、紗奈は、言った。
「兄様!ほら、秋時《あきとき》が言っていた、権少将《ごんのしょうしょう》、藤隆《ふじたか》様が、姫君の房《へや》へ、忍び込み、姫君が逃げた、って、話は、何なの??姫君は、いたってことでしょう?」
「……そういえば、そんな話があったな。家司《しつじほさ》が、潜り込んだ藤隆様を捕まえて……ああ、それから一の姫猫様が、現れ、ややの父親だろうと、言った。って、それは、姫猫様の考えだ。ただ、家司が、うろうろする、と、愚痴っていた……のは、事実だろうから……」
兄妹《きょうだい》は、揃って、正平を見た。
もはや、正平へ問いただすのが、早い。
と、思いきや……正平は、うーんと、言って気を失いかけている家令を、抱き止め、声をかけていた。
「家令様はいったい?!」
驚く紗奈達に、正平は、
「……タマが、喋ったことに、驚かれたようで」
と、答えた。
「まあ、無理もない。犬が、人の言葉を喋ったのだから。私とて驚いた」
守孝が、袖を口元へ、当てて、あくびを噛み締めている。
「あー、もう、夜も更けてきた。正平よ、家令は、ほおっておいて、お前が、真相を語りなさい」
「はい、かしこまりました」
正平が、公達ではなく、仕える者としての仕草を見せた。
「あー、やっぱり、正平様、家司、だったんだ……」
従者ぜんと動く、正平に、紗奈は、どことなく、寂しげな視線を送り、呟く。
「ほほー、こちらは、失恋か。まあ、正平が、本当に右兵衛佐《うひょうのすけ》ならば、まだ、なんとかなったが、家司《しようにん》では、紗奈よ、お前も、わかっておるだろう?だが、私が、おるぞ?」
ホホホと、守孝は、意味深に笑ってくれる。
「な、何を言ってるんですか!私は、そんなんじゃっ!!そ、それより、話、話ですよ!!秋時の言ったことは、単なる噂に、尾ひれがついたって、やつなのか、それとも……、そこ、はっきり、させないとっ!!!」
躍起になる、妹の姿を、常晴は、複雑な心境でみていた。
守孝の、言いたいことは、わかる。右兵衛佐《うひょうのすけ》なら、一応は、禁中へ出入りしている貴族の端くれで、常晴と同様の、六位の辺りに居る者だ。
しかし、紗奈は、国司の正妻の娘。兄妹《きょうだい》と言っても、妾腹の常晴とは異なり、れっきとした、姫君になる訳で、位も父親のものを引き継ぎ、四位。
右兵衛佐《うひょうのすけ》では、位の釣り合いが取れない。
では、守孝は、と、なると、中将であるから、三位。さらに、分家とはいえ、政《まつりごと》に携わる、羽林家の一員、紗奈とは、格が違いすぎた。
それを分かってか、分からずか、守孝という人は……と、常晴は、眉間にシワを寄せている。
「おお、怖い怖い、妹思いの、兄様が、他の男に渡すものかと、睨み付けておるぞ?紗奈」
またまた、守孝は、高笑いしている。
「もう!守孝様!そもそも、姫君の噂を確かめるだなんだと、守孝様が、言いだしたのですよ!!」
紗奈が声を荒げた。
「ああ、すまん、すまん。だがな、皆、当事者……、なかなか、口を割れない、話すには、少しばかり、ためらわれるのだ」
「……それは、つまり、初めから御存じだった、いや、なんらか、噂を広めていた……という、ことでしょうか?」
常晴は、怪訝な顔つきで、守孝へ迫った。
すると、守孝は……。
「まあ、姫君は、いるといえば、いる。一の姫というのは、小上臈《こじょうろう》様の、昔の呼び名で、そして、ここは、ご実家なのだ。つまり、小上臈《こじょうろう》様が、里へ宿下がりをしている時に、姫猫が見て、そのお姿を、姫君、が、いる。と、思った。いや、違う、きっと、小上臈《こじょうろう》様は、唐下がりの香のせいで、御自身と、架空の姫君とを被せられていたのだろう……」
これで、どうだ、と、守孝は、常晴に言った。
謎を、あかしたのだから、納得しただろうと、言いたいようだが、聞かされたことは、常晴、紗奈をますます、混乱させるものだった。
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