「——さてと、だ。どこから話そうか?」
小休止でも取るみたいに、焔とオウガノミコトだと名乗る者がソファーで横並びになり座っている。手にはお茶の入る湯飲みを持たされているが、焔はまだ一口も口を付けていない。透明な壁向こうの部屋に居る五朗達も、急に目の前に出現したお茶をどう扱っていいのか困惑していた。
「……本当にお前は、オウガなのか?」
焔をこの世界へ送り込んだ当人までもが何故此処に来る必要が?そんなもの無いだろうと考え、どうしても彼がオウガノミコトであると信用出来ない。
「うん、そうだよ。焔なら匂いでわかるだろう?それにほら、君の名前を私が知ってるのが何よりの証拠にならないかな」
「まぁ……そうかもな」
それでも胡乱に思う気持ちを払拭出来ずにいると、オウガノミコトは優しげな笑みを浮かべて「あぁ、この見た目のせいだね?」と言った。
「そうだ」
「これは四聖獣達の伝承から力を得て実体化したせいでね、こんな姿しか得られなかったんだよ。あの子達が実際に存在した者達ならばもう少しどうにかなったのだろうけど、彼らは世界の基礎となった『企画書』に『こういう存在が昔はこの地にいたそうだ』という伝説だけの存在だからね。この神殿も出来上がったその瞬間から地下に埋もれた廃墟だったし。私達からしてみればこの異世界は生まれたばかりの赤ん坊だ。『記録』から得られる残滓程度の力ではこの姿を得るのですら精一杯だったんだよ」
ふぅと息を吐き、ソファーの背もたれにオウガノミコトが寄り掛かる。上から落ちてくる紅葉の葉を一枚手に取ると、くるくると回して手遊びを始めた。
「じゃあ賭けに負けたというのは、何の話だ?」
「実はね、このクエストは私達の賭け事だったんだよ。クエストを受けた時点で賭けは開始されていたってワケさ。ほら、依頼書の原本見る?ここ、最後の方に小さく『尚このクエスト依頼を受領した時点で賭けにのったものと判断するよ』って書いてあるだろう?」
一枚の羊皮紙をペロンと焔の前に出し、線の様に細い部分をオウガノミコトが指差した。虫眼鏡でもあればかろうじて読めそうな文章が、確かによく見ると、最下部の方に書かれている。
「読めるかぁぁ!」
「まぁまぁ。いいじゃないか、些細な事さ!」
けろっと悪びれも無くオウガノミコトが言った。
「手掛かりを頼りに此処まで焔が来て、私の正体に気が付いていたら君の勝ち。わかっていなさそうだったら私の勝ちっていうやつだったんだ。いつもよりは相当難易度の低いものだろう?」
「手掛かり……?そんなもの、あったか?」と言う焔の表情は訝しげだ。
「あっただろう?私の『匂い』なんて答えそのものだったじゃないか。わざと人の多い時を狙って目撃者を残したりもしたし。今回はかなり緩かったんだけど、まさかそれでも確信を得られなかったなんてなぁ。焔は『目』を使ってモノを見ていない割には、他者が目視で得られるであろう情報に引っ張られ過ぎだよ?もっと心の目で物事を見ないと」
ふふっと笑われ、焔は悔しそうに口元を引き絞った。この姿を見る直前まではオウガノミコトが犯人だと確信があっただけに、寸前でその考えが揺らいでしまった事が悔やまれる。
「それにしても、まさかお前までこの世界に来ていたとはな。この一年間何をしていたんだ?何故今まで会いに来なかった?」
「私だって此処へ来る気なんか微塵も無かったよ。君を送り出した時に『大丈夫かな。上手くやれるかな』ってほんの少し思ったら、その『気持ち』がこっちにきちゃったって程度の存在だから、私の本体すら『私』が此処に居るとは気が付いていないしね。『小さな心配』でしかなかったから実体化するのに一年かかったし、その土台に四聖獣の伝承を使ったから私はこの街からは出られないんだ」
