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第五話 ③【ドアの向こうの気配】
「……俺、なんなんですか」
誉は半ば呆然として呟いた。
「ただの一般人なんですけど」
「今のところ、そう見られてないですね」と相良が淡々と言う。
「嬉しくないです」
「でしょうね」
相良は腕を組み、少し考え込んだあと言った。
「状況を整理します。秋山圭介さんは、シオンさんの過去を知る人物——高瀬晃一という男と接触していた可能性が高い。そして何らかの受け渡し、確認、監視が行われていた。その中で北松さんは“最初に異変を見た人物”として認識されている」
「それ、どう考えても巻き込まれてません?」と誉。
「巻き込まれています」
「はっきり言わないでほしかった……」
「ただ」と相良。
「秋山さんがあなたの住所を把握していたこと、自宅前に不審者が来たことを考えると、もう偶然では済みません」
詩織が不安げに顔を上げる。
「……じゃあ、ここ危ないってことですか」
「ええ。少なくとも今夜は」
「えっ」
誉が一番に反応した。
「ちょっと待ってください、今夜って」
「北松さん、今夜は一人にならないでください」
「もう十分一人じゃないんですけど」
「そういう意味ではなく、安全な場所に移動してもらう可能性があります」
「安全な場所って、ホテルとか?」
「警察の手配する場所か、信頼できる知人宅か」
誉は即座に言った。
「知人いません」
「即答なんですね」と相良。
「こういう時に頼れるほど親しい相手、ぱっと出てこないです」
少し虚しくなった。
すると隣でシオンが、なぜか軽く笑った。
「俺んち来る?」
誉は反射でそちらを見た。
「は?」
「安全かどうかは知らないけど、少なくとも一人ではない」
「いや、あなたの家それ一番だめな気が」
「失礼」
「だって狙われてる側でしょう」
「まあね」
「まあね、じゃないんです」
相良が口を開く。
「シオンさんの自宅はおすすめしません」
「ほら!」
「ただし、三人一緒に警察が把握している場所へ移ってもらうのはありです」
「三人?」と詩織。
「ええ。詩織さんも、秋山さんのスマホやノートに触れている以上、完全に無関係とは言えません」
詩織は青ざめた。
「私も?」
「残念ながら」
誉は思わず天井を仰いだ。
誰も彼も、じわじわ巻き込まれていく。
「……最悪が更新され続けるな」
ぽつりと漏らすと、シオンが少しだけ口角を上げた。
「いいじゃん。連載向き」
「俺の人生を物語みたいに言わないでください」
「もう十分なってる」
それは否定できなかった。
⸻
若い警官が外の確認に出ている間、相良はロッカーの中身を証拠品として一時預かると言った。
当然だ。むしろそれが遅いくらいだと誉は思う。
だがUSBの複製確認のため、あと少しだけパソコン操作を続けることになった。
「もう一つの音声も確認します」
相良の言葉に、誉が再生を押す。
最初は雑音だけだった。
何かが擦れる音。遠い車の音。
そして突然、女の声が入る。
『やめなよ、秋山』
詩織が顔を上げる。
「……私?」
『それ以上やったら、ほんとに戻れなくなる』
明らかに詩織の声だった。
おそらく秋山のスマホに残っていた、別の日の録音。
『うるさいなあ』
秋山の声が笑っている。
『だって面白いじゃん。あいつら、自分が見られてるの気づいてない』
誉は思わず腕をさすった。
『シオンも?』
『あいつは半分気づいてる。でも本名の話すると、いい顔するんだよ』
『最低』
『褒め言葉?』
そこまで聞いて、詩織が苦しそうに目を伏せた。
録音の向こうで、秋山はさらに言う。
『あのサラリーマンも使えるかもしれないし』
誉の顔が引きつる。
『北松とかいうの』
相良が、メモを取るペンを止めた。
『なんで』
『勘。ああいうやつが一番、見ちゃいけないもの見るんだよ』
音声がぶつりと切れる。
沈黙。
「……最悪」
今度は、誰も茶化さなかった。
誉は本気で寒気がした。
知らないところで評価され、勝手に“使える”と判断される。
そんなの、気味が悪いを通り越している。
「秋山さんは」と相良が静かに言う。
「少なくとも途中から、北松さんを“たまたま巻き込まれた人”ではなく、“利用できる駒”として見ていた可能性があります」
「何に使うんですか、俺を」
「そこはまだ分かりません」
「ほんとに分からないこと多いな……」
しかしシオンは、音声の最後の一節を反芻するように呟いた。
「……見ちゃいけないもの」
「何ですか」と誉。
