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#ハッピーエンド
Tubling
372
父様と母様に出掛けの挨拶をした後、私は兄様に付き添われて、しずしずとした足取りでカイゼルを待たせているホールへ向かった。大階段を降りようとして、ふと足が止まる。
大扉を入ってすぐの壁面に、私と兄様の成長の節目を写し取った絵画が数枚飾られているのだが、カイゼルがその中の一枚をじっと眺めて、口元に微笑みを佩いていたのだ。
いったいどの絵を見てそんな顔を――?
「レジーナ、どうかした?」
兄様に訝し気に声をかけられて、私は我に返った。
「な、なんでもないわ」
「そうか?では、行こうか。カイゼル!待たせたな!」
兄の呼びかけに、カイゼルはこちらに顔を向けた。そこにはもう笑みはない。いつもの真面目な顔つきで、ゆったりとした足取りで近づいてきたが、階段の下から私を見上げた途端、はっとしたように目を見開いた。
何をそんなに驚いているのかと訝しみながら、私は彼を見返した。その時になって初めて目にした彼の正装姿に戸惑う。
漆黒の髪を綺麗に整えた彼は、日頃の鍛錬で引き締まり均整の取れた体に、金糸の刺繍で華やかさを演出した深みある群青色の礼服をまとっていた。姿勢よく凛として立つその姿は、普段の稽古着姿や近衛服姿を見慣れている私の目に、ひどく優雅に美しく映る。
そんな貴公子然としたカイゼルの姿に加えて私を動揺させたのは、私たち二人の服装がいかにも揃えましたと見える色味と雰囲気だったことだ。
ちょっと待って。カイゼルと私の恰好、なんとなく色々と揃っていない……?
私は動揺を隠すためにも、なんでもいいから早く彼に言葉をかけなくてはと思った。しかしそう思うほど、焦りを覚え、気の利いた言葉が思い浮かばない。ひとまず「ごきげんよう」とでも言っておくことにして、唇を動かしかけたが、それよりも先に兄様が口を開く。
「おいおい、二人とも。こんな所で見つめ合ったりしないでくれよ。周りにいる私たちみんな、困ってしまうじゃないか」
その口調からして、兄様が私たちの様子を面白がっていることは明らかだ。見つめ合うだなんてとんでもないと、私は弾かれたような勢いで兄様に文句をぶつける。
「カイゼルがいつもと違いすぎてあまりにも別人だから、本当に本人かどうか、じっくり見て確かめていただけよ!」
カイゼルもまた、兄様の言葉は不服だと言わんばかりに否定する。
「一瞬誰か分からないくらいレジーナが着飾っているから、驚きすぎてつい言葉を失くして固まってしまっただけだ」
兄様は意味深な目つきで、私とカイゼルを交互に見る。
「ふふん。とりあえずは、そういうことにしておいてやろう」
「だから、そんなんじゃないってば!」
「ルシアン、違うからな!」
兄様はくつくつと笑い、さらにムキになって否定の言葉を重ねる私たちを軽くいなす。
「はいはい、分かった分かった。レジーナ、とにかく下に降りようか」
「……はい」
なんとなく消化不良の気分のまま、私は差し出された兄様の手を取り、ゆっくりと階段に足を下ろした。普段着慣れないドレスと華奢な靴を履いているせいで、騎士服にブーツの時のようには動けない。まだるっこしい思いで、一段一段降りて行く。やれやれ、あと数段だと思った時、兄様が突然こんなことを言う。
「カイゼル、交代だ」
「え?兄様、あと数段よ」
兄様は私の言葉を聞き流し、有無を言わさぬ口調と、堅苦しい言い回しで、カイゼルを呼ぶ。
「オルブライト卿、こちらへ」
カイゼルは困惑顔をしたが、幼なじみとは言え自分より高位の貴族である兄様の言葉を無視することはできなかったようだ。分かりにくい表情故、本気なのかわざとなのかは不明だったが、彼は左胸に手を当てて恭しく兄様に礼を執った後、階段を登って私の斜め前に立った。
明らかにわざとらしいと分かるいかめしい口調で、兄様はカイゼルに告げる。
「レジーナを頼む」
「……かしこまりました」
「ちょ、ちょっと、兄様?」
ぽかんとしている間に、兄様は私の手を、白い手袋が眩しいカイゼルの大きな手の上に乗せた。
「に、兄様!?」
焦る私に兄様は悪戯っぽく笑う。
「妹よ。カイゼルにしっかりとエスコートしてもらって、久しぶりのパーティを楽しんで来い。仕事にひと区切りがついたら、俺も後から少し顔を出すつもりだがな」
私はため息をつき、苦笑しながら頷いた。
「……分かりました。それでは行ってまいります。カイゼル様、よろしくお願いいたします」
カイゼルに対して、淑女らしいこんな言葉遣いをしたのはいつぶりだったかしらと、その最後の時を思い出そうとしながら、私は彼にぎこちなく微笑みかけた。
「こちらこそよろしくお願いします。レジーナ様、足元にお気を付けください」
何がおかしいのか、明らかにカイゼルは笑いを堪えていた。
「カイゼル様、何か?」
言いたいことがあるなら言えと、言外に含みを持たせつつ、私は彼に声をかけた。
しかし彼ははっとしたように笑いを収めた。何も言わずに、ただ私の手を包み込むような優しさでそっと握った。
薄い布越しにも、カイゼルの手がごつごつしているのが分かった。それはつまり、私の手もまた剣を握り続けてきたおかげで、一般の貴族令嬢たちのように優雅な手ではないことが、彼に知られてしまったということでもある。いつもはそのことを誇りに思っていたが、不意に恥ずかしいことのように思えてしまった。
なかなか動き出さない私に、彼は不思議そうに声をかけてよこす。
「レジーナ様?どうかされましたか?」
「い、いえ、別に何も……。参りましょうか」
私は空いている方の手で、ドレスの裾を軽く持ち上げた。そのまま優雅に残り数段の階段を降りるはずだったが、うっかり足を踏み外してしまう。
「きゃっ!」
「レジーナ!」
慌てた声を上げてカイゼルが私を抱き止めた。
鍛え上げられた彼の厚い胸板を礼服の下に感じて、不覚にもどきりとする。
「大丈夫か。足を捻ったりはしていないか」
「え、えぇ、大丈夫。ありがとう。助かったわ」
今の一件で、淑女言葉は吹き飛んだ。私はどきどきしながらカイゼルに礼を言い、彼の腕に手を掛けて体勢を整えた。
騎士服を着ていたら、絶対にこんな失敗はなかった。もしも可能であるなら、ドレスを着るのは今夜限りにしたいものだと、現実には絶対に無理と思われる願望を抱きつつ、私は改めて慎重に階段を降りた。
私たちの様子を見守っていた兄様が、カイゼルに念を押すように声をかける。
「カイゼル。幼なじみとして、レジーナの兄として、妹のことを頼んだぞ」
兄様の言葉の中に何かしら裏の意味があるように感じられたのは、気のせいだったろうか。
カイゼルは一瞬言葉を詰まらせたものの、兄様に向かって力強く頷く。
「心配するな。任せておけ」
兄様はカイゼルを頼もしそうに見た後、ふと何かを思い出したような顔をして、彼にもうひと声かける。
「頑張れよ、色々と」
カイゼルは照れ臭そうに片眉を上げて、短く「あぁ」と答えた。
「カイゼル、何を頑張るの?」
単純に気になって訊ねたのだが、彼はその問いをあっさりと聞き流し、私に歩調を合わせながら大扉の外へと歩みを進めた。
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