残念そうに息を吐き、オウガノミコトが焔の膝にぽすんと倒れ、掴んだままの紅葉の葉をくるくると回しながら勝手に膝枕でくつろぎ始めた。
「そんな訳で今の私は本体の毛先程の力も使えないからさ、ちょっと困った事になっているんだ。なので賭けに負けた焔には、その後処理を頼みたい」
「……はぁ」と深く溜息をつき、『またか』と言いたげに焔が顔を顰める。この世界へ飛ばされる前も何かにつけて賭け事を持ちかけられ、毎度必ず負けては縁結びなどの行為をさせらてきたので仕方の無い反応だろう。
『情けは人の為ならずってね。こうしていれば、いつか、焔の願い事も叶うよ』
よくそんな事をオウガノミコトは焔に言っていたが、彼としては記憶の欠如のせいで『願い事』なんてものは無かったので、いつも『ここまでやらされるだなんて聞いてないぞ』『こんなのは鬼に頼む仕事じゃないだろ』と、少しだけ不貞腐れていた。過去の記憶を取り戻した今でもわざわざ善行を積んでまで叶えたい『願い事』は思い浮かばないままだが、『賭けに負けた』という縛りのせいで彼の頼みを断れない焔は、渋い顔のまま「何をしたらいいんだ?今回は」とぶっきらぼうな声で訊いた。
「じゃあ早速。——もう出て来ていいよ、サラン」
紅葉の木々が立ち並ぶ方へ向かい、オウガノミコトが声を掛ける。すると木の影から一人の少年が恐る恐る顔を出した。見たところ年齢は十歳くらいだろうか。金髪でふわふわとした髪をしており、現時点で既に見目麗しく、将来を期待したくなる容姿をしている。衣装の仮縫いの最中にそのまま連れてこられたからか動きにくそうな印象のある豪華な服を着ており、その雰囲気は十二単に少し似ていた。
「——この子は、麒麟の神子か!」
前のめりになりながら焔が叫ぶ。すると『サラン』と呼ばれた少年は驚いて肩を震わせ、また木の影に隠れてしまった。
「ここへ到着するなり、その壁をこれでもかってくらいに攻撃し始めた焔達を見て、すっかり怯えてしまったんだよ。まぁ当然だよねぇ。見たこともない生き物が本気で蹴るわ殴るわし始めたら、恐怖でしかないもんなぁ」
うんうんと頷きながらオウガノミコトが体を起こし、立ち上がってサランを迎えに行く。すると即座に彼はオウガノミコトの脚へと飛びつき、ギュッとしがみついた。
「よしよし。でもね、あの子は怖くないよ。サランを助けに来てくれたんだ」
「……ボクを、助けに?」
「あぁそうだよ、サラン」
紅葉の葉を彼に渡し、オウガノミコトが頭をそっと撫でるとサランが嬉しそうに目蓋を閉じる。その顔がちょっと子猫みたいで何だか可愛い。
「どういう事だ?オウガは神子を『誘拐』したんじゃないのか?」
「『誘拐』かぁ……それは違うね。私視点では、これは『誘拐』じゃなくって『救出』だよ」
「『救出』?何からだ」
「神の名の下に、好き勝手にしているクズ共から、この子を助けてあげたのさ」
ギルドから聞いていた話との違いに焔が困惑する。『本当に誘拐ではなかったのか?』と不思議に思ったが、彼をよく知る焔は即座にオウガノミコトの言葉こそが真実であると頭を切り替えた。巫山戯る事は多々あれど、基本的には潔癖気味で理性的であり、幼な子への情が深い彼が——いや、本物の神である者が、この程度の事でわざわざ偽りを語る理由が今は無いからだ。
「基本的に私はこの世界へ干渉する気は全く無い。その考えは今も変わらないよ。だけどねぇ、神の存在を利用し、利己的な理由で好き勝手にするのだけは、絶対に許せないなぁ」
淡々とした声でそう言ったオウガノミコトの表情を前にして、焔の背筋に寒気が走った。ただでさえ今はとても異質な姿なのに、更に瞳孔が開き、静かな怒りを滲ませる姿には神々しさの欠片も無い。怒りにより堕天した者を前にした様な恐怖を焔は感じた。
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