歩きながら栄子が言った。
「良がさぁ、うちに来てから凄いの。まるで心を入れ替えたように家事全てをやってくれるの。私が仕事から帰るとご飯が出来てるんだよ、ビックリでしょう? 付き合っていた頃はそんな事してくれなかったのにね」
「お兄ちゃんが? 本当に?」
「うん、信じられないでしょう?」
「楓のお兄さんは仕事は見つかったんですか?」
「それがまだなんです。大手商社にいたって知るとどの会社も腰が引けちゃうみたいで。きっとなんかあったと思うんでしょうね」
「そうですか」
やがてファミレスに到着し三人が中へ入ると、良は一番奥の窓際の席にいた。
三人に気付いた良はすぐに立ち上がる。
そして真っ先に妹の顔を見つめた。
久しぶりに見た兄の姿は、少しやつれているような気がした。
兄のしょんぼりとした表情を見て、楓は二人が施設へ入所した日の事を思い出す。
(あの時もお兄ちゃんはしょんぼりとした顔をしていたわ。きっと幼い妹を抱えて不安だったのかもしれない。それでもじっと我慢をして私の手を握ってくれていたんだわ……)
楓がそんな風に思っていると、良の方が先に口を開いた。
「楓……許してくれと言う資格は俺にはない。でも今お前に謝罪したいという気持ちは本当なんだ。ごめん……悪かった。兄として俺は絶対にしてはいけない事をしてしまった。本当に申し訳ない」
良は楓に向かって深々と頭を下げる。
そんな兄の情けない姿を見つめながら、楓はまだ両親が生きていた頃の兄の姿を思い出していた。
常に成績優秀でスポーツも万能だった良は、いつも自信に満ち溢れていた。楓にとっても自慢の兄だった。
しかし両親の死後、その自信に満ちた兄の姿は徐々に姿を消していった。
もしあの時自分が家族の傍にいたら……一人だけ離れた場所になんかいなければ……良はあの時のまま自信に満ち溢れた人生を送っていたのではないだろうか? そう思うと楓は激しく自分を悔やんだ。
そしてフーッと息を吐いてから兄にこう告げる。
「お兄ちゃん、もういいよ。私もごめんね。事故の時、ちゃんとみんなの傍にいればよかったのに……そうすればお兄ちゃんは夢を諦めなくても済んだのに……本当にごめんなさい」
楓はこらえきれずにシクシクと泣き始める。
そんな楓の肩を一樹がしっかりと抱き寄せる。
「楓のせいじゃないよ。俺は自分の人生が上手くいかない事を全部楓のせいにしてただけなんだ。妹に八つ当たりするなんて最低な人間だよ……本当にすまなかった、ごめんな、楓……」
そこで栄子が言った。
「はいはい、じゃあ兄弟喧嘩はここで終わりーって事でOKね? さぁ、座りましょう」
楓はハンカチを出して涙を拭うと一樹と並んで席に着いた。
向かいには良と栄子が座る。
その後四人はドリンクバーを注文し飲み物を取って来てから話を始めた。
「お兄ちゃん、こちらは今お世話になっている東条さん。私が働いている会社の社長さんなの。社長、兄の長谷部良です」
楓が二人を引き合わせる。
「初めまして、東条と申します」
一樹は良に名刺を渡した。
「長谷部です」
良は無意識に胸ポケットを探ったが、名刺がない事に気付き罰の悪そうな顔をする。
そして一樹の名刺を見てから言った。
「藤城コーポレーションは、藤堂組の経営なのですか?」
「そうです。藤堂組傘下の会社になりますね」
「そうですか」
「一つお聞きしてもいいですか?」
「はい」
「アダルトビデオの仕事はどこで知ったのですか?」
「金を借りている会社から紹介されました」
「それは闇金業者ですか?」
「……はい」
「闇金の会社名は?」
「さわやかローンです」
「…………」
会社名を聞いた一樹は無言で顎髭を触る。
そこで栄子が一樹に質問をした。
「闇金は元々が違法営業だから、弁護士を間に挟めば借金の額が減ったり解決出来るって聞いた事があるのですが、どうなんでしょうか?」
「ええ、場合によっては。ちなみに今はジャンプですか?」
「ジャンプ?」
「あ、ええ、つまり日々の利息分だけを払っているような形でしょうか?」
「あ、はい。そうです」
「金を借りた際の書類ってお持ちですか?」
「あ、一応持ってきました」
良はバッグの中から書類を取り出して一樹に見せた。
一樹はその書類を見ながら眉をひそめる。
「トゴか……」
「『トゴ』って何ですか?」
栄子が聞く。
「利息が十日で五割って事です」
「十日で五割っ!? 高っ! 良ったらなんでそんな高金利の所で借りたの?」
「弱みを握られてて……会社に言われたくなかったらそこで借りろと言われたんだ」
「弱みって何よ?」
「違法賭博場へ入った所を写真に撮られた」
そこで一樹が良に聞いた。
「賭博場の場所は覚えていますか?」
「はい。あの日呼び出された私は、違法賭博場だとは知らずに中へ入ってしまったんです。でも入る所を写真に撮られてしまって……」
「なるほど。ちなみに良さんは投資をされていましたよね?」
「はい」
「その時に何か変わった事はなかったですか?」
「変わった事?」
「例えば投資関係のセミナーに行ったとか、どこかの業者から自動売買ツールを買ったとか?」
「あ、セミナーには行きました」
「そこで何か書かされませんでしたか? 勤務先や年収や預金額等の個人情報を」
「あ、はい、書きました」
そこで栄子が口を挟む。
「なんで書くの? 書いちゃ駄目じゃん!」
「でもちゃんとした投資のセミナーだったから。投資動画サイトで人気の有名な投資家も来ていたし」
「馬鹿ねっ! 有名人を餌にしてカモを釣る詐欺会社なんて山ほどあるのよ。だからよくわからない会社に個人情報を漏らすなんて絶対にやっちゃ駄目なのに……」
「でも、同僚に誘われて行ったセミナーだから問題ないと思ったんだ」
「同僚に?」
そこで一樹の眉がピクリと動いた。
「その同僚の方のお名前を教えていただけませんか?」
「田代久幸(たしろひさゆき)と言います」
「漢字は?」
「『田代』は田んぼの田に代理人の代、『久幸』のひさは永久の久に幸せです」
一樹はスマホにメモを取る。
「田代が何か関係しているんでしょうか?」
「いや、調べてみないとまだ何とも言えませんが、その方があえてセミナーに誘導している可能性もありますね」
「ま、まさか田代が? 田代は父親が有名な政治家なんですよ? それに親族には総理大臣経験者もいて社内でも有名なサラブレッドなんです。その田代がなぜ?」
良は信じられないという顔をしていた。
「まあ調べてみてわかり次第連絡を入れますよ。あ、良さんの連絡先を教えてもらってもいいですか?」
そこで二人は連絡先を交換した。
「ちなみに、良さんが借りていた闇金は梅島会がやっている闇金ですね」
「「「梅島会?」」」
三人が驚いて同時に声を上げた。そしてすぐに栄子が聞き返す。
「梅島会って九州の大きな暴力団ですよね?」
「そうです」
「私が九州にいた時には、仕事絡みで何度も耳にしました」
そこで楓が一樹に教える。
「栄子さんは生命保険会社に勤めてるんです」
「なるほど、そういう事でしたか。だったらかなりヤバい情報が耳に入っているのでは?」
「はい、結構色々と……」
栄子の言葉に一樹が頷く。
「梅島会はかなりあくどい事をする暴力団で有名ですからね。奴らは東京での活動拠点を手に入れようとして、最近この辺りで大暴れをしていて我々もほとほと手を焼いています」
「大暴れって例えばどんな?」
「まあターゲットを見つけたらシャブ漬けにして利用したり、他所の組のシマを荒らしたり、最近では一般人にまで手を出すようになったので……我々としても見過ごせないんですよ」
それを聞いた栄子がギョッとする。
「ま、まさか良、覚醒剤なんてやっていないでしょうね?」
「するわけないだろう? 俺はそこまで落ちぶれちゃいないさ」
そこで一樹は良にもう一つ質問をした。
「借金の取り立て以外に、奴らから何か頼まれた事はありませんか?」
「…………」
「あるの? 良! あるならちゃんと話しなさいよ」
「……実はインサイダーに関する情報を流せと言われました」
「やっぱり……」
「え?」
一樹が知っていたので良は驚く。
「彼らの本丸は借金の微々たる利息なんかじゃないんです。それよりももっと大きな事! つまり一流企業のエリート社員に近付き有益な情報を聞き出す、そしてその情報を元に相場でひと山当てる事なんです。そうすれば一気に資産が倍増しますからね」
「そういう事だったのか。でもそれになぜ田代が関わっているんでしょうか?」
「彼は結構派手な生活をしていたのでは?」
「そういえばそうですね。交友関係や女性との付き合いはかなり派手でした」
「そういう羽振りの良い人間に奴らは目をつけるんですよ。彼の場合は実家も太いしね。おそらく彼も良さんと同じように何か弱みを握られているはずです」
「なるほど……」
そこで一樹はポケットから一枚の紙を取り出して良の前に置いた。
紙には弁護士事務所の名前と連絡先が書いてあった。
「うちの顧問弁護士の連絡先です。闇金関係は大の得意分野なので是非一度相談に行って下さい。弁護士費用は全て私が持ちますから、支払いの事は気にせずに全部すっきり解決してもらって下さい」
「でも…さすがにそこまで甘える訳には……」
「いえ、こういう時は頼って下さい。それに一つお伝えしておきたいのですが、私は近々楓さんを妻に迎えるつもりです。そうなると良さんとは義理の兄弟になるわけです。ですから私としても親族になる方を放っておくわけにはいかないんですよ」
一樹の言葉を聞いて良は驚いていた。しかし驚いているのは良だけではなかった。楓もかなりびっくりしていた。
その向かいでは栄子が目をキラキラと輝かせている。
「東条さんが….か、楓と結婚を?」
「はい。そのつもりですので今後ともよろしくお願いします」
「えっ、あ? はい……」
「ですから一日も早く全てを解決した方が楓も安心すると思うので、今回は私を頼っていただけませんか?」
「……わかりました……妹の事をそこまで……ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」
良はテーブルに頭がつきそうなくらい深々と頭を下げた。その隣で栄子がホッとした顔をしている。
一方、楓は何が起こったのかわからないといった様子で狐につままれたような顏をしていた。
コメント
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良が改心して良かった。楓ちゃんにした事は許せないけれどやっぱり血のつながった家族だし。 君には栄子さんのようにしっかりした女性が必要だ。尻を叩かれながら幸せになれるといいね。
「とご」ってえげつないなぁ。「といち」やったら聞いたことあるけど。 「といち」で思い出した。「十一の奈良漬」の会社、廃業したなぁ。名前が悪いな、名前が。 ほんで、良。きょうだい喧嘩で済む話ちゃうねんで。9,000万払うても世間に出られへん人間もいてるんやで。
良がなんとかなりそうでよかった。栄子さんのおかげ。和解できたけど、楓にしたことは、ある意味取り返しのつかないことだったんだよね。まあ、それで東条さんと会えたわけだけど。複雑〜。