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「月子様、月子様」
名前を呼びながら、月子の体をお咲が、揺さぶっている。
(い、いけない!)
月子は、うっかり眠ってしまったと、飛び起きた。
「お、お咲ちゃん?!ひょっとして、厠《かわや》……?」
まだ小さいお咲のことだ。宵の暗さに一人で、厠へ行けないのかもしれない。
「ううん、お咲一人で行った」
「あ、あら、そう!偉いね。暗いのに、怖かったでしょ?」
「怖くないよ?暗いより、ここは、明るくて、怖かった」
つまり……田舎の農家育ちのお咲きにとっては、宵闇が、当たり前で、電灯が灯るここの方が、異常に感じるということなのだろう。
が、その時、月子は、異変に気が付く。
あの半鐘の音が聞こえない。火事は鎮火したということなのだろうか。
そして、確か、お咲の枕元に座り、そのまま、寝入ってしまったはずが、どうしたことか、お咲と隣り合わせで、布団の中で眠っていた。
「もう、朝だよ?」
「えっ?!」
おまけに、付けていたはずの電灯も消えている。
「あ、朝?!お咲ちゃん、今、何時?」
「……何時?」
ああ、と、月子は思う。お咲は、時計が、もしかしたら、時間という概念が分からないのかもしれないと。
もう、朝だ。昼だ。夕暮れだ……、それで、農家なら十分暮らして行ける。もしかしたら、時計など、お咲の家には、なかったかもしれない。
お咲の今までの様子を見て、月子は、なんとなく察した。
「……明るくなった」
月子の質問に一生懸命、お咲は答えようとしていた。
日が昇ったから朝、と、理解しているのだろう。確かに、襖の隙間からは、白々とした明かりが忍び込んで来ている。
まだ、早朝のような気はするが、朝食の支度に取りかからないといけない。そして、岩崎を起こして……と、月子の気が焦る。
「あ……、旦那様!」
あれから、結局どうなったのだろう。岩崎は、無事に戻って来たのだろうか。
電灯が消え、布団に寝かされているということは、これらは、岩崎が行ったということだろうから……。
月子は、隣り合わせの岩崎の部屋へ続く襖をそっと開けた。
掛け布団を、頭から被るようにして、布団にもぐりこんでいる岩崎がいた。
「……旦那様……」
岩崎の姿に、月子は、安心した。
何事もなく、戻って来ている。そして、やはり、火事は収まったのだろう。
ここまで、火の手が回らなかった事にも、月子は、ほっとした。
さて、このまま、にしておくべきか、起こすべきかと、悩みつつ、ふと、目についた文机に置いてある時計を見ると、朝の五時だった。
岩崎を起こすのは少し早い気がした月子は、食事の支度を先に済ませようか、と、思ったが、岩崎の出かける時間を聞いていない。
職場である、音楽学校へ出かける時間が分からない。
しかし、学校というものが始まる時間は、どこも、ほぼ同じだろうと月子は、思う。
と、なると、少しだけ早いかもしれないが、やはり、岩崎を起こした方が良いのかもしれない。
身支度の時間も必要だろう。岩崎は、洋装姿。おそらく、着物よりは、着替えに時間がかかるだろうし、他にも、準備があるかもしれない。
遅い、よりも、早いにこしたことはないだろう。
月子は、岩崎を起こそうと、部屋へ入った。
「旦那様。少し早いかもしれませんが、朝です。起きてください」
声をかけるが、何も反応はなかった。
「旦那様……」
今度は、恐る恐る、布団の上から、揺さぶってみる。
うーん、と、小さく岩崎が返事をしたような気がした。
月子が、再び、揺さぶってみると、布団の中から、岩崎の腕が伸びて来た。
と、月子の腕をしっかりつかんで、そのまま、布団へ引っ張りこんだ。
あっと、月子が声をあげた時には、もう、月子は岩崎の腕の中、つまり、岩崎に抱き締められて、同じ布団に横になっていた。
「…………マリー…………」
岩崎は、呟きながら、月子をしっかり、抱き締める。
おそらく、寝ぼけている、のだろう。と、月子は、思う。
岩崎は、何か、外国語のようなもの、月子には、まるきり理解出来ない言葉を喋り、そして、優しく、月子の髪をなで始めた。
「マリー」
嬉しそうに、岩崎が、呟いた瞬間、月子の唇に、暖かなものが被さって来る。
「!!」
それが、何か、いったい、何が起こったのか、月子には分かったが、いきなりの事に、すっかり、気持ちが動転してしまい、岩崎の体を、必死に押し退けた。
「なっ?!な、な、なんで?!」
月子に押された衝撃で、岩崎も目が覚めたようだが、こちらは、何か起こったのかと、分からないようで、固まりきっている。
が、たちまち、うわっ!!と、大声を上げて、月子を離した。
正しくは、飛び退いた、のだが、その勢いで、月子は転がり柱で頭をぶつけ、岩崎は、側にある文机へ足をぶつける。
痛ったぁっーー!!
岩崎、月子、二人が同時に叫んだ。
「ちょっっ!!!京さん!!あんた、何、さかってんのっっ!!!」
なぜか、二代目が、廊下に仁王立っていた。