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夜の気配が
家の中にゆっくりと落ちていた。
イチは
エリオットのそばに座ったまま、
動かずにいた。
枕元に広がる
小さな濡れた跡。
それを
じっと見つめている彼女の手は、
まだ
ひんやりとした名残を
指先に抱いていた。
しばらくして――
微かな呼吸が乱れ、
エリオットが
ゆっくりとまぶたを開いた。
視界が形を取り戻すのに
少し時間がかかる。
ぼんやりと
視線をさまよわせたあと、
彼の目は
すぐそばにいる
イチの存在を捉えた。
「……起きてたんだね」
低く、
まだ力の入らない声。
イチは
返事をしない。
表情も変わらない。
ただ
視線だけが
まっすぐ彼を見ていた。
エリオットは
ゆっくりと体を起こしかけ――
ふと
枕元の濡れた布に気づいた。
小さな輪。
ほんの少し滲んだ跡。
それが
何を示しているのか、
すぐに
わかった。
少し、
驚いたように
目を瞬く。
そして
まっすぐイチを見る。
彼女の指先には
まだ水の冷たさが残っているように見えた。
(……運んで、きてくれたんだ)
考えれば
無茶なことだ。
外は薄暗く、
獣だっているかもしれない。
声も出せない少女が
一人で森へ行くことは
明らかに
危険だった。
それでも――
彼女は行った。
“助けたい”
その気持ちだけを頼りに。
エリオットは
ゆっくりと息を吸い、
枕元へ手を伸ばした。
指先が
ほんのり濡れた布に触れる。
ひんやりとして、
そこに確かに
冷たい水があったことを
教える温度。
胸の奥が
少しだけ
甘く締めつけられた。
言葉にしたら――
きっと
彼女を困らせてしまう。
どう返せばいいのか
わからず、
動けなくなってしまうかもしれない。
その不器用さこそ、
今のイチを
苦しめてしまう。
だから
言わない。
「……ありがとう」
そう言いかけて
言葉を飲み込んだ。
代わりに、
静かに
布へ指を置いたまま
目を閉じる。
その仕草が
感謝のぜんぶ。
イチはその意味を
完全に理解したわけではなかった。
けれど
自分のしたことが
無駄ではなかった
それを
本能だけが
確かに感じ取っていた。
エリオットは
ゆっくりと呼吸を続ける。
安らいだ
その胸の上下を
イチは
じっと見守っていた。