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熱による幻覚だろうか。
そうれなければ、私の家に鴻上さんがいるはずがない。
喉が渇いてキッチンに行こうとして、愛用の座椅子に座って眠る鴻上さんを見た。
座椅子と言ってもソファタイプで、包み込まれるような丸っこいフォルム。私より細い鴻上さんは、ソファにすっぽり収まっている。
テレビ横のデジタル時計は、十六時四十八分を表示している。
二時間近く眠っていたらしい。
鴻上さんは私を送ってくれて、そのままいたのだろうか。
とにかく、まずは水を飲もう。
足音を立てないようにキッチンに行き、物音を立てないようにコップを取り、静かに水道のレバーを上げる。
あまり冷たくない水を飲みながら、記憶を整理する。
タクシーで寝ちゃった私を、鴻上さんが部屋まで連れて来てくれたことは憶えてる。買い物袋を受け取って、お礼を言って、別れたことも。
なのに、なんで部屋の中に……?
それに、私自身、着替えてベッドに入った記憶がない。
が、それは、習慣で、わざわざ憶えていなくても不思議ではない。
んーっと頭を悩ませていると、座椅子がギシッと唸った。
私は静かに彼に近づく。
極上イケメンは寝顔もイケメンだぁ。
そんなことを思いながら、身を屈めて鴻上さんの寝顔を覗き込む。
ずっと見ていられる。
ツンツンしてる髪、触ってみたいなぁ……。
さすがに触れはしないけれど、ぐっと顔を近づけてよく見る。
と、鴻上さんの閉じていた瞼が、いきなりパチッと開いた。
唐突に、バッチリ目が合う。
「あ――」
「――うわっ!」
寝て起きたらガン見されていたなんて、それは驚くだろう。しかも、私のような昨日知り合ったばかりの女なら尚更。
一瞬、誰? と思っても仕方がない。
が、鴻上さんの驚きようはそんなものじゃなく、座椅子ごとひっくり返ってしまう勢いだった。
「大丈夫ですか!?」
「ストップ!」
「え……?」
コロンと九十度にひっくり返った鴻上さんが言った。
座椅子は頭まで包んでくれる大きさだから、怪我はないだろう。
「なっ、なにかっ! その、羽織るものでも……」
「え? あ、寒いですか?」
私が熱いのは熱があるからで、部屋は寒いのだろうか。
「違う! きみが着るの。その、色々、見えて……」
言われてようやく気が付いた。
パジャマ代わりにしているオーバーサイズのロングTシャツを着ているだけで、下はショーツだけ。しかも、Tシャツは白だ。
「すっ――すみませんっ!!」
咄嗟に両手を胸の前でクロスし、バタバタと寝室に駆け込む。
床に脱ぎ散らかした服とブラに、恥ずかしくて堪らなくなる。
床の服たちをクローゼットに放り込み、グレーのパーカーとジャージの下を着こむ。
肩まである髪を手櫛ですき、リビングに戻った。
鴻上さんは座椅子と共に元の位置に戻っていた。
「お、お見苦しい姿……で、失礼しました」と、背後から声をかけた。
「コーヒーでも……淹れますね」
「あっ! いやっ!」
身体を捻って座椅子から顔を出した鴻上さんは、彼こそ熱があるのではと思うほど赤い顔をしていた。
私の熱がうつったのかもしれない。
慌てて彼のそばに膝をつく。
「鴻上さん、大丈夫ですか? 体調が悪いですか? すみません、私――」
「――えっ?」
「顔が赤いです。熱があるんじゃ……」
彼はハッとして手で口元を覆い、私から視線を逸らす。
「じょ、女性の……その、き、際どい格好を見たら、その……、顔も赤くなると……オモイマス」
ごにょごにょと、最後はカタコトと、まるで照れているようだが、まさか私のような良く言ってぽっちゃりなアラサーの身体なんて、見たくもないとは思っても、見て照れるなんて反応は有り得ない。
はっ! これもある種のセクハラではないだろうか!?
私は床におでこがつく勢いで頭を下げた。
「大変お見苦しいものを晒して、申し訳ありませんでした」
「へっ……?」
「わざわざ送ってくださったのに、セクハラまがいの――」
「――セクハラ!? いやっ、え? なんで?」
鴻上さんはやっぱり赤い顔で、慌てている。
「えーっと……、じゃあ、公然わいせつ……とか? どちらにして、すみません」
アラサーのデブが極上イケメンに半裸晒して迫った。
なんて社内で噂になっては、働き続けられない。
私はもう一度頭を下げた。
今度は、勢いが良すぎて、ゴンッと床におでこをぶつけた。が、ひんやりしていて気持ち良く、頭を上げる気にならない。
「乾さん? ちょ、頭上げて。なんか、ゴンッていったけど?」
ガシッと肩を掴まれて、無理矢理に上半身を起こされた。
「まだ熱あるんじゃない?」
「え……?」
「ほら、熱いよ!」
鴻上さんが私のおでこに掌を当てる。
「あ、キモチイイ……」
彼の手はひやっとしていて、とても心地良い。
彼の言う通り、私はまだ熱が下がりきっていないようだ。
意味もなく涙が浮かび、鴻上さんの姿が滲む。身体に力が入らず、ボーッとする。
「乾さん?」
「鴻上さんの手、冷たくてキモチイイ……れす」
「ベッドに行こう? 寝てた方がいいよ」
鴻上さんの手が私の肩を掴んだ時、ハッとして、カッと目を見開いた。
「だ、大丈夫です! あとは一人で、はい、もう、大丈夫なので!」
力を振り絞って立ち上がる。
「大変ご迷惑をおかけいたしました! 明日までに体調を万全にして、出社しますので」
必要以上に大声を張り上げた気がするが、そこまでコントロールできるだけの気力も体力もなかった。
「鴻上さんにまでうつしては申し訳ないので、はい! 今日はもう、お帰り――」
「――乾さん!?」
結局、力尽きてその場に座り込んでしまった私は、鴻上さんに抱えられてベッドに運ばれた。
私はうわ言のように、鍵の場所と、その鍵はポストに入れておいてくれたらいいと伝えた。
彼は「わかったから、寝て」と言って、またおでこに触れてくれた。
極上イケメンに看病されるなんて、この先の人生で二度とないと思う。
一生に一度でもそういう機会に恵まれたことに感謝し、私は目を閉じた。
次に目が覚めたのは明け方だった。
無意識におでこに手を当てた。
寝ている間、冷たくて気持ちのいい何かが、おでこや頬、首筋に触れていた気がしたから。
冷却シートでも貼っただろうかと思ったのだ。
だが、シートは貼っていなかった。
どうやら、熱に浮かされて勘違いしたらしい。
すっかり熱も下がり、汗をかいたTシャツが気持ち悪くてシャワーを浴びた。
鴻上さんは帰っていた。
当然だ。
テーブルの上にメモを見つけた。
『何かあったらいつでも電話して 相棒』
メモには電話番号とメッセージアプリのIDも書かれていた。
『相棒』……なんて素敵な響き!
すっかり目が覚めた私は、寝具や服を洗濯し、しっかり朝ご飯を食べて出社した。
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