「たぶん、北松が見たのって、ただ尾行されてる男じゃない」
「え?」
「もっと前の段階で、何かの受け渡しか、合図か、待ち合わせの流れを見てたんじゃないかな」
「ホームで?」
「うん。柱の影」
誉は必死に思い出そうとした。
終電前のホーム。疲れていて、半分意識が飛んでいた。
柱の影にコートの男。
それ以外に——
「……あ」
「何」
「紙袋」
「紙袋?」
「男の足元に、紙袋みたいなのがあった気がする」
相良の目が鋭くなる。
「何色ですか」
「分かりません。でも……コンビニ袋じゃなくて、もっとしっかりした、手提げみたいな」
「中身は?」
「見てません」
「でも、あの時はあった」とシオン。
「たぶん」
「で、路地で倒れてた時には?」
誉は記憶をたぐる。
血。帽子。うつ伏せの男。シオンの声。
「……なかった、と思います」
「なくなってる」
相良が低く言った。
「つまり、受け渡しの対象は別にあった可能性が高い」
「ロッカーの中身じゃなくて?」と詩織。
「ロッカーは記録か、予備か、脅し材料かもしれません。本命は別」
「じゃあ“まだ違う”って」
「探し物がまだ見つかっていない、という意味にも取れます」
誉はぞくりとした。
探し物。
誰かがまだ探している。
そして自分たちは、もうその探索の輪の内側にいる。
⸻
若い警官が戻ってきて、廊下と周辺に人影はないと報告した。
ひとまず今この瞬間の危険は去ったらしい。
だが安心感はなかった。
相良は立ち上がる。
「これから移動してもらいます。必要なものだけ持ってください」
「今からですか」と誉。
「今からです」
「明日仕事なんですけど」
「それどころじゃありません」
「ですよね……」
誉は半分泣きそうになりながら、財布とスマホの充電器と着替えを適当に鞄へ詰めた。
詩織も小さなバッグに最低限のものを入れる。
シオンは驚くほど準備が早かった。慣れているのかと思うとそれもそれで嫌だ。
「北松、歯ブラシ持った?」
「なんでそんな確認されるんですか」
「大事でしょ」
「こういう状況で生活力出してこないでください」
シオンは少し笑ったが、その目は笑っていなかった。
部屋を出る直前、誉は何気なく自分の部屋を振り返った。
狭くて、地味で、帰って寝るだけの場所。
昨日までは、それで充分だった。
なのに今は、この部屋が“見られていた場所”に変わってしまった。
「……やだな」
小さく漏らすと、隣でシオンが聞いた。
「何が」
「部屋」
「うん」
「なんかもう、自分の部屋って感じしない」
数秒の沈黙のあと、シオンが珍しく真面目な声で言った。
「じゃあ取り返そう」
誉は顔を上げる。
「……何を」
「自分の部屋も、生活も」
「簡単に言いますね」
「簡単じゃないよ」
その言い方だけは、妙に軽くなかった。
相良に促され、三人は部屋を出る。
廊下の空気はひんやりしていて、どこかまだ誰かの気配が残っている気がした。
階段を下りる途中、誉は前を歩くシオンの背中を見た。
こいつは面倒で、図々しくて、勝手に人の部屋に上がり込んで、厄介ごとが好きで。
でも、今だけは少しだけ、いてくれてよかったと思った。
それがまた少し腹立たしかった。
⸻
パトカーではなく、目立たないワゴン車で移動することになった。
相良が助手席、後部座席に誉、シオン、詩織。
深夜の都内を走りながら、誰もあまり喋らなかった。
ふと、相良が前を向いたまま言う。
「ちなみに、移動先に着いたらもう一度詳しく話を聞きます」
「まだですか」と誉。
「まだです」
「俺のライフはもうゼロです」
「残念ながら、もう少し削られます」
「ひどい」
シオンが小さく笑った。
誉は横目でにらむ。
「なんですか」
「いや、北松、ちゃんと弱音吐くようになったなって」
「こんな状況で成長を感じないでください」
「でも前より人間っぽい」
「前の俺なんだと思ってたんですか」
「終電顔の社畜」
「最悪」
その時、ワゴン車が赤信号で止まった。
窓の外、交差点の向こう。
街灯の下に、一人の男が立っている。
黒いコート。
フードではなく帽子。
顔は影で見えない。
誉は一瞬、呼吸を忘れた。
「……あ」
「どうした」と相良。
誉は窓の外を指さす。
「あの人……!」
全員の視線がそちらへ向く。
だが信号が青に変わり、車が動き出した瞬間、男の姿は人波に紛れて消えた。
「見失ったか」と相良が低く呟く。
「今の、コートの男?」と詩織。
「分かりません、でも……似てた」
誉の声は震えていた。
シオンは窓の外を睨んだまま、ぽつりと言った。
「追ってきてる」
その一言が、深夜の車内に重く落ちた。