「実はわたしの家、お父さんもお兄ちゃんもパティシエなんだ。お母さんもケーキが大好きで…だから一度に4,5品食べるのは当たり前だったの。でもそれが他の人から見るとすごく異質なことなんだって後から知って驚いて…。わたしのことも『ファイターちゃん』ってあだ名されてて、ちょっとショックだったんだ」
「…でもそれは、別に悪意があって呼んでたわけじゃねぇよ。食いもん出す側にとってはさ、客が美味しそうに食ってくれるのが何よりうれしいわけ。おまえの食いっぷりが、ほんと気持ち良くて、みんなうれしがる気持ちと親しみをこめて呼んでたんだぞ」
「そう、なんだ…。で、でも、他のお店ではそれほど食べなくても大丈夫なんだよ?リヴァージだけは、どうしてもガマンできなくて…。だってどれもすごーく美味しいんだもん。なんていうのかな、作り手さんの個性が表れているって言うか…」
「個性?」
「うん…一緒に働いてよくわかったんだけど…。暁さんのワッフルはほっこり甘くてホッてなる感じ。拓弥くんのは元気一杯で、フルーツがこれでもかって入ってるのが豪快で…美南ちゃんのフルーツドリンクは爽やかでスッキリしていて、そしてケーキは…」
「……」
「ケーキはシンプルで見た目だけじゃわからないんだけれど、食べるほどに魅力がたくさんつまっていて…うまく言えないんだけれど…」
「……」
「つらい時、悩んでいる時、晴友くんのケーキを食べると、なぜだかドキドキしたの。晴友くんのケーキは特別。どこのお店に行ったって、こんな気持ちにはけしてならない」
にっこり笑う日菜に、胸が大きく高鳴った。
こいつ、ストレートに言い過ぎじゃねぇか…?
働いている時もそのくらいペラペラ言えっての…。
もどかしい気持ちを抑えきれず、日菜を見つめた。
こんなに深く見つめたのは初めてかもしれない。
小さな顔。小さな鼻、唇。
なのに目はクルミみたいにおっきくて、頬はストロベリーがにじんだミルクみたいに、ほのかに赤い。
まるでスイーツみたいだ。
繊細で綺麗な、この世にふたつとなく甘い、特別なスイーツ。
俺は無意識に、その唇に指を伸ばした。
そして、戸惑って開いた唇をなぞった。
アイスクリームに濡れた唇は、やわらかくて冷たくて、チェリーみたいだ。
キス、してぇ。
「…ケーキだけか?」
「…え」
「おまえが好きなのは、俺が作るケーキだけなのか…」
「晴友…くん…?」
そんな唇で、そんな甘い声で呼ぶなよ。煽ってんのか…。
唇の隙間に指先を入れると、薄い眉がひそめられる。
怯えるよう目を潤ませて見つめてくる表情が、死ぬほど可愛いくて…もっと怯えさせたくなる。
その顔は…やっぱ…煽ってんだよな。
もう、そういうことにしていいか。いい加減セーブがきかねぇ。
おまえが俺をこうさせたんだぞ。
イジワルしかできない不器用な俺を、そんな純粋な目で見つめてくるから。
気持ちが抑えられない。
怖がられたって、泣かれたって…もうかまうもんか。
こんなに惚れさせた、おまえが悪い…。
小さなあごに指をかけて、力を入れた。
真っ赤な唇を、味わおうとした―――その時だった。
ピピピピ…
電子音が聞こえた。
日菜のスマホからだった。
どこかほっとしたように音が漏れてくる通学バックに視線を移す日菜。
特別な相手からだろうか。出たそうにしている。
「…出ろよ」
「う…うん」
のぼせたようになっていた俺も、甲高いその音と日菜の様子に我に返った。
このままキスしていたら、日菜はどれほど困惑しただろう。
そして、そんな日菜を見た俺は、どれだけ後悔することになっただろう…。
「も、もしもし…え、あ、うん…!今…休憩だよ」
真っ赤だった日菜の顔が、見る間に青ざめていった。
家族からか?
もしかして、あの『お兄ちゃん』からか?
「もうすこしで終わるよ。う、ううん、大丈夫、お迎えはいらないよ」
困惑気に相槌を打って真実とはちがうことを零していく日菜。
そのたびに表情がどんどん暗くなっていく。
真面目で素直な日菜が、これ以上嘘をつくのを見るのはつらかった。
もうそろそろ、家に帰してやらないとな…。
しばらく受け答えして通話を終えると、日菜は疲れたように言った。
「ごめんね…もうそろそろ帰らなきゃ」
「兄貴からか?」
「う、うん…。実はお兄ちゃん、アルバイト始めたことを良く思っていなくて…」
だろうな。
あんなお嬢さま学校に通っているならバイトなんてする必要なんてない。
むしろ、する方が悪いことみたいに思われているんだろう。
…俺と日菜は、住む世界が全然ちがうんだな。
けど。
だからって、そう簡単には引き下がれるほど日菜に対する気持ちは軽くない。
そう、今改めて確信した。
日菜。
俺は必ず、おまえにこの気持ちを伝える。
おまえを必ず、俺のものにするからな。
「じゃあ帰るか。送ってく」
「う、うん…ありがとう。あ、あのね、晴友くんっ」
「ん?」
恥ずかしそうに、でも思い切ったように日菜は言った。
「また一緒にスイーツ食べてくれる?」
ドキ、と胸が高鳴った。
俺はじっと日菜を見つめて、そして微笑んだ。
「ああいいよ。また来よう」
その瞬間に輝いた笑顔を、俺は絶対に忘れないと思った。
「…日菜」
俺は日菜の手を握った。
今度は最初から強く。決して離れないように。
日菜の手も、俺の手を強く握ってくれた。
もしかしたら。
俺たちの距離は、もうだいぶ縮まっているのかもしれない。
あと少し、ほんの少し。
このままなにも無ければ、俺たちはきっと結ばれる。
なにも無ければ…。
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