夕食を食べ終えた後も、葉月とベルはダイニングテーブルを挟んで向かい合っていた。彼女らより一足早く食べ終わった猫は、定位置のソファーの上で入念な毛繕い中だ。
「何か唱える言葉とか、あるんですか?」
「詠唱かしら? 声に出した方がイメージしやすいから、時と場合によるのかもね」
昨晩の魔力操作修行による疲労感は、一晩眠ったらすっかり治っていた。目が覚めた時にはいつも通りの体調で、別段に魔力がみなぎっているという感じでもない。いたって通常営業だ。
まずは水を出してみて、と言われてカップを持たされているのだが、今のところは何の変化もない。黙って見つめるだけではダメみたいなので、何かヒントをと魔法の師を見る。ベルは椅子に腰掛けて、いつもの薬草茶をゆったりと口にして、少し考える素振りを見せる。
「溜まっていくイメージは、できているかしら?」
「……何となくは」
水、水、水……と心の中で念じてみる。両手で包むように持っているカップへ視線を落とし、ジワジワと水が溜まっていく様子を頭の中に思い浮かべる。
「水をイメージしながら、手に魔力を集めてみて」
言われるまま、頭の天辺から、足の先から、魔力の流れを意識してみる。スティックの時は先端へ向かって流す気持ちでやっていたが、今は両手の平の中心へと集めていくつもりで。
「ん-、そうねぇ」
何の変化もないカップを覗き込んでから、ベルは顎に人差し指を当てて首を傾げている。しばらくの間そうしていたが、おもむろに立ち上がると、葉月の横へと回り、カップを持つ手をツンツンと二度突いてくる。
シュワ……。陶器製のカップの底から、静かに透明の透き通った水が渦を巻きながら湧き上がってくる。ゆっくりと水位を上げているが、その速度はあくまでも緩やか。途中で止まったりを繰り返しているようだった。
「わわっ!」
「そのまま、いっぱいになるまで続けて」
ジワジワと量が増えていくのを、じっと目を離さずに見守る。何も無かったはずのところから水がどんどん溜まっていく。不思議な光景。
ただ、いつも目にする魔女の魔法とは違い、なかなかいっぱいにはならない。
「ふぅ……」
しばらく後、ようやく満タンになったタイミングで、カップから手を離す。力み過ぎて腕と肩がガチガチになっているのが自分でもよく分かる。
「まだ流れが途切れ途切れみたいね。なかなか手強いわね」
揶揄うような口調だが、とても満足そうだ。
溜まった水を空いているポットへと移し入れ、再び空になったカップを葉月の前に差し出す。おかわりとでも言うように、ニコリと微笑みながら。
「次はもう少し、力を抜いてね」
「は、はい……」
意外とスパルタなんだと思いながらも、葉月は素直にカップを受け取った。肩の力を抜くように大きく深呼吸してから、意識をカップへ注ぎ入れる。
すると、今度はベルの誘導なしにジワジワと底から水が湧き上がり始めた。
「!!」
溜まっていくスピードは相変わらずゆっくりだった。けれど、途中で止まってしまうこともなく、ジワジワと水位を上げていく。魔力の流れが少しは滑らかになってきたのだろうか。
「やった。できた!」
カップいっぱいの量になるのを見届けてから、魔法の師の顔を見上げる。満足げに微笑みながら見守っていた魔女は、また再びその水をポットへと移し入れた。
「今度は温めてみましょうか。そうね、お茶を淹れるくらいの温度がいいわ」
はい、と手にしていたポットを葉月の目の前へと差し出してくる。中にはカップ2杯分の水が入っている。たった今、魔法で作り出したばかりの常温の水だ。
「えーっ、急に難易度が上がってません?」
「そうかしら? やり方は同じよ」
ベルならきっと、最初からお湯として出すことができるが、まだ初級の葉月には水を温めながら出すというのハードルが高い。なので、二段階に分けての実践練習だ。
先ほどと同じ要領で、今度はポットを両手で包み込むように持ち、魔力を流しながらお湯が沸くイメージを浮かべてみる。
お茶を淹れるくらいの温度と言われたので、80度くらいあればいいんだろうか? 結構な高温だ。水の時とは違い、時間がかかってしまうと冷めてしまうから、のんびりもしていられない。
お湯を沸かすなら、火? 熱?
正解が分からなかったが、とにかく沸騰するお湯を頭の中で想像してみる。
しばらくすると、コポコポとポットの中から小さな音が聞こえ始め、注ぎ口と蓋の隙間から白い湯気が立ち昇る。
「あっつ!」
保温性のある素材だったけれど、外側にも熱が漏れ出してきて、触ることができなくなる。慌ててポットから手を離した。
「まあ。成功ね」
蓋を開けて中を確認すると、魔女はお馴染みの茶葉をサラサラと加える。少し蒸らしてから、二つのカップへとそれを注ぐと、その一つを葉月の前へ。
「葉月の沸かしてくれたお茶で、お祝いね」
少しぬるいお茶は、魔力疲労しかけていた身体にじんわりと沁み渡ってくるようだった。喉が渇いていたこともあり、葉月はそれを一気に飲み干した。これまでに飲んだ中で、一番美味しいと感じたのは偽りではないだろう。