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幼いころから、遥は静かな子だった。
──そう言われるたび、どこか胸が痛んだ。
ほんとうは、静かになりたかったわけじゃない。
泣くと叩かれ、声を出せば罵られる家の中で、
言葉を使うたび、痛みが増えるだけだった。
「泣くな」
「面倒くさい」
「聞こえないふりをしろ」
そう命じられるうちに、
涙の出し方も、声の出し方も、忘れていった。
ある日、兄が倒したコップの水を拭いていたら、
母に怒鳴られた。
「またあんたでしょ。いい加減にして」
否定する前に頬を打たれた。
その瞬間、何かが折れた。
──謝るほうが楽だ。
そう思ったのが始まりだった。
小学校では、壊れた花瓶の罪を着せられた。
みんなの前で立たされ、謝れと命じられる。
教師は冷たく言った。
「お前が謝れば済む話だ」
教室の空気が、自分の呼吸を奪っていった。
正しさの形を覚えた。
“間違いを引き受けること”──それが自分の役割だった。
やがて、誰も遥に話しかけなくなった。
昼休みはいつも机を片づけるふりをして過ごした。
気づけば、椅子も消えていた。
ノートも、ペンも、何もかも、
誰かの笑い声の中に吸い込まれていった。
「なんでいるの?」
「いる意味あるの?」
耳に残る声は、だんだん現実と区別がつかなくなる。
無視は暴力より痛い。
でも、言い返すことはもう怖かった。
抵抗した日、別の子が泣いて帰った。
次の日、その子は遥を避けるようになった。
──ああ、そうか。
自分が黙っていれば、他の誰かが助かるんだ。
そう信じた。そう思い込まないと、生きられなかった。
家でも、学校でも、同じだった。
何かを言えば壊れる。
何かを望めば失う。
だから、望まないようにした。
声を出さず、顔を伏せ、空気のように過ごすこと。
それが、彼に残された唯一の“生き方”だった。
ときどき、自分の手を見つめる。
骨ばって痩せた指先。
触れたものを壊してしまいそうで、
何も掴めない。
──俺は、誰より静かに壊れていくんだな。
誰も気づかない沈黙の中で、
遥はゆっくりと、“自分”という音を失っていった。
そして、世界はそれを“陰キャ”と呼んだ。