楓がドアを開けると、そこには一樹の運転手の西靖人が笑顔で立っていた。
「どうもー」
「あっ……」
てっきり引越し業者だと思っていた楓は驚いて声を出す。
「えっと…確か西さん……でしたよね?」
「『ヤス』でいいですよー」
「あ、はい…ヤスさんはどうしてここへ?」
「引越しのお手伝いに来ました。不用品の処分とか不動産屋の立会いも私が代わりにやらせていただきます」
「え? 立会いもですか?」
「はいっ」
ニコニコしているヤスを見て楓は驚く。まさかそこまでやってくれるとは思ってもいなかった。
そこでヤスが言った。
「あれ? 社長はまだですか?」
「あと5分くらいで着くって今電話が来ました。今日はお二人は別々だったんですか?」
「ええ、社長は朝ちょっと仕事が入っていたので。俺の方が早かったみたいですね」
「すみません……なんか色々と……」
「気にしないで下さい。あ、ではちょっとお邪魔してもいいですか?」
「どうぞ。すみません、スリッパもなくて……」
「大丈夫ですよー。ではちょっと失礼しまーす」
ヤスは部屋に入るなり、段ボールを避けながら壁や畳の状態をチェックしている。
それを不思議そうに楓が見ているとヤスがこう説明した。
「藤堂組は不動産業もやっているんで下っ端時代にはよく賃貸物件の立会いなんかもやらされたんですよ。だから部屋を見ただけで大体のリフォーム代がわかるので立会いの前に知っておくと色々と有利でしょう?」
それを聞いた楓は驚いた。ヤクザの若い人間がまさかそこまで出来るとは思ってもいなかったからだ。
楓が思っていたヤクザは肩で風を切って町を闊歩しているイメージしかない。
「あの……藤堂組は普通のヤクザとは少し違うのでしょうか?」
楓の質問にヤスは笑顔で答える。
「映画やドラマのヤクザをイメージしているとしたら少し違うでしょうねー。元々藤堂組はあまりあくどい事には手を出さない主義ですから」
「そうなんですか?」
「はい。楓さんも会社に来ればわかると思いますが、見た感じは普通の会社となんら変わりはないですよ」
「そうなんだ……」
「はい。だからあまり身構えずに普通にしていて大丈夫です」
「はい……。あ、あともう一つお聞きしてもいいですか? 会社には女性の方はいるのでしょうか?」
「もちろんいますよ。人数は普通の会社に比べれば少し少ないかもしれませんが。ちなみに楓さんが働くフロアには俺の彼女の『南』って子がいますから、わからない事があれば彼女に何でも聞いて下さい」
「ヤスさんの恋人が? それは心強いです」
会社に女性の従業員がいる事を知り楓はホッとした。
「で、ここにある家具についてなんですが……よっぽど大事な物じゃない限りは全部置いて行けって社長が言ってるんですが大丈夫ですか?」
「あの…私の社宅って……本当に社長のお宅なのですか?」
「そうです」
「でも…社長にはご家族がいらっしゃるのでは?」
「いませんよ。社長は独身ですから」
「…………」
という事は自分は一樹の愛人にでもされてしまうのだろうか? 楓は不安になる。
AV女優から愛人へという話は珍しい事ではない。むしろよく聞く話だ。
楓の不安そうな顔を見たヤスは、あえて明るくこう言った。
「大丈夫です。社長は悪いようにはしませんから。楓さんは何も心配しないで社長の言う通りにしていればいいんです」
「でも……一緒に住むっていう事はそういう事…ですよね?」
その時ヤスは声を出して笑った。
「まさか楓さんは自分が愛人か何かにさせられるとでも思っていませんか?」
「思ってます……それ以外に何が?」
そこでヤスが笑うのやめ真面目な顔をして言った。
「楓さん、いいですか? ヤクザ者っていうのはめったな事では家に女を入れません。愛人がいても心底惚れて嫁にしてもいいと思えるくらいじゃないと自分のプライベートスペースには決して入れないんです。それはなぜかというと、裏社会では女がスパイだったなんて事も日常茶飯事なんです。だから俺達ヤクザは常に細心の注意を払い家に入れる人間を選んでいるんです。特に社長は昔からそういった面ではきっちりしていますし……だから楓さんが社長の愛人になるなんていう事は絶対にあり得ませんよ」
折角ヤスが丁寧に説明をしてくれたのに、楓には全く意味がわからなかったので再びヤスに聞いた。
「じゃあなぜ私を家に入れるのですか?」
「ハハッ、それを俺の口から言っちゃうと社長にひっぱたかれますから言えませんねぇ。だから楓さんから直接社長に聞いてみて下さい。いずれにせよ楓さんは社長の言う通りにしていればいいんです。社長を信頼して全てを任せて下さい。そうすれば社長がきっちりと守ってくれますから」
「守る? 守るって何から守るのですか?」
その時インターホンの音が鳴った。
仕方なく話を中断して楓がドアを開けると、そこには一樹が立っていた。
「引越し業者はまだみたいだな」
一樹はそう呟くとズカズカと中に入って来て奥の部屋にいるヤスに声をかけた。
「ヤス、どんな感じ?」
「6年住んでいた割には凄く綺麗ですね。だからそんなに取られないかと」
「楓、ここへ入居した時に敷金は払ったのか?」
「あ、はい。一ヶ月分だけ」
「畳も綺麗だから取られるとしたらハウスクリーニング代くらいか? だったら敷金で相殺出来そうだな。クロス張替えは大家持ちだよな?」
「多分そうですね」
その時表にトラックの停まる音がした。そして引越し会社のスタッフが開け放していた玄関に姿を見せた。
「おはようございます。本日の引越しを担当させていただきます虹色引越センターですっ」
「ご苦労様。じゃあ早速お願いします。家具は置いたままでそれ以外の荷物を運んでいただけますか?」
「承知しました」
一樹の一言でスタッフは二名で荷物を運び始めた。
自分の引越しなのに全く出番のない楓は、小さくため息をつくと二人の一歩後ろから引越しの様子を見守っていた。
コメント
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兄じゃなく、ヤスさんで良かった😌 引っ越しは順調にすすんでいて、これで兄も 楓ちゃんには 迂闊に手を出せなくなるね....👍️
社長の「朝ちょっと仕事」てなんやったんやろ。「朝ちょっと」て。 あちらの業界も、結構インテリも多いとは聞きますな。二十年、いやもっと前やったかな。当時のどっかの組長の息子が京大法学部に通うてた。後を継ぐ気はないけど一般企業の就職は難しいやろうからって、司法の道に進むつもりやと言うてた記憶がある。その後どうなったかは知らんけど。 ところで、今年の初めに転居したんやけど、パンダで見積取ったら、米もろた。あれは助かったな。担当の兄ちゃんらはめちゃめちゃ手際良かったし、家電もついでに買い替えられた。お陰で、家電量販店での仁義なき値引きの戦いが回避でけた。
悪良から守ろうとしての行動なのかな❓️