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現れないのをいいことに、わたしたち平社員は「幻の課長」の正体を好き勝手にイメージしていた。

プログラマーとして天才的な能力を持っているけれど、実はチビ、ハゲ、デブの三重苦を背負ったパソコンおたくで、ニートまがいの人嫌いゆえに人前に出たくないんだ、とかなんとか…失礼千万なイメージを。

それを大きく裏切った超イケメンの登場に、みんなおどろきと興奮を隠せないのは無理はない。特に売り時真っ最中の女性社員たちは…。

…これは今日から壮絶な女の戦いが始まりそうだ。

わたし…恐れ多くもあんな人に助けてもらったんだなぁ。

なのに、おにぎりなんて色気のないもの食べさせて…。

…キスまでされて…。

「朝からなんの騒ぎだ。もう始業時間は過ぎているぞ」

とそこへ、低く張りのある声が聞こえて、ざわめいていたラウンジ内が静かになった。

営業部の服部部長がやってきた。

服部友樹(はっとりともき)部長は精鋭ぞろいの我が社でも一、二を争う敏腕で、異例の速さで営業部長についた人だ。

28歳とは思えないような貫録にも近い落ち着いた雰囲気をはなっていて、ちょっと近付き難いけれども周りからの信頼は厚かった。

この騒ぎもやっぱり予想していたみたいだ。

平静な様子で人だかりの中心に進むと、部長は課長の隣に立った。

黒髪にブラックスーツを着るために生まれてきたような美丈夫って感じの服部部長と、栗色の髪にダークグレーのスーツが似合う遊佐課長。

二人が並ぶと、もうドラマの世界に入りこんだような気になる。まさに絶景だ。

しきりに顔を見合わせる社員たちを見回し、部長が口を開いた。

「みんな集まっているようなのでちょうどいい。報告がある。今まで特別開発課をひとりで担ってきたこちらの遊佐裕彰課長が、本日付でここ本社に配属されることになった。

彼はソフトウェア開発事業において更なる躍進をすすめていく上で重要なキーとなる人材だ。これからも営業をはじめ他部署とより一層の連携を強め、収益の拡大を達成したい。皆もそのつもりで、ますますの精進にはげむように」

次に課長が口を開いた。

「初めまして、遊佐裕彰です。これまでは研鑽も兼ねてアメリカで単独業務にあたっていましたが、このたび本社勤務となりました。これからはみなさんとより近しい距離で協力をふかめ、ますますの社の発展に貢献したいと思っています。海外生活が長く時にご迷惑をかけるかもしれませんが…どうぞよろしくお願いします」

当たり障りのない内容だけれども気さくな感じのする挨拶だった。

熱のこもった拍手がラウンジに割れるように響き、遊佐課長は満足そうに社員を見回した。

その時だった。

ぱちり

わたしと目が合った。

わわわ。

慌てて目をそらそうとしたけれど、

ふっ

キャラメル色の瞳が、穏やかに細まった。

まさに昨晩と同じ王子様スマイル…。

きゅっと胸が痛んだ…のと同時に、記憶がよみがえった。

唇に残した、やわらかく温かい感触も…。

まだ拍手が鳴りやまない中、課長が歩きだして人だかりを割るようにまっすぐにドアに向かった。

すらりとした体格なのにみんな圧倒されて、慌てて課長に道を作ってあげる。

ドアの近くに立っていたわたしは、隠れるように人影にひそめた。

その拍子に後ずさった男性の腕に当たって、手袋を落としてしまった。

慌てて手を伸ばした。

けれども、手袋をつかんだのは、見覚えのあるスラリとした指先だった…。

「落としたよ」

課長が手袋を差し出して、キャラメル色の瞳を細めた。

わ…。

ほのかに香るスパイスの効いた香りが、昨晩の記憶をリアルに呼び起こさせる。

でも、目の前にいるのは、ふわふわなセーターを着た、ほんわかした雰囲気の彼じゃない。

オーダーメイドにちがいないダークグレーのスーツに日本人離れした長い手足を包み、栗色の髪を少しワックスでセットした、隙のない大人の男だった…。

「キミのでしょ?」

「す、すみません…ありがとうございます、ありがとうございますっ…」

ペコペコと頭をさげると、クスリと笑みが聞こえた。

「そんなに恐縮しないでいいよ。今日から同じ屋根の下で働く社員同士でしょ」

「……」

「手袋、なくさないでね。冬ももうすぐだし、寒いと無きゃつらいでしょ?…特に、残業して帰りが遅くなった夜とかは」

「あ、ありがとうございます…!」

奪い取るように手袋を取ったわたしには、課長がどんな表情を浮かべているかわからなかった。もう目を合わせられなかった。

でもきっと、あのキャラメル色の瞳には、いたずらめいた輝きが浮かんでいたにちがいなかった…。

課長はラウンジを出て行った。

あとから服部部長も続いて出て行く。

ふたりがいなくなった後のラウンジは、一気に空気が抜けた風船のように、緊張状態から一変した。

みんな早速遊佐課長の話をし始め、平凡な日常に突然起こった異変に、期待と不安を混じらせたざわめきを湧き起こした。

その中にはもちろん嫉妬がこもったものもあるみたいで…。

「ちょっとなにあれ?」

「三森アイツなんなの?あざと過ぎ」

先輩たちの針のような視線がわたしに集中した。

「手袋落として拾ってもらうなんて、古典的過ぎてむしろ脱帽だわ」

「あのコ普段はグズのくせに、ああいうところはキレるのね。ああ怖い、最近のコってほーんと怖いわ」

先輩たちがわざと大きな声で言うから、次第に他の社員たちもわたしに視線を向けだしている。

これ以上注目されるのもたまらない。

逃げるようにわたしはラウンジを出て行った。

君に恋の残業を命ずる

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