「お姉ちゃん、その人に2回も彼氏取られたんだよ」
「ちょっ……詩音」
「そうな、の……」
母親の顔が明らかに曇る。不穏な話に、私のことが心配になったのだろうか。
「お姉ちゃんになんの恨みがあんの? ほんとタチ悪い」
詩音がぶりぶりと怒る。私はあははと笑い飛ばしながら母親の顔を見た。絶句して、顔が青ざめているような気がする。あ、えっと……そんなに気にしないで?
「お母さん、大丈夫だよ。永井さんすっごく優しくしてくれてるから」
「|契約上《・・・》」とは言えないけれど、優しくしてもらっているのは間違いない。
「あ、そ、そう。よ、よかったわね。仲良くね」
「うん」
「あの、その、美濃さん? って、ご両親はいらっしゃるの?」
「えーっ……と、事情は知らないんだけどなんか施設から高校に通ってたってのはきいたことあるよ」
「施設……」
「どうかした?」
なんでもないと首を振るお母さん。
妙な雰囲気を感じたけれど、詩音のご主人がちょうど声をかけてきて、話はそこで終わった。
誕生祝いは、すごく楽しい時間だった。ゲラゲラいつものように笑い合ったけど、母は珍しく料理を少し残していた。
ニコニコと話す母親の瞳に、恐ろしいほど静かで深い海が、果てしなく広がっているように見えた。
7疑惑 篤人と一緒に住むようになって2週間。会社は恐ろしいほど平穏で、進めている企画も順調に進んでいた。
私と篤人が連れ立って行っていた営業先で大きな契約が取れ、社内でも注目の的になっていた。
「花音、すごいじゃん! こっちでも噂になってるよ」
リフレッシュルームでランチをとっていると彩月に声をかけられる。
篤人からは営業先に出ているので、外で済ませると連絡が来ていた。それでも言われた通り、人目につくリフレッシュルームでランチを取るようにしている。
「ありがとう、永井くんのおかげだから」
「女性目線の提案がうけてるって聞いたよ」
やるじゃん! と言われて少し口角をあげた。周りの人の目が、こちらを向いているのも感じる。
ここ最近、燎子からの接触はない。商品企画部に顔も出すこともあるけれど、以前より回数も減った。
それが逆に恐ろしいような気がするが、嵐の前の静けさなのか何なのか。
「そういえば……」
彩月がこそこそと耳打ちしてくる。
「美濃さん、今度は永井くん狙ってるって話だよ」
「へぇっ!?」
あまりのことに持っていた箸を落としそうになる。……やっぱり、そうきたか。 こうなることは分かりきっていたけれど、いざそうなるとじわじわっと怖くなってくる。
「それ誰からの情報?」
「ほら、秘書課の佐藤さん。わかる?」
あー、あのきれいな人か。
佐藤さんは秘書課のお局のような人。40前くらいらしいが、30歳にも見える年齢不詳の女性だ。
「花音、気をつけて。美濃燎子はしつこいよ」
本当にそうだ。私がいったい何をしたか知らないけれど、ここまでしなくてもいいのに。
「まぁ、永井くんは大丈夫だと思うけど」
「……うん」
「風見さんは浮気者だったみたいだし、別れて正解だよ」
「う、浮気?」
びっくりして耳を疑った。そんな話、初めて聞いた。
「あ……ごめん、私も聞いたのは花音たちが別れた後だったから」
彩月はバツが悪そうにその話を口にする。
「栄で、他の女性とバーで親そうにしているところを見た人がいるんだって」
それが一度でないと言うから驚きだ。
「……それって、美濃さん?」
「なんかね、美濃さんだったり、他の人だったり、いろいろだったみたいだよ」
えーっ!? それは知らなかった。あまりの衝撃に、燎子が不憫にも思えてくる。「永井くんとうまくいくといいね」
穏やかな彩月の笑顔に心がポッと明るくなる。私は、コクンと小さく頷いた。
「彩月のほうは? ほら、前に話してたイケメンのBAさん」
「えっ!? あぁ、あのね」
急に顔色を変えた彩月。どうしたんだろう。
「向こうからすごくアプローチされてるって言ってなかった?」
「その、あのえっと……」
「???」
「あ、あ、やっぱこの話また今度にしよう? わ、わたし、もう行くね」
手に持っていた食べかけのサンドイッチをコンビニの袋に押し込んだ彩月。
慌てて立ち上がったせいで、イスに足をぶつけて痛そうにしながら、小走りでリフレッシュルームを出て行った。
「なに。あれ」
ぽかんとしていると、入れ替わりで永井くんが入ってきた。営業先からもう帰ってきたのだろうか。
私を見つけておいでと手招きをしている。お弁当の最後の一口を急いで飲み込むと、バタバタとリフレッシュルームを出た。
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