父も珍しくその日は上機嫌で
従業員の人達とお酒と焼いた海鮮物
を食べていた
そして父が一人の女性を私達に紹介した
その女は大勢のおばさんパート社員さんの中に
混ざってひときわ野菊の花のようにそこにいた
多くの人に混ざっていたら
見過ごしがちなのだけど
彼女はよく見るとパート軍団の中に
いるには不自然なぐらい若かった
クリーム色のシャツにオレンジのスカート
肩までのゆるふわの茶色いパーマ
肌の色は抜けるほど白く
小動物のような可愛い瞳をしている
そして童顔のわりに胸は大きかった
父がその女性に私達を紹介した
「鳩山さん!
私の子供達だよ、雄二とスミレだ
こちらは半年ほど前から
うちで働いてくれている
鳩山美鈴さん!なんとお前とそんなに歳が
変わらないんだよ」
私と雄二はペコリとお辞儀をした
すると向こうも
「よろしくお願いします」とお辞儀した
その女はあまりにも美しかった
なのになぜ自分がその女に好意を感じないのか
なぜ威圧されるような気持ちになるのか
私にはわからなかった
鳩山美鈴は私をじっと見つめた
私は急に自分が着てるデニムのサロペットと
化粧をしていない生真面目な顔が
子供っぽすぎるのを気にし出した
せめてリップクリームぐらい
塗っていればよかった
父が彼女は私より1歳上で学年は同級生なのに
もう社会に出て立派に働いているから偉いと言った
実際学生の私に比べて彼女は
とても落ち着いていて大人っぽかった
次にその女の微笑みは
雄二に向けられた
私がいかにも眼鏡の不細工さんで
男の子のようにゴツゴツとした
長い手足をしていたのと対照的に
雄二は母似の美しい少年でハンサムだった
そしてバーベキューを目の前で焼いている
雄二を優しく包み込む笑顔で見つめ
雄二がそれに気付くと弟にニッコリ微笑んだ
雄二は耳のつけ根まで真赤になった
かわいそうな雄二はその時以来
あの女の虜になってしまったのだった
「驚いたなあ!!
鳩山さんってすごい美人だったね
僕お父さんの工場にアルバイトに行こうかな」
15歳で思春期の雄二はため息まじりに言った
私は返事をしなかった
父の工場に行ったらあの女がいるんだ
毎日父はあの女と顔を合わせているんだ
途端に不思議と不愉快な気持ちになったが
用心深くそんなことは口に出さなかった
その時父が美鈴のバーベキューグループの
中にいて大声で笑っていた
私はびっくりした
父は家ではあんな笑い方をしない
いくら私がピエロになって
父を笑わせようとしても
フッと優しく私達に微笑むだけで
あんないかにも人生が楽しいというように
天を仰いで口を開けて笑っている
その横で鳩山美鈴も笑っていた
あんな父を見たのは初めてだった
私は理解に苦しんだ
母が死んでから長年
私は父を笑わせられなかったのに
ふと隣にいる美知恵おばさんを見た
おばさんもしかめっ面をして
父とあの女を見ていた
本能的におばさんと私は今
同じことを考えていると感じた
しかしお互い何も言わなかった
その時ワッとみんなが騒ぎ
何かハプニングが起きた
誰かが美鈴にぶつかって美鈴がよろけた拍子に
父の持っていた缶ビールがこぼれ
びっしょりと美鈴のブラウスとスカートを
ビールまみれにしてしまったのだ
私はすかさず
「大丈夫ですか?」と
美鈴にタオルを渡した
美鈴は動揺しているようだが
「大丈夫です」と言った
一番動揺している父が私に彼女に
着替えを貸してあげなさいと言った
私はコクンを頷き
自分の部屋へ来るように言った
本当は彼女を自分の部屋に入れるのは
なんだか抵抗があったけど
ビールでびしょびしょになっている彼女を
見たら少し可哀想になった
ガチャ!
「さぁ!入ってちょうだい!
あっ同級生なんだから
敬語は無しでいいわよね」
私はやたらと明るく
フレンドリーに言った
彼女はあまりしゃべらず長いまつげの下から
好もしげに部屋の周囲を見まわした
「どんなのが好みかしら
その汚れたお洋服すぐに洗濯させてもらうわ」
私はクローゼットをバタンッと開けて
服を物色しはじめた
「・・・・素敵なお部屋ね・・・・ 」
彼女はそう言った
「そう?古くて大きいだけの陰気臭い部屋よ?
それに私はまだ学生で・・・
ああっそうそう、来年大学院に進学するの
だからあなたみたいな社会人が着るような
大人っぽいものあんまり持ってないのよ」
クスッ
「あたしをバカにしておもしろい?」
その時彼女はするどい口調で言った
「え?」
私は一瞬何を言われたか理解できなかった
「働かなきゃ食べていけない人間を
バカにしてるの?って聞いたのよ
毎日1時間いくらで働いて
生活していかなくちゃ行けない
大変さなんてあなたには何一つ
わからないわよね!
お父様に養ってもらって
成人しているのにいつまでも学生が出来る
身分の人は私の服装など気にもかけないでしょうね
あたしがあなたのように
生まれも育ちも良くないとでも・・・」
「ちっ・・・違います・・違います」
彼女の鋭い口調に驚いて私は口ごもった
彼女の穏やかな声は刃のように私の胸に
突き刺さった
学生の私は社交などと言うものには
まったく慣れていなかった
たしかにあたしは父が与えてくれたこの家で
ペットのように飼われていて家と学校しか
世界は無く、もちろん働いて日々の生活を
しのぐことはまったく経験がなかった
しかし私は自分の言った事の何がそんなに
彼女をこれほど怒らせているのか
理解できなかった
私の目には涙があふれそうになった。
「そんなつもりじゃ・・・・・・」
わたしはおののきながら言いかけた
しかし彼女は私を全く無視して
私のワンピースを着て
氷のようにつめたく言葉を投げかけた
「この服クリーニングしてくださるって
言ったわよね」
穏やかな声は刃のように
わたしの胸に突き刺さった
そしてビールで汚れた服を床に放ったまま
彼女は去って行った
言い返そうという気にはならなかった
何となく自分が彼女を
「私のパパの工場で
低賃金で働いてくれている人」
と見下していたのを
見透かされたような気がした
そしてそれは彼女が決して「鈍感」で
はないことも表していた、私はすっかり彼女に
脅かされてしまっていた
それまで、人につっけんどんに
されたことが無いわけではなかった
クラスでも気の合わない子の一人や二人はいた
しかし、あれほど誰かに憎しみを込めて
話しかけられたことはなかった
―――すっかりみじめになって
苦々しい軽蔑のこもった
彼女の声を思い出しながら
彼女の服を洗濯機に入れた
ゴウン、ゴウンと回る
洗濯機をじっと見つめながら
私はもう二度と
彼女に会いたくないと思った
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