松村北斗 放射線科医
「佐伯さんですね。放射線科の松村といいます」
検査室に入ってきた柑奈さんに、治療の説明を始める。
「膵臓と胃のがんに放射線を照射するだけです。数分で終わりますよ。少し副作用は出るかもしれませんが、数日で治まります」
「はあ…」
おずおずとうなずく。
「大丈夫です」
自分のキャラクターに不釣り合いな笑顔を浮かべてみたものの、少し引きつったかな、と思う。
この間佐伯さんの治療を頼まれたとき、ジェシーは去り際に言った。
「お願いしておいてこんなこと言うのもなんだけど…。相手は年下の女性だ。北斗の無表情な顔はちょっと怖い。俺でも。だからなるべく笑顔を心がけて」
まあそれも一理あると思い、反論せずにうん、とだけ言った。
「じっとしていてください」と声を掛け、一旦部屋を出る。あとは技師の人に任せるだけだ。
程なくして、治療の時間が終わる。お疲れ様でした、と精一杯の笑みで見送った。
「副作用が出ているようであれば、僕や担当医に知らせてくださいね」
「はい。ありがとうございました」
その後はしばらく、パソコンで膨大な量の患者のカルテと格闘していた。
ふと時計を見上げると、時刻は午後9時を回っていた。
「ふう…」
首や肩をもみ、立ち上がる。疲れた頭と身体を休めようと、飲み物を買いに医局を出た。
消灯時間を過ぎ、やや薄暗い廊下には一人、白衣のシルエットが見えた。その影は見慣れている。
「樹」
名前を呼ぶと、すぐに振り返る。人の好さそうな笑みを向けてきた。自分よりは断然明るい笑顔だが、ツンデレなところもある。
「おお北斗。休憩?」
「うん、まだ残ってるんだけど」
「大変だな」
そう言って缶コーヒーをぐいっと飲む。ビールと勘違いしているのではないかと思った。
自分も同じコーヒーを買って飲んだ。ふう、と我知らず息がこぼれる。
「あ、そういえば…こないだ診た若い女性の人、あれ名前なんていったかな…」
樹は眉間に手を当て、考え込むような仕草をする。
「え、誰?」
「……さ…佐伯さんだ。佐伯、柑奈さん。あの患者さん、北斗が放射線やんだろ?」
「ああ、そうだよ」
「…見込み、あるの?」
声のトーンを落とし、不安そうな顔で尋ねてくる。
「さあな、わかんねぇ。って、どうした? そんなにがんが気になるのか?」
「いや…症例が珍しいから…その…」
語尾を濁す樹。
「珍しいな。そんな患者のこと訊いてくるなんて。……あ、さては好意を寄せてんだな?」
「違うだろ、そんなんじゃねーよ」
ストレートな聞き方に、睨みを利かせてくる。
「ただ……」
前を向き直した樹の顔から、表情が消える。俺は何も言わず、次の言葉を待った。
「重なるんだよ、その患者さんが」
言わんとしていることはわかった。
樹には兄がいた。仲が良く、いつも一緒にいた。それだけに、失ったときのショックが大きすぎた。樹とは幼馴染だから、そのときも一緒だった。気心の知れた親友の俺でも、ほとんど口を利かなかった。
その兄は脳腫瘍だった。約3か月に及ぶ治療の末、天国に行ってしまったのだ。樹によれば、弟に無様な姿を見せまいと、病室では明るく振る舞っていたらしい。結局最期まで弱音は吐かず、強い兄だったという。
彼に、柑奈さんが重なるのだろう。自分の病状に全く臆することのない姿勢が。
「そういう強い人でも、最後には弱いんだよな…」
あまりに悲しそうに言うものだから、こっちまでうつむいてしまう。
「…でも、病気は人それぞれだから、な。樹は担当医じゃないから、気負いすることないって。ジェシーに任せとけ」
「ジェシーがするの?」
「そうだけど、聞いてないの?」
「うん。そうか、あいつか。信用はあるようなないような…」
「してやれよ」
少しほほ笑みながら言うと、樹は俺を見る。
「そうだね」
樹は膝を叩き、立ち上がる。
「さっ、長い夜が始まるぞー」
どうやら、今夜も当直のようだ。
「俺もまだ作業あるから。じゃ、頑張れよ」
「お前もな」
お互い背を向けて、それぞれの仕事場へと歩き出す。
が、「北斗」と呼び止められた。振り返ると、樹は床を見つめたまま、
「……助かると、いいな」
独り言のようにつぶやいた。返そうにも言葉が見つからず、そっとうなずいてその場を去った。
続く