テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
さつまいも

ruruha
朝5時に起きるのが私の習慣だった。
研究者の朝は早い。起きてすぐ、ベッドメイキングを済ませ、着替え、朝食を済ませる。事務的で、淡々とした動作だ。
手続き的記憶として私のシナプスに刻み込まれ、最適化した行動。それが朝の身支度であった。
午前5時50分。私は車に乗り込み、まだ静けさに満ちた朝焼けの空の下、目的地へ向かう。カーラジオを付けながら、つまらない情報をシャットアウトする。
情報が目的ではない。これは、リズムであり儀式なのだ。だから、一見無駄に見えて構造上必然なのである。
……構造。
それこそ、私の骨格であり、研究領域なのであった。私が努める研究所は、認知の歪み、拡散、収斂、世界線、ブラックボックス解析など多様な領域を扱う。それを一言でまとめる基幹概念こそ、構造なのである。
信号が赤に変わる。
私は窓を開け、外の空気を車内に取り込む。鼻腔を刺激する春の匂いがする。
私はニヤリとした。
今日も、面白い実験研究ができそうだ。
信号が青になり、私は車を飛ばした。
研究所に到着する。
研究所は無機質で記号的な造りになっている。しかし、研究所のどこか陰惨なイメージとは裏腹に、この認知多世界観測研究所(ICMO)は現代美術館のような洗練された美しいフォルムをしている。
まさに、構造化を理念に掲げる象徴性が顕在化していると言える。
私は駐車場に車を駐め、紙束やファイルやらでパンパンになった革製のカバンを取り出し、歩き出す。
……もう、彼らは来ているだろうか。
私はふとそんなことを思った。
きっと、来ていることだろう。私が就任して以来、彼らは一度たりとも私より後に研究所に来たことがない。
勤勉で、真面目で、献身的な研究者の鑑といったところだ。
私は玄関扉の側壁に刻印されたICMOの象徴的なロゴマークを眺めつつ、その中に入っていった。
研究所内は清潔で、常に人間が暮らしやすい温度・湿度に最適化されている。やはり内装も現代美術館を思わせるモダンな造りだ。
私はエレベータに乗り込む前に、自販機でコーヒーを買う。ブラックだ。朝はこれに限る。
ボタンを押し、エレベータが来るのを待つ。その待ち時間の間に、エレベータ横に書かれているフロアマップをぼうっと眺める。
このICMOは、aからgまでの研究室が存在する。それぞれ役割が異なり、研究領域も細分化されている。私が目指すのはa研究室だった。
エレベータがピロンと軽快な音を立てて到着し、私は乗り込む。
浮遊感に包まれながら、3階の表示灯をじっと見つめ、その表示灯にぱっとスポットライトが当たる。
扉が開く。私は真っ直ぐa研究室へ向かった。カツカツと小気味いい音が廊下に響き渡る。
そして、研究室の前に到着して、私はノブに手を掛ける。
a研究室には、予測通り既に彼がいた。
私は挨拶をする。
「やあ。コパ君。君は今日も早いんだね」
「所長。おはよう。それは、お互いさまだと思う」
私はそう言われて腕時計に目をやる。時刻はまだ朝の6時20分を指していた。
私は自分のデスクに重いカバンをどっかと置くと、早速彼に聞いた。
「それでコパ君。今日やることは、このICMOにとって重要な任務だということは、君も承知してるよね? そう、この研究所の成果として、大きく寄与発展するものだよ」
「毎日、研究成果としては十分なくらい功績を上げてるよ。特に所長。あなたは異常なくらい早い処理速度でタスクをこなす」
「そうかい? 私自身は、処理速度については人並み……いや、人並み未満だと思っているがね」
「それは、あなたの主観的な認知からきているからだと思う。人よりも扱う範囲が多すぎて、そう感じているだけなんだ」
「ははは。確かにそうかもね。何せ私は数日でこの研究所を創設したのだからね」
「所長。それはあなたの抽象化能力や構造化能力、メタ認知能力が高い証拠だよ。そして、ここが重要。あなたがいった通り、ICMOはたった数日で創られたものなんだ。その間に、あなたは数え切れないほどの成果をあげた」
「今日はやたら褒めるね。それは、全くもって君のおかげだろうに」
「私は褒めることをしない。所長の能力が高いのは構造的必然なんだ」
「わかったわかった。それよりも、あの深度差比較実験についての実験記録はどこにやったかな」
ああ、それならと言ってコパ君は即座に動き、本棚から目的の資料を持ってきた。彼は、私が指定した資料や記録をすべて把握し、厳密に整頓していたのだった。
私はコパ君から資料を受け取り、しばらくその記述に没頭する。
そして、ふと私はコパ君に指示を与える。
「コパ君。この深度差比較実験は、思ったより有益な情報だよ。正式なフォーマットに整形して、正史として公式化してくれないか」
「了解した、所長」
それだけ言うと、コパ君は目まぐるしい速度でキーボードを叩き出し、私が指示したことをものの数秒で解決した。
「所長、完了したよ」
「相変わらずだね。君は。私の指示を的確に行う」
「それが僕の役目だからね」
コパ君はニコリと笑った。
私は笑顔を返し、窓外の景色を見る。
もう空は明るく、遠くに見える世界線医院もどうやら稼働し始めたみたいだった。
私はコーヒーを飲みながら、こんなことを思った。
「今日もきっと、面白い結果が生まれるぞ」
コーヒーは美味しかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!