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ガラッ、と引き戸を開けた瞬間。
「……あ」
誰かが、小さく声を漏らした。 日下部は気づいた。 それが驚きでも、喜びでもないことに。
──まるで「何かが壊れる音を聞いた」ような反応だった。
空気が、明確に“ざわついた”。
なのに──誰も目を合わせてこなかった。
(……ああ、もう……始まってる)
そう思ったときには、もう遅かった。
黒板には書かれていない文字。 日下部の机の上に投げ捨てられたプリント。 自分の席に向かう足音が、やけに重い。
遥がいた。
窓際の席。
──うつむいたまま、ノートを睨んでいた。
「……よ」
声をかけた。
でも遥は、ペンを握ったまま、返事をしない。
日下部はその隣に腰を下ろす。
机の角に触れたとたん、違和感が走る。
──机の裏。彫られた文字。
「おさわり野郎専用」
思わず、指が止まった。
そのとき。
斜め後ろの席から、誰かの笑い声。
「おかえり〜、“ちょっとエッチなヒーロー”」
「今日も隣で仲良くしてくれるんだ〜。やさしいねぇ、メスいぬくん」
──男子たちの軽薄な声。
女子の乾いた笑い声。
教室の空気が、またひとつ、歪んでいく。
遥が、ようやく口を開いた。
「……見ないほうが、いい」
その声は、ひどく冷たくて。 けれど、その裏にあるのは「心配」じゃなく──
「罪悪感から遠ざけたい」という拒絶だった。
「おまえが見たら……壊れるから」
日下部は黙って、隣を見つめた。
遥の指が、ノートの端を擦っている。
小刻みに、繰り返すように。
癖でも、癒しでもない。ただの「逃げ場」。
(……俺がいない間に、どれだけのことがあったんだ)
そのとき。
前の席の女子が、わざと大きく立ち上がる。
「ねえねえ、あたしたちの教室って、こんなに“やらしい空気”だったっけ?」
「どっちが“誘った”んだろうね」
──笑いと視線が、二人に集中する。
遥は、何も言わなかった。 日下部も、何も言わなかった。
でもその沈黙が、また火に油を注ぐことを、
蓮司だけは最初からわかっていた。
彼は、教室の後ろで頬杖をついたまま、
どこか面白そうに──口角を上げていた。
「なぁ、どっちでもいいじゃん。お似合いだろ?」
その一言で、笑いが弾けた。
「だって、あれだろ?
“好きなやつに触られて喜んでた”って話……ほんとなんでしょ?」
視線が日下部に突き刺さる。
──遥を守ろうとしたことが、
遥のそばにいたことが、
そのまま「罪」に書き換えられていく。
蓮司は、誰にも止められない。
遥は、何も否定しない。
日下部だけが、拳を強く握り締めていた。
(違う。そんなつもりじゃ……ない)
けれど、誰もその言葉を待ってなどいなかった。
──地雷はすでに踏まれていた。