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この旅で、仁さんへの俺の気持ちは、確実に変わったと思う。
友達という枠を超え始めている、そんな感覚があ
る。
それがなんという感情なのか、まだはっきりと断定することはできないけれど
仁さんともっと一緒にいたい
そんな風に思うようになったのは事実だ。
仁さんの隣にいると、心がふわっと温かくなる。
こんな感覚は、初めてだった。
しばらくして、東京の街並みが近づいてくる。
高速を降り、首都高へと入るとビル群のシルエットが夕日に染まって、幻想的な光景が広がった。
慣れ親しんだ景色が見えてくると
旅が終わる寂しさとともに日常に戻る準備ができていくような気がした。
長いようで短かった3日間。
たくさんの思い出と、少しの変化を胸に、俺はハンドルを握り続けた。
◆◇◆◇
午後4時過ぎ
瑞希くんと将暉さんが同棲してる家が桃井近くにあるらしく、そこの駐車場に滑り込んだ。
ギアをパーキングに入れ、エンジンを切ると、車内はシンと静まり返った。
旅の終わりだ
後部座席から、将暉と瑞希がもぞもぞと降りてく
る。
「あー、疲れた!」
「楓くん運転お疲れ」
瑞希くんの後、仁さんが俺の肩をポンと叩く。
瑞希くんは将暉さんの肩にもたれかかっていたが、もうすっかり元気を取り戻したようだ。
それぞれの荷物を車から降ろし、簡単な解散の挨拶を交わし、それぞれの家路へとついた。
仁さんと二人、並んで歩く帰り道
夕暮れ時の空は、まだほのかに橙色を残していて
今日一日が終わろうとしていることを静かに告げていた。
アスファルトの照り返しも穏やかになり、風がふわりと頬を撫でていく。
今日まで本当に色々なことがあったけれど
妙に胸が満たされたような、穏やかな気持ちだった。
慣れ親しんだ街並みを、いつもと同じように自宅アパートへと向かって歩く。
そんな、ごく当たり前の日常の風景がなぜだか今日はひどく愛おしく感じられた。
隣を歩くさんの存在が、その「当たり前」を一層特別なものにしている気がした。
「楽しかったな」
不意に、仁さんの声が聞こえた。
彼は前を向いたまま、ぽつりとそう呟いた。
その言葉に、俺は思わず顔をほころばせ、隣で深く頷いた。
言葉にならないけれど、まったく同じ気持ちだったからだ。
「でも…なんだかあっという間でしたね」
そう口にすると、今日この三日間の出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
本当に、色々なことが凝縮された
密度の濃い三日間だったと、改めて実感する。
とりわけ、昨晩のことだ。
仁さんの腕の中に抱きしめられていた
あの瞬間が、まるで焼き付いたかのように俺の頭の中に深く根強く残っていた。
あの温もり、安心感、そして彼の鼓動。
思い出せば思い出すほど、全身が熱くなるような感覚に陥る。
仁さんは、あの時、一体何を思っていたんだろう
か。
俺の横顔を、じっと見つめていたあの瞳の奥には、どんな感情が宿っていたのだろう。
隣を歩くさんの横顔をそっと盗み見る。
しかし、彼はいつも通りの落ち着いた様子で真っ直ぐ前を見据えて歩いているだけだ。
その表情からは、彼の真意を窺い知ることはできなかった。
俺の中には、昨晩の出来事に対する安堵と戸惑いが綯い交ぜになって渦巻いているのに
仁さんはまるで何もなかったかのように、涼しい顔をしている。
「本当に、楽しかったです。それに……昨日は服貸してくれたり…本当にありがとうございました」
俺が改めて感謝の気持ちを口にすると
仁さんは小さく、驚いたような表情を浮かべたが
それは本当に一瞬のことで
すぐにいつもの優しい微笑みが彼の口元に浮かん
だ。
「…ああ、今は平気か?」
心配そうに尋ねる声が、じんわりと心に染み渡る。
その優しさに、またしても胸がいっぱいになる。
「はい!もう平気です!あ…そうだ、この服、今日ちゃんと洗って、明日か明後日にはお返しするので」
ら俺が答えると、仁さんは少しだけ肩の力が抜けたように見えた。
「全然…なんなら、もう2着ぐらい貸そうか」
思いがけないにさんの言葉に、俺は思わず「え?」と間抜けな声を上げてしまった。
「そ、それはさすがに悪いですよ!」
慌てて首を振って否定する。
「それに、ヒート期間もあと五日ぐらいで、特に外に出る予定もないので、薬でなんとかできそうなので、大丈夫です」
俺が現状を説明すると、仁さんは納得したように頷いた。
「そうか、ならいいんだけど」
それからしばらくの間、二人の間に言葉はなかった。
けれど、その沈黙は決して気まずいものではなく
むしろ心地よかった。
隣を歩くさんの体温が、じんわりと伝わってくるような気がする。
その隣は、ひどく居心地がよくて
このまま、ずっとこうしていたい
そんな風に思わせる不思議な空気があった。
この穏やかな時間が、永遠に続けばいいのにと
心のどこかで願っていた。
それから帰宅して、部屋のドアを閉めるやいなや
俺は仁さんから借りていた衣服を脱いだ。
白のカーディガン、黒のワイシャツ、そして黒のスウェットパンツ。
どれもまだ仁さんの仄かな残り香が吸い込まれていて、鼻腔をくすぐるたびに昨晩の彼の腕の中の温もりが鮮明に蘇るような気がした。
胸の奥がきゅっと締め付けられるような甘く、切ないような感覚。
でも、この服はちゃんと、綺麗にして返さないと。
そんな思いに駆られ、すぐに洗濯機に放り込んだ。
丁寧に洗剤を入れ、洗濯機のスイッチを押すとごうごうと音を立てながら、服が回っていく。
この服を返したら、きっとまたいつもの日常に戻るのだろう。
◆◇◆◇
2日後の午前中──…
綺麗に乾いた衣服を物干しハンガーから取り込んだ。
白いカーディガンは、光を浴びてより一層真っ白に輝き
黒のワイシャツやスウェットパンツも、元の深みのある色を取り戻している。
繊維の一つ一つがふっくらと柔らかく
触れるたびに、洗剤の清潔な香りと
ごく僅かに残る仁さんの匂いが混じり合い、心地よかった。
仁さんに貸してもらった大切な服だ。
きちんと綺麗な状態で返したい。
そう考えて、洗濯表示を確認するとアイロンをかけても問題ないマークがついていることに気付いた。
俺はアイロン台を引っ張り出した。
軽くスチームを当て、丁寧にシワを伸ばしていく。
アイロンの熱が伝わるたびに、仁さんの仄かな香りが立ち上るような気がして
胸の奥がじんわりと温かくなった。
完璧に畳み終えた、真っさらになった衣服を腕に抱え
俺は仁さんの部屋へ向かった。
ドアの前に立ち、少し緊張しながらインターホンに指を伸ばす。
ピーンポーン、と軽い音が室内に響き渡り
間もなくして、カチャリとドアの開く音がした。
「あ、仁さん!」
仁さんがいつも通りに軽く笑みを見せてくれる
俺はその笑顔を見て、少しだけ肩の力が抜けるのを感じながら
腕の中の衣服を仁さんの前に差し出す。
「これ、洗濯終わったので、返しに来ました」
仁さんは、俺の手元にある衣服に視線を落とし
「さんきゅ」と言って受け取ると、それから俺の顔を見た。
その表情には、少し驚きが混じっている。
「…てか、めっちゃ綺麗だけど、まさかアイロンした……?」
彼の言葉に、俺は「しまった」と一瞬焦った。
もしかして、余計なことだっただろうか。
頼まれてもいないのに、お節介だと思われたらどうしよう。
仁さんの言葉に、そんな不安が頭をよぎる。
「はい、アイロンしても大丈夫なマークあったので、一応かけといたんですけど…えっと、お節介でしたか……っ?」
俺は焦りのあまり、少しどもりながら尋ねた。
仁さんの表情を窺い知ろうと、彼の顔をじっと見つめる。
しかし、仁さんは困ったような顔をするどころか
優しい笑顔のまま首を横に振った。
「いや、全然、むしろ助かった。そこまでしてくれるとは思ってなかったからさ」
その言葉に、俺の胸にじんわりと安堵が広がった。
よかった、喜んでくれたんだ。
心の底からそう思えた。
仁さんが受け取ってくれたのを確認し
じゃあ、と踵を返して自分の部屋に戻ろうとした
その時だった。
「楓くんさ、薬飲んでる?」
背後から、仁さんの声が聞こえ、さっきまでの穏やかな声とは少し違う
どこか真剣な響きを含んだ声に、俺は思わず足を止めて振り返った。
「えっ?さっき飲みましたけど…も、もしかして匂ってますか?」
まさか、ヒートの症状が出て匂いが漏れているのだろうか。
俺は焦って、不安にかられながら自分の体を嗅いでみるが、自分ではよく分からない。
不安と羞恥が入り混じったような感情が込み上げてくる。
仁さんの目が、俺の全身をじっと見つめているような気がして
視線をどこにやればいいのか分からなくなる。
「……とりあえず部屋戻りな、危ないし」
仁さんの声は、先ほどよりも一層低く、有無を言わせぬ響きを帯びていた。
「危ない」という言葉が、俺の心臓を鷲掴みにした。
「そ、そうですね。それじゃあ」
匂いが出ていることを確信し、俺は焦りで頭が真っ白になりかけて
彼の視線に促されるように、俺は自分の部屋へと戻った。
ドアを閉め、背中を凭れさせると、心臓がドクドクと大きく脈打っているのが分かった。
俺は鍵をカチャリと閉め
そのままドアに背中を預けるようにしてずるずると座り込んだ。