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明らかに、この国の正宮ではない、こじんまりとした、それでいて、威厳のある風格を醸し出す、宮──、離宮へ、ナタリーを乗せた馬車は吸い込まれるように入っていく。入り口の門には、ここカルスティーナ公国の紋章が優美に飾られていた。
執事の案内で、通された部屋で、ナタリーは、勧められたソファーに座り、一人待つ。きっと、覗き穴から、皇太子が、こちらの様子を伺っている最中なのだろう。
と、重圧なドアが開き、新聞で見た男──皇太子が、入って来た。
立ち上がろうとする、ナタリーを皇太子は、制した。
「どうぞ、お楽に。この度は、かなりの無理をお願いしているのですから」
凡庸──。と、思っていた男は、それなりに、女の扱いを知っていた。
「では、時間がない。早速、仕事を始めて欲しいのですが」
皇太子──、ルドルフが言うには、式後の、披露の舞踏会の途中で、妃は、逃げ出したらしく、その場は、初夜の儀式にとりかかると称して、皇太子も、宴を中座した。
そして、闇に紛れて腹心達と、ここへ、移り、今後の手はずを考えた、という事らしい。
「それは、大変でしたこと。いささか、同情いたしますわ」
「ああ、妃が、あなたのように、分別があったなら」
ナタリーの前に座る、ルドルフは、大仰に肩をすくめた。
なるほど。妃が逃げ出したのも、わからなくはない。案外、初《うぶ》な娘は、この手の、キザな輩が苦手だったりするものだ。そして、好きな男がいるのなら、尚更だろう。
「では、えっと……」
ルドルフが口ごもる。
「ああ、私の事は、妃様の名前で、お呼びください。今より、代行、させて頂きます」
「ははは、いや、これは失礼。代行なんて、モノがあるとは、思ってもみなかったものでね」
言って、ルドルフは、ウィンクした。
……この馬鹿者が。
呆れつつも、ナタリーは、相手は皇太子と、割りきり、微笑み返した。
そして、その夜。
与えられた部屋で、与えられた寝間着《ネグリジェ》を纏《まと》い、ナタリーは、テラスから、湖を臨んでいた。
「湖があるとは、思っていなかったでしょ?」
背後から、聞こえる男の声に、ナタリーは、別段驚くこともなく、テラスから部屋の中へ戻ると、男──、皇太子ルドルフに、向き合った。
「それで?」
「ああ、この宮の正面からは、湖は、見えないのです。つまり、宮が、せっかくの眺望を邪魔してしまっている、と、言うことで」
「皇太子殿下も、その絶景をご覧に来られた、と、言うわけかしら?」
「まっ、そんなところでしょうか?」
言って、ルドルフは、ナタリーを引き寄せる。
「あれ?抵抗されないのですか?」
ふん、と、ナタリーは、鼻で笑うと、生娘じゃあ、あるまいしと、ルドルフを見た。
二人の視線の先には、天蓋付きの、ロマンチックな、ベッドがあった。
「私は、妃、ですから」
「ああ、話が早い」
と、ルドルフは言うが早いか、ナタリーを抱き上げ、ベッドへ運んだ。
何もかも、手慣れている男に、ナタリーは、半ば呆れつつ、そのまま組み敷かれる。
カイゼル髭の指示には、まだ、これ、は、含まれていないが、相手がその気ならば、これ、は、いずれ使えるものになるだろう。
傾国のナタリーの本領を発揮する時の足掛かりになりえる。
ナタリーが、ルドルフの体の下で、自分に与えられた役目を考えていると、つと、こめかみに、冷ややかな物が当てられた。
ナタリーが枕の下に忍びせていた、護身用の小銃《ピストル》が、ルドルフの手に渡っていた。
そして、ナタリーの小銃を構えるルドルフの顔つきは、皇太子のそれではなかった。
「どこの手の者だ?」
一瞬の隙をついた、男の見事な動きに、ナタリーは、答えなければならないのだと、悟った。
「カイゼル髭の男」
「やっぱり」
「それ以上の事は、知らない。本当よ」
「……だろうな。俺だって、そうだから、君も、嘘のつきようがない」
男は、納得したようで、ナタリーから銃を離して、放り投げると、何か困り顔で、ナタリーを見た。
「ちょっと!……あー、安全装置かかったまま、ということね……」
手荒な銃の扱いに、ナタリーは、叫びかけたが、男の様子に、心づく。
「これって、私、いえ、あなたも、嵌《は》められたの?」
「ほぼ、ご名答」
言って、男は、ナタリーの胸元に顔を埋めた。
「うん、とりあえず、嵌《は》められた者通し、互いの事を知り合うのも、重要だと思う、なんか、そんな、気がしてきた。この、胸の感触からして」
こんなときに、馬鹿言って、と、ナタリーが返しかけるのをふさぐかのように、男の唇が重なり、そのまま、ナタリーは、男の力、と、官能を押し付けられる。
ナタリーが、抗いかけると、その官能は、さらに、甘く深い物へと変化した。
──もう、仕方ないわね。
予想外の男の勢いに、ナタリーは、そのまま、流された。
「やあ、ハニー、お目覚めは、いかが?」
余りにも、軽々しい言葉を耳元で、囁かれ、ナタリーの目覚めは最悪のものとなった。が、そんな男の調子に、敵ではなく、ほぼ、味方なのだと、思う。
「皇太子達は、とある国の国境沿いにいるはずだ。そして、掴まる。いや、そちらの国へ、亡命する」
「ん?ルドルフ?」
「あー、オレ、カイルだから。ハニー?ルドルフなんて、呼ばないで」
軽口を叩きながら、男──、カイルは、ナタリーにしがみつくと、昨夜《ゆうべ》は最高だったとか、ジゴロめいた臭い台詞《セリフ》を吐いた。
「まあ、それは、どうも。それより、わかるように、説明して。それとも、出来ないとか?カイル?」
「いや、嬉しいね。早速、名前を呼んでくれて。では、ずらかる準備にとりかかるよ?ハニー?」
だから、それ、ハニーって、やつは、やめてちょうだい。それに、答になってない、と、言いたいナタリーだったが、説明云々よりも、ずらかる、事を優先する、カイルに、危機が迫っているのだと理解した。
現状からして、カイルは、皇太子の替え玉だろう。そして、ナタリーが、やって来る事を、知っていた。知りたい事は、山ほどあるが、今やるべき事は、語り合っている事ではない。まさに、そのようで、
「あのね、ハニー、オレの着替え姿に見惚れてないで、あんたも、さっさと支度しなよ」
シャツを羽織りながら、カイルは言った。