第5話:グレン=タチバナ
昼の市場。
野菜や布を売る屋台が並び、人々の声でざわめいていた。
その一角で、また小さな騒動が起こる。
カイ=ヴェルノは、商人に代金を渡し、果物を布袋に入れた。
灰色の瞳は誠実に正面を見ていたが、周囲の囁きは止まない。
「またあのヴィランの血筋だ……」「本当に払ったのか?」
そこへ現れたのは、ヒカル=セリオンだった。
水色の髪を風に揺らし、マントを翻す。
筋肉質の体を誇らしげに構え、群衆の視線を一気に集めた。
「市民を騙すのは簡単だ。ヴィランの血を引く奴なら、金を払ったふりくらいできる」
彼の冷たい笑みと共に、疑念がさらに広がる。
ヴェルノは口を開きかけ、しかし沈黙した。
母の声が脳裏をよぎる。――「血がどうであっても、人の手をとることを忘れないで」
彼は袋を握りしめ、ただ耐えようとした。
その時だった。
ざらついた低い声が、ざわめきを切った。
「……払ってたぞ。俺は見てた」
群衆の後ろから一歩踏み出してきたのは、中年の男だった。
灰混じりの短い髪、日に焼けた肌。地味な作業着風の上着に、厚い腕。
彼の目は鋭く、だが落ち着き払っていた。
グレン=タチバナ。
市場で荷運びをしている、ただの市井の男だった。
「商人に金を渡したのを、俺はちゃんと見てた。疑う理由はねぇ」
その声は大きくない。だが確かに響き、人々のささやきを止めた。
セリオンの眉がわずかに歪む。
「……庶民の目が信用できるのか?俺はヒーローだぞ」
「ヒーローだろうと関係ねぇ。俺は自分の目で見たことしか信じない」
短いやり取りに、群衆は戸惑った。疑いの目は揺らぎ、ざわめきは次第に小さくなっていく。
ヴェルノは驚いたようにグレンを見た。
灰色の瞳に映るその背は、派手さのかけらもなく、ただ静かに立つ大人の姿だった。
孤独に沈む青年にとって、それは初めて差し込む小さな光だった